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開館5周年記念展 恩地孝四郎 色と形の詩人

展覧会概要

この展覧会は、日本の抽象画のパイオニアとして、また創作版画運動の推進者として、日本近代美術史上に目覚しい足跡を残した芸術家、恩地孝四郎(1891-1955)の業績を総合的に紹介するものです。

恩地孝四郎は、竹久夢二の画集に感銘を受け、東京美術学校在学中の1914年、盟友の田中恭吉、藤森静雄とともに、自画自刻の木版画と自作の詩による同人誌『月映』を創刊。そこに収められた《抒情》と題する一連の作品は、我が国初の抽象画に数えられます。その後も新しい表現や技法を試みながら一貫して木版画の制作に取り組み、版画芸術の地位の向上に努めました。身体を題材とした《人体考察》や音楽から受けた印象に想を得た《リリックNo.2》の連作など、自己の内面的感情を抽象的形態に託した表現を展開する一方で、《『氷島』の著者(萩原朔太郎像)》のような優れた具象作品も生み出しています。

恩地の芸術活動は版画にとどまらず、抽象画、写真、本の装幀、詩作など多彩なものでした。北原白秋や室生犀星ら親交のあった詩人や小説家の著書を初め数多くの本の装幀を手掛け、生涯にわたり出版文化に大きく貢献しました。また写真では、ドイツの新即物主義を思わせる植物写真やフォトグラムなど実験的な手法を試みています。

恩地の芸術は、これまでむしろ海外で評価されてきた観があり、我が国でその広範な活動の全貌を紹介する展覧会は、今回が初めてだといえるでしょう。本展では、版画170点、装幀本約40点、写真約40点に素描、油彩画、レリーフを加えた約280点を展覧し、全体を(1)1909-1916年、 (2)1917-1945年、(3)1946-1955年の三つのセクションに分けて、各々の時期の特徴を浮き彫りにしつつ、多才な芸術家、恩地孝四郎の実像に迫ります。

開催日数 25日 入場者数 18,631人

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