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幕末・明治の横浜展 新しい視覚と表現

展覧会概要

安政五箇国条約の締結によって、1859年(安政6)横浜は開港場となりました。その背景には、欧米各国の植民地政策、交通網の飛躍的発展、万国博覧会の開催といった世界的規模の変動がありました。そして横浜は、一漁村から外国人居留地を擁する商業・交易の街へと急激な変化をとげたのです。国内はもとより欧米各国から商人、技術者、宣教師、ジャーナリスト、旅行者などさまざまな人々が横浜に集まり、そこは異文化が交錯する拠点となりました。画家の五姓田芳柳・義松父子、山本芳翠、高田由一、画家・写真家にして起業家の下岡蓮杖、浮世絵の歌川国芳や五雲亭(歌川)貞秀などが横浜をおとずれ、あるいは居住し、活発な創作活動をくりひろげました。また来日したペリーの随行画家ペーター・ハイネやイギリス人報道画家のチャールズ・ワーグマン、同じくイギリス人の写真家フェリックス・ベアト、フランス人画家フェリックス・レガメーやジョルジュ・ビゴーらは、日本の風俗や風景、事件を絵画や写真で表現しました。こうして東洋と西洋の美術の技法や発想がまざりあうことによって、それまでの日本には見出しえなかった新たな視覚表現が生まれたのです。それはやがて、明治政府が海外の万国博覧会への出品を積極的に推進した際に翻訳、移入された「美術」という言葉で統合され、複雑かつ多様な日本の近代美術生成の一面を形づくることになりました。

横浜開港から140年を経て開催されるこの展覧会は、1859年(安政6)から居留地が撤廃された1899年(明治32)までの40年間を範囲として、横浜を出発点として生み出されたさまざまなイメージ―浮世絵、油絵、写真、版画など―を紹介し、東西の眼(視覚)と手(表現・技法)の交錯によって生み出された作品群を展観するものです。

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