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建築

横浜美術館の建築について

横浜美術館は、日本のモダニズム建築の巨匠と称される建築家・丹下健三(1913-2005年)が設計しました。生涯で民間公共あわせて400もの建築を手がけた丹下が国内で初めて美術館として設計した建築(※)、それが横浜美術館です。

2023年に着工40周年となる「みなとみらい21地区」は、かつて造船所であった場所に造成された計画都市です。横浜美術館は同地区の中心に位置するシンボリックな文化施設として建設されました。新しい街と美術館はどのような関係をつくることができるのか。都市構想に関わった多くの人の想いは、建築家・丹下健三に託されたのです。

横浜美術館を訪れると、公園に面したファサードがひとびとを迎えます。8階建ての半円柱のタワーが中央にそびえ、低層に広がる部分は展示フロア、向かって右端の棟にはアトリエ、左端の棟には美術図書室が左右対称に配されています。「みる」「つくる」「まなぶ」という横浜美術館の基本理念を、建物が象徴しているのです。

横浜美術館全景
撮影:新津保建秀

左右対称性とまるしかくのモチーフ

シンメトリー(左右対称)に長く伸びるファサード。その外壁に丸と四角が交互に意匠化されているのが見えますか。「フォルス・ウィンドウ」(にせ窓)として、壁面に視覚的な変化が付けられているのです。

建物を真上から見てみると、展示フロアには、ひときわ印象的な、円形と正方形の展示室が左右対称に配置されています。公園口から入るとグランドギャラリーと名付けられた吹き抜けの大空間が広がり、左右に配された大階段など、館内のさまざまな場所でも、丸と四角のモチーフを発見することができます。

横浜美術館の正面
外壁のフォルス・ウィンドウ(にせ窓)
撮影:加藤健
展示室フロア(3F)の平面図

目的を明確にもたないスペースこそ大切に

丹下は、単に美術鑑賞の場としてだけでなく、市民の交流や文化活動の拠点としての美術館を目指し、横浜美術館の設計を進めました。

作品を鑑賞する前にたたずんだり、展示室から展示室へと移ったりしていく、または展示室を後にしてひと息ついてから帰っていく、そういった「目的を明確にもたないスペースこそが大切」だと語っていたといいます。グランドギャラリーに象徴されるように、横浜美術館には、ひとびとが自由に行き交い過ごすことができるような特徴的な空間が設けられています。

それでは、美術館に入っていきましょう。

ポルティコ

イタリア語で「柱廊・回廊」という意味のポルティコ。165mにも及ぶ長い柱廊は、半屋外的なスペースとして外から内へのアプローチであると同時に、左右の棟と中央の棟をつなぎます。「みる」「つくる」「まなぶ」世界へとひとびとを誘う空間といえるでしょう。

日差しを避けて休憩したり、会話をしたり。「雨に濡れず、広場の空気を感じながら歩けたら素晴らしいじゃないですか」と丹下は語っていたといいます。

ポルティコ
ポルティコ
撮影:新津保建秀
グランドギャラリー

建物内に入ると、そこには御影石をふんだんに使った開放的な大空間が広がっています。最頂部・約16m、左右・約63m、奥行き・約16m(円形部は+11.6m)の「グランドギャラリー」は横浜美術館のもっとも印象的な空間です。

開閉式のルーバーが取り付けられたガラス張りの天井からは自然光が採り込まれ、季節や日の光のうつろいが感じられます。左右には、展示フロアへとつながる階段状のスペースが立ち上がり、他に類を見ない個性的な空間をかたちづくっています。

グランドギャラリーは、訪れる人を迎えるだけでなく、街のひとびとの屋内広場として、公共的な役割も担っています。

グランドギャラリー
撮影:新津保建秀
撮影:新津保建秀
展示フロア

グランドギャラリーから上階へ移動すると、展示フロアです。7つの展示室は、グランドギャラリーの吹き抜けを囲む回廊に沿って配置され、各展示室を移動する際には、この回廊を通過するように設計されています。

展示室の前に広がる空間では、グランドギャラリーを一望したり、椅子に座って休憩したり、観たばかりの作品を反芻したり、思い思いの時間を過ごすことができます。

こうした回廊やグランドギャラリーといった「余白」とも言えるスペースは、横浜美術館の特徴のひとつと言えるでしょう。

ギャラリー5
撮影:新津保建秀
ギャラリー2
撮影:新津保建秀

設計者・丹下健三とその想い

丹下は、代表作の多くを「都市の中にどのように建築物があるべきか」という視点で構想し、建物の中、そして、そこにつながる外の敷地には、たくさんの人が集える「広場」を備えました。

「市民にとって快適な鑑賞や創作のできる、使い易い美術館としての機能」と、「文化的シンボル、モニュメントとしての外観」を両立させながら、「みる」だけではなく、「つくる」、そして、「まなぶ」ことができる新しい美術文化センターとなるよう、横浜美術館に期待が込められたのです。

建物は、1989(平成元)年3月から開催された「横浜博覧会」のパビリオンのひとつとして使用され、博覧会終了後の同年11月に横浜美術館として正式に開館しました。

プロフィール

1913年大阪生まれ。1938年東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科を卒業。ル・コルビュジエに傾倒し、その教え子である前川國男の建築事務所に入る。1941年東京帝国大学大学院に入学。卒業後、1946年から1974年まで母校で教壇に立ち、1987年には建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を日本人として初めて受賞した。槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生など多くの優れた建築家を育成するとともに、ミラノ工科大学、ハーバード大学など世界各国で教育に携わった。また、イサム・ノグチや岡本太郎などのアーティストや、写真家の土門拳、美術家で著述家の篠田桃紅などとジャンルを超えた幅広い交流をもったことでも知られる。2005年3月没。代表作に、広島平和記念資料館、国立代々木競技場など。

丹下健三
1986年、丹下健三・都市・建築設計研究所にて
撮影:齋藤康一
画像提供:齋藤康一写真事務所

脚注
※ 現・倉敷市立美術館は、丹下が倉敷市庁舎として設計(1960(昭和35)年竣工)し、その後美術館に転用された建物。

参考文献

  • 『横浜美術館開館30周年記念 美術でつなぐ人とみらい』(河出書房新社/2019年)
  • 「横浜市美術館(仮称)開設準備ニュース No.1」建築家 丹下健三氏と横浜市長(当時)細郷道一の対談より(横浜市市民局市民文化室/1986年)
  • 『市民グラフヨコハマ』No.66(横浜市市民局相談部広報課/1988年)

建築概要

所在地:神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1

設計:丹下健三・都市・建築設計研究所(完成当時)

敷地面積:19,803㎡

建築面積:9,621㎡

延床面積:27,014㎡

構造:鉄骨鉄筋コンクリート造8階建(一部3階建)

外壁:花崗岩ジェットバーナー仕上げ

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