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横浜美術館コレクション展 2017年12月9日(土)-2018年3月4日(日)

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サルバドール・ダリ《ガラの測地学的肖像》1936年 テンペラ、板 21.0×27.0㎝
©Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2017  G0962

展覧会概要

全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真  
1. 上手である必要はない  
2. 手さぐりの風景  
3. その風景は、見つかることもある  
4. 探していたのは、これだった  
5. 女神か怪物か、それとも?  
6. あなたは私のどこが…  
7. おとなの人形あそび  
8. 讃える方法  
9. 死を克服する方法  
10. 絵と言葉が出逢った  
11. シュルレアリスムはスタイルか?
【写真展示室】特集展示:石内都「絶唱、横須賀ストーリー」

横浜美術館では、開館前の1983年からシュルレアリスムの作品を収集してきました。 マグリット、デルヴォー、ダリ、マン・レイ、エルンスト、アルプ、ミロ、マッソンといった代表的作家についてはそれぞれ複数点収蔵され、油彩画だけでなく、コラージュや彫刻、版画、写真など、さまざまなジャンルに挑戦した彼らの多彩な創作活動を見ることができます。

チリ出身のマッタ、カナリヤ諸島出身のドミンゲス、キューバ出身のラムや、イギリスのアームストロングなど、国籍や民族を超えたシュルレアリスムのひろがりを代表する作品もあります。 写真でも、マン・レイのほかに、ベルメール、シュティルスキーやヴォルスなど、少しマニアックな作品を含む充実したコレクションがあります。

今回のコレクション展は、3つの展示室をフルに使って、当館所蔵のシュルレアリスムに関わった作家の作品を可能な限りまとめてご覧いただく、開館以来はじめてのコンセプトです。 また、写真展示室では、同時開催の企画展「石内 都 肌理(きめ)と写真」に関連して、石内の初期の代表作「絶唱、横須賀ストーリー」全55点を展示します。 

作品リスト [1.17MB]    

展覧会のみどころ

■当館コレクション展史上初のシュルレアリスムの総特集!国内外約50 作家の約300 点が集結。
当館所蔵のシュルレアリスムに関わった作家の作品を可能な限りまとめてご紹介する本展。
海外の約40 作家に、日本の約10 作家を加えた、約50 作家の多彩な作品をご紹介します。

■豊富な写真作品を紹介!
本展は、横浜の街を舞台に開催される「PHOTO YOKOHAMA 2018」(1 月~3 月開催)のパートナーイベントです。
特集展示のみ ならず、シュルレアリスムのパートでも、マン・レイ、アジェ、ブラッサイ、アンドレ・ケルテスほか、写真作品を豊富にご紹介いたします。

展示構成

1. 上手である必要はない

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パウル・クレー
《攻撃の物質、精神と象徴》
1922年
水彩、油彩、紙 
33.3×47.5cm 

シュルレアリスムの美術は、人間だれもが無意識の中に無尽蔵に蓄えているイメージを、そのまま白日の下に引き出すことを目指しています。作者であれ見る人であれ、なんらかの刺激によってその人のインスピレーションを働かせることができれば、そうしたイメージが次から次へと自動的に出てくると考えられました。
上手に描こうとすることは、インスピレーションの自動的な働きをコントロールしようとして抑制するので、その結果は捏造(ねつぞう)とみなされました。シュルレアリスムは、この自動的な働きを「オートマティスム」と呼んでいます。オートマティスムを起動するために、だれもが実践できる方法が開発されました。出来合いの図を切り貼りするコラージュ、身近なものから拓本をとるフロッタージュ、絵具のシミを活かすデカルコマニー、印画紙に直にものを載せて露光するフォトグラムなどです。

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瑛九
『瑛九氏フォート・デッサン作品集 眠りの理由』より
1936年(昭和11)
ゼラチン・シルバー・プリント26.1×21.5cm

これらの方法がもたらす偶然の形や痕跡がインスピレーションの発火点となります。得られた形や痕跡をさらに写真や転写で複製することも、インスピレーションを強化する方法と考えられました。このセクションの作品にはそうした方法が用いられています。     
2. 手さぐりの風景

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イヴ・タンギー
《風のアルファベット》 
1944年 油彩、カンヴァス 
100.0×81.0cm 

はじめて目にする風景なのに、見たことがあると感じた経験はありませんか? あるいはかつて夢にみたり、空想で描いたりした風景が、突如として目の前に現れることもあるのではないでしょうか。
こうしたことが起きるのは、人間の外にある世界も内なる世界も連続した現実だからだ、とシュルレアリストは考えていました。彼らが内なる現実を描くうえで、風景画は格好の土台となりました。なぜならそこには、自然、時間、天地、遠近、広狭、明暗といった人間心理とつながる要素が総合されるからです。ただし外の風景とは違い、シュルレアリスムの画家の描きたい風景は眼前に広がってはいません。そこで彼らは、半睡状態で手の動くままにデッサンをしたり、気になった床の木目をいくつもの拓本にとったり、カンヴァス上に絵具を散らしたりシミをつけたりして、それを見つめながらインスピレーションに従って描いていきました。いわば成り行き任せに暗闇を手さぐりして、得られた信号を解読してできた風景といえるでしょう。     
3. その風景は、見つかることもある

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ウジェーヌ・アジェ
《サン=ジャック通りの角、パリ5区》
1899年(1977年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
22.0×17.4cm

見慣れたはずの街並みが、初めて目にするような不思議な輝きを放っていたという経験はありますか? 画家デ・キリコは秋の晴れた日の午後に、ダンテの彫像があるフィレンツェのサンタ・クローチェ広場でそのような経験をしました。彼はそれをもとに「形而上絵画」の先駆けとなる《秋の午後の謎》(1910年、個人蔵)を描き、シュルレアリストから先達として讃えられました。

ところで20世紀初頭から1920年代にかけて活躍した写真家アジェは、古きパリの無名の街路、店舗や公園などの人気(ひとけ)のない光景を箱型大判カメラで克明に記録し、画家や舞台美術家のための資料として売っていました。アジェが正確な撮影場所の情報とともに提示した都市のただならぬ相貌は、マン・レイ、アボットやシュルレアリストに大きな影響を与え、アジェの名は彼らによって世に知られるようになりました。

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インドリッヒ・シュティルスキー
『この頃の針の先で』より
1934年頃
ゼラチン・シルバー・プリント
9.4×9.0cm 

さて、シュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンは、自伝的著作『ナジャ』で、大都会パリがもたらす人、物事、光景との偶然の出会いの連鎖を記録しました。彼がこの本の挿画に選んだ、彫像のあるパリの街角を撮ったボワファールの写真は、デ・キリコとアジェの特徴を引き継いでいます。

ここでご覧いただく作品は、こうした謎めいた風景を捉えたものですが、それらは外の世界と内なる世界が重なる瞬間ともいえるでしょう。      
4. 探していたのは、これだった

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マン・レイ
《桃と葉》
1931年(後年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント 
22.6×30.1cm

外の世界と内なる世界が重なる現象は、風景や街角の光景に限らず、さらにミクロな次元、石、貝殻、木片などの自然物や、日用雑貨、廃品においても期待できます。 蚤の市で見つけた溶接作業用マスクが神話の武具に見えたり、海岸で拾った石が龍の目玉に見えたりすると、それらは本来の役どころから解放されて特別な対象になります。 シュルレアリストはそれを「見つけられたオブジェ」と呼んでいます。ヴォルスの作品のように、対象をある角度からクローズアップした写真はオブジェ化していると言えます。     

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ヴォルス
《無題》
1939年(1979年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
30.5×21.3cm

本来は無関係のもの同士を半ば強引に組み合わせた立体作品(アッサンブラージュ)もあります。 これは新聞紙や壁紙を切り貼りするコラージュと同じ原理ですが、ピカソやブラックはコラージュによって静物画の中に現実を持ち込むために、壁紙を壁紙として貼りつけるのに対して、シュルレアリストのコラージュやアッサンブラージュでは、新しい関係に置かれたものたちは連想を誘う別のものへと変容するのです。ビアジョッキに毛皮を貼りつけたオッペンハイムの《栗鼠(りす)》は、器物が生き物に変わっただけでなく、エロティックな妄想を掻き立てる装置でもあります。アイロンに釘を貼りつけたマン・レイの《贈物》は攻撃衝動を映し出す鏡といえます。     
5. 女神か怪物か、それとも?

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マン・レイ
《メレット・オッペンハイム》
1933年(後年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
37.7×25.4cm

女性は、神話や物語、そして肖像など、古くから美術のさまざまな主題の担い手として表されてきました。シュルレアリスムの作家たちにとっても、女性は重要なインスピレーションの源でしたが、それまでの美術の役どころに、おとなしく収まっているようなことはありません。

マン・レイは、シュルレアリストの数少ない女性作家であり、被写体としても能動的であったメレット・オッペンハイムを讃え、芸術家に霊感をもたらすミューズとしての魅力に迫りました。またピカソは、迷える怪物ミノタウロスを光で導く案内人として女性を描く一方で、性器切断など、男性にとって恐怖の存在としての女性の一面も捉えます。マッソンはペンテシレイアの神話を、恋するアキレウスを喰らうカニバリズム(食人)のイメージとして描き、ベルメールは女性の身体をサディスティックに緊縛することで、生身の女性の内面と外界との接触面を主題化しています。レズビアンや女装を扱った作品を含め、本セクションでは、シュルレアリストたちの新たな眼差しを通して表された女性のイメージを紹介します。
6. あなたは私のどこが…

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ヴォルス
《無題》
1938年(1979年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
22.0×30.7cm

眼、耳、口、頭、手、足、指…。シュルレアリストたちは身体の部位に注目し、それをクローズアップして、単独のモチーフとして、あるいは風景などと組み合わせて、豊かなイメージをうみだしました。抽出された身体の部分は、ふだん私たちが当たり前と考える役回りから解放され、それぞれが自立した生命体のような存在感を示しています。

眼に着目したマン・レイやケルテス、ウンボなどの作品は、「見る/見られる」という私たちの立ち位置をも揺さぶります。また、日常生活でフォーカスされることの少ない身体の部分への着目も、シュルレアリスムがもたらした視点のひとつといえるでしょう。足の親指や足裏を写しだしたボワファール。風景と脚を組み合わせたヴォルス。臀部(でんぶ)にフォーカスしたベルメール。これらの写真には、自明なものとして見過ごされがちな身体を未知の「異物」と捉え直し、それを接点として、人の内面と外の世界との新たな関係を切り開こうとした作家たちの探究をみることができるでしょう。      
7. おとなの人形あそび

シュルレアリスムの作品のなかには、マネキン、関節人形、玩具、さらには自作の人形など、さまざまな人形が登場します。ものと生命の境目を行き来する存在として、人形には不思議な力が宿っているようです。

《階段》でデルヴォーの描く生身の女性とマネキンは、ともに同様のレースをまとっています。また、妻の死骸を剥製にする物語の挿絵「最後の美しい日々」においては、自作の彫像に恋をし、神に願ってその彫像を生身の人間として妻に迎えるピュグマリオンの神話を下敷きにしています。デ・キリコやエルンストの作品では、マネキンは人間に代わって物語の主役を演じています。ベルメールは等身大の少女の関節人形を自作し、それを分解しては再構成し、室内や戸外など場所をかえて写真撮影し、神話的ともいえる濃密な世界を描きだしています。そこには、人形だからこそ映しだすことのできた、人間の内面世界を読みとることができます。   

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ヴォルス
《無題》
1933年(1979年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント 24.7×24.0cm 

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マン・レイ
《標的》
1933年(1971年の再制作)
ミクストメディア
66.0×50.5×24.0cm
ⓒ MAN RAY TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 C1768

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8. 讃える方法

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マン・レイ
《解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい》
1935年頃(後年のプリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
20.2×27.9cm

芸術・思想・神話の歴史の熱心な研究者でもあったシュルレアリストは、自分たちの偉大な先達を見出してオマージュを捧げました。とはいえ、あらゆる常識に疑問符を投げかけた彼らのオマージュは、だれに捧げたものかすぐには判らない、手の込んだ表現をとることがしばしばあります。

マン・レイの《解剖台の上のミシンと蝙蝠傘(こうもりがさ)の偶然の出会いのように美しい》は、シュルレアリストがとくに大切にしていた詩句を写真にすることで、むしろストレートに、詩人ロートレアモンを讃えています。一方、注文主ヘレナ・ルビンシュタインの門出・成功・老境を、時の流れになぞらえて英雄的に描き上げた《幻想的風景》は、かなり入り組んだ「方法」の事例です。莫大な財を築いたこの実業家の英姿に、ダリはかつての盟友アンドレ・ブルトンが重視した錬金術書の挿絵をかさねて、自分を「ドルの亡者」と罵ったブルトンに、痛烈な反撃をしかけてもいるからです。 

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サルバドール・ダリ
《ガラの測地学的肖像》 1936年
テンペラ、板 
21.0×27.0cm
ⓒ Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2017 G0962 

肖像という形式はストレートな方法の代表格といえますが、エルンストの《子供のミネルヴァ》のように、レオナルド・ダ・ヴィンチと詩人エリュアールを讃えながら、どちらにもまったく似ていない作品もあります。ここに並べたシュルレアリストたちのポートレート群も、果たして一筋縄でいくや否や?      
9. 死を克服する方法

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ヴォルス
《植物》
1947年
油彩、カンヴァス 
92.0×65.0cm

ヨーロッパでは、「死なざるもの」「死すべきもの」という語で神と人間とが区別されてきました。そうした古くからの考え方を乗り超えるために、シュルレアリストたちはギリシア神話や中世以降の錬金術の思想を参照しながら、さまざまな表現を生みだしました。

マン・レイやヴォルスの作品が示す、生命のはじまりを内包する卵・胚といったモチーフへの執心。アルプが繰返し試みた、不定形にうごめく生成の力強いイメージ。ヴィフレド・ラムは、アダムとイヴのモチーフに、自身の出自であるキューバ・アフリカ系の民俗信仰や中国の易経の象徴を重ね、聖書の逸話――人間が産みの苦しみと死の運命を負わされる原罪の物語――を、より普遍的な「陰(女性)」と「陽(男性)」の対立・結合のイメージへと開いていきました。決して実らぬ狂気の愛ゆえに死を迎えるナルキッソスとエコーを描いたマッソンの作品では、水仙と木霊(こだま)に変じる主人公たちの「転生」も、ひとつの主要なモチーフとなっています。 
10. 絵と言葉が出逢った

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アンドレ・マッソン 
ルネ・クルヴェル『断簡集』の挿画
1965年刊行(ルイ・ブロデ、パリ)
エッチング、アクアチント 20.6×17.2cm
ⓒ ADAGP, Paris & JASPAR Tokyo, 2017 C1768

思いがけないモノとモノとを遭遇・衝突させることで、観る者の既成概念を揺るがし、私たちの無意識に潜むイメージを呼び覚まそうとしたシュルレアリストたちは、絵と言葉の間にも、やはり、「思いがけない出逢い」を期待しました。この方法をもっとも得意としたのが、マグリットです。「風景画の町の名前とか、肖像画のモデルの名前とか、描かれた人物に与えられた象徴的な役割とかを伝えるタイトルは、一種の情報でしかない。絵画にとって極上のタイトルは、私たちに何も教えてくれないけれど、必ずや観る者を驚かせ、魅了してくれる、そんな詩情あふれるタイトルだ」(”RENÉ MAGRITTE Écrits complets,” Flammarion, 2009, pp.262-263より抜粋・訳)とマグリットは考えました。

ここでは、マグリットのことばを実践したような――題名が絵や彫刻を解説しない、挿絵が詩や物語を図解しない――作品を紹介します。シュルレアリストたちが差しだす「出逢い」が、みなさんそれぞれの内なるイメージと響き合い、ひとつの解釈に集約されない作品とのゆたかな対話に拡がることを願って…。      
11. シュルレアリスムはスタイルか?

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川口軌外《群像》
1941年(昭和16)116.7×73.0cm
油彩、カンヴァス
川口京村氏寄贈

日本におけるシュルレアリスムは、1920年代半ば、西脇順三郎(にしわき・じゅんざぶろう)や瀧口修造(たきぐち・しゅうぞう)を中心とする文学グループからはじまりました。美術においても、二科会第16回展(29年)で古賀春江(こが・はるえ)や川口軌外(かわぐち・きがい)が「超現実主義(シュールレアリスム)」と呼ばれる絵画を発表したのを皮切りに、ブルトンの『超現実主義と絵画』の翻訳・刊行(30年)、福沢一郎(ふくざわ・いちろう)の滞欧作をまとめて展示した独立美術協会第1回展の開催(31年)、「巴里(パリ)東京新興芸術展」への本格的な海外作品の招来(32年)など、シュルレアリスムの火付役というべき活動が相次ぎます。1937年には、400点近い作品・資料による「海外超現実主義作品展」が全国5都市を巡回。独立美術協会から分裂し結成された新造型美術協会を軸に、若い画学生の同人グループでも、シュルレアリスム的な制作が試みられていきました。     

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瑛九《バレリーナ》 
1950年頃(昭和25頃)
ゼラチン・シルバー・プリント 
27.8×21.6cm

プロレタリア芸術運動とも結びつきながら、抽象美術とならぶ最新の表現(モダニズム)の二大潮流として広まった日本のシュルレアリスムは、本家本元のような一貫性を見出し難いと批判的に語られることもあります。しかし、戦時体制へと傾斜する切迫した時代に生まれた多様な作品群は、芸術のひとつの様式(スタイル)に留まることなく、内容と表現の両面で日本の近代芸術の枠を押し拡げた、シュルレアリスムのゆたかな成果とみることができるでしょう。     
【特集展示】石内 都「絶唱、横須賀ストーリー」

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石内 都
《絶唱、横須賀ストーリー #58》
1976-77年(昭和51-52)
ゼラチン・シルバー・プリント
45.5×55.8cm
ⓒ Ishiuchi Miyako

石内都(いしうち・みやこ、1947年生まれ)は、横浜と東京を拠点に活動を続け、国際的に高い評価を得ている写真家です。初期三部作として知られる〈絶唱、横須賀ストーリー〉〈Apartment〉〈連夜(れんや)の街〉シリーズは、いずれも荒々しい肌合いを特徴とするモノクローム写真です。自叙伝的な視点で横須賀の街並み、古いアパート、旧赤線跡地の建物を撮ったこれらの作品によって、石内は写真家としての評価を確かなものにしました。

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石内 都
《絶唱、横須賀ストーリー #30》
1976-77年(昭和51-52)
ゼラチン・シルバー・プリント
45.6×55.9cm
ⓒ Ishiuchi Miyako

〈絶唱、横須賀ストーリー〉は、石内のデビュー作で、現在まで続く写真表現の原点となるシリーズです。横須賀は、6歳から19歳まで暮らした街であり、いつまでも馴染むことができなかった場所として心に刻まれているといいます。石内は、約1年をかけて横須賀の風景を撮影しましたが、米兵たちがたむろしているから女性が一人で歩くのは危険だと子どもの頃に言われていたドブ板通りには、カメラを向けることができませんでした。銀塩写真特有の黒い粒子に覆われたプリントには、軍港の街・横須賀に対する石内の痛みや嫌悪感など、複雑な思いが込められています。

ここでは、石内が横浜の暗室で現像したヴィンテージプリント55点とともに、撮影時に使った地図(作家蔵)を展示します。また、本作から約10年後に高校時代の同級生を横須賀港で撮影した〈同級生〉シリーズより、当館所蔵の2点を紹介します。      

基本情報

会期2017年12月9日(土) ~ 2018年3月4日(日)                                            
開館時間    10時~18時
*2018年3月1日(木)は16時まで
*2018年3月3日(土)は20時30分まで
*入館は閉館の30分前まで
休館日       木曜日(ただし、2018年3月1日を除く)
年末年始(2017年12月28日[木]~2018年1月4日[木]) 
主催横浜美術館[公益財団法人横浜市芸術文化振興財団]

観覧料

一般500(400)円                   
大学・高校生300(240)円                     
中学生100(80)円
小学生以下無料

*( )内は有料20名以上の団体料金(要事前予約)
*毎週土曜日は、高校生以下無料(生徒手帳、学生証をご提示ください)
*障がい者手帳をお持ちの方と介護の方(1名)は無料
*毎月第3月曜日は横浜市在住の65歳以上の方無料(「濱ともカード」をご提示ください)
*企画展ご観覧当日に限り、企画展の観覧券でコレクション展もご覧いただけます。  

関連イベント

ギャラリートーク(コレクション展 2017年12月9日[土]-2018年3月4日[日])

さまざまな切口で学芸員やエデュケーターが作品の見どころや楽しみ方を紹介します。

日程
2017年12月22日 展覧会担当学芸員
2018年1月12日 教育プロジェクトエデュケーター
2018年1月26日 市民のアトリエエデュケーター
2018年2月9日・23日 教育プロジェクトエデュケーター
いずれも金曜日
時間いずれも14時~14時30分
会場コレクション展展示室
申込み        不要
参加費無料(当日有効の観覧券が必要)

学芸員によるレクチャー(コレクション展 2017年12月9日[土]-2018年3月4日[日])

■学芸員によるレクチャー「シュールな美術のたのしみ方」
「讃える方法」「絵と言葉が出逢った」など、いくつかの展示セクションを中心に、出品作の魅力に迫ります。

日程2018年2月11日(日・祝)
時間14時~15時45分(13時30分開場)
会場円形フォーラム
レクチャー中村尚明(横浜美術館 主任学芸員)
坂本恭子(横浜美術館 学芸員)
定員80名
参加費無料
申込み不要

新しくなった横浜美術館へようこそ新しくなった横浜美術館へようこそ

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