19世紀後半、開国間もない日本の浮世絵や工芸品が万国博覧会などを通して紹介され、衝撃と賞賛をもって迎えられた欧米では、ジャポニスムやアール・ヌーヴォーが花開いた。それと共に日本やアジア諸国の文化への憧れと関心が急速に高まり、世界一周を可能にする航路の発展を背景に、欧米から実際に極東の国々を歴訪する芸術家たちが現れた。
本展は、明治末の1900年代から第二次大戦後の1950年代に至るまでの約半世紀間に、日本に旅したり、あるいは長期にわたって滞在して、日本を含むアジア各地の風景や風俗を木版画で表現した9人の作家を、3つの世代に分けて紹介するものである。
第一世代は、1900(明治33)年前後に来日したウィーンの画家オルリックおよびアメリカ人女性画家のハイドとラムである。彼らはそれぞれ日本の彫師、摺師や画家たちと接触し、日本での展覧会に出品するなど、日本の美術界に少なからぬ足跡を残していった。その作品世界は「古き良き日本」のイメージをつむぎ出している。第二世代は、版元・渡辺庄三郎との協力関係の内に、木版画作品を世に出した作家たちである。大正初期に、衰退していた浮世絵の復興を目ざして、渡辺庄三郎の主導による「新版画運動」が起こった。1915(大正4)年、庄三郎が最初に手がけた新版画はオーストリア人カペラリの作品であった。さらにイギリス人画家バートレットとキースの木版画があいついで渡辺版として刊行された、彼らの作品がその後の「新版画」に及ぼした影響は決して小さくない。第三世代として紹介する作家たちは、昭和になって活躍したミラー、ブラウン、ジャクレーである。彼らは、木版画制作と刊行の方法が三者三様で、時代の流れを映し出している。フランスに生まれ、生涯を日本で過ごしたジャクレーは、自ら彫師や摺師を雇って版画研究所を設立し、南洋諸島や中国・朝鮮の消え行く風俗をテーマに独特の木版画を制作した。アメリカ人ミラーとオランダ生まれのブラウンも日本だけでなく朝鮮や中国を題材にしている。
本展は、水彩画なども含め約260点の作品を通して、欧米人である彼らがアジアへ向けた眼差しとその表現の特質を明かにしようとするものである。
展覧会図録
『アジアへの眼 外国人の浮世絵師たち』 横浜美術館/読売新聞、1996年