みどころ・展覧会について

本展のみどころ

1. 1950年代、日本美再発見

1950年5月、連合国軍による占領末期の東京でイサム・ノグチと長谷川三郎は出会いました。「古い東洋と新しい西洋」の関係に関心を抱いていたふたりはすぐさま意気投合し、日本美の本質を見極めるべく、京都、大阪、奈良、伊勢を旅しました。
本展では、ふたりが出会った1950年代の作品を中心に据え、長谷川との旅のあとに制作されたノグチの陶や金属、石の作品、長谷川の墨や拓刷による絵画を通して、戦後の日本美術が進むべき道を切り拓こうとした彼らのヴィジョンに迫ります。

2. ノグチ、長谷川、ふたりの代表作と日本初公開作品を多数展示!

日本の国公立美術館が所蔵する長谷川の墨、木版、拓刷による代表作が一堂に揃うほか、ノグチの石の代表作で、日本で制作され、アメリカで発表された後、長らく門外不出であった《庭の要素》(1958年)や、長谷川の知られざるフォトグラムや渡米後に制作された墨画など、日本初公開作品を多数紹介します。
絵画、彫刻、版画、写真、墨画など、約120点におよぶ作品を通して、ノグチと長谷川、ふたりの交友と創作の軌跡を辿ります。
※会期中、一部作品の展示替えがあります。
※イサム・ノグチ《庭の要素》(1958年)は、本展にさきがけて2018年11月後半より横浜美術館グランドギャラリーに展示される予定です。

3. 日米共同開催。横浜会場限定作品も!

本展は、イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)と横浜美術館による共同企画展です。
出品作の大部分は横浜開催後、米国2館(ノグチ美術館[ニューヨーク]、アジア美術館[サンフランシスコ])に巡回されますが、当館ではこれまで関東地方で紹介される機会の少なかった長谷川三郎の、日本における抽象美術のパイオニアとしての功績を代表する《蝶の軌跡》(1937年)をはじめとする抽象作品や写真などを加えて展示します。
また、近年公開されたノグチの《広島の死者のためのメモリアル》石膏モデル(1951-52年)、当館所蔵のノグチ作品もあわせて紹介します。

4. 神奈川ゆかりの作家たち

ノグチは幼少期に母親と茅ヶ崎に暮らし、1952年には北鎌倉にあった北大路魯山人の「田舎家」に新妻山口淑子と暮らしながら制作に励みました。長谷川もまた、1949年より辻堂に暮らし、翌年にノグチと運命的な出会いを果たすことで、新たな抽象表現へと進んでいきました。ノグチは制作の合間を縫ってしばしば長谷川を訪ね、ともに鎌倉の円覚寺で座禅を組んだり、辻堂海岸を歩いたりしながら交友を深めました。
1952年には神奈川県立鎌倉近代美術館(現・神奈川県立近代美術館)で日本の美術館におけるノグチの最初の個展が開催されました。これらは神奈川の美術史においても特筆すべきトピックといえるでしょう。

イサム・ノグチ
《広島の死者のためのメモリアル》
石膏モデル、1951-52年
石膏、彩色、52.4×58.5×28.6cm、
神奈川県立近代美術館蔵
©The lsamu Noguchi Foundation and Garden Museum,
New York/ARS-JASPAR

長谷川三郎《無題》1954年
紙、リトグラフ、33.5×51.2cm、
ティア&マーク・ワッツ・コレクション
Photo: Kevin Noble

古い東洋と新しい西洋の統合
―ノグチと長谷川がともに目指したもの

ノグチと長谷川が出会った1950年当時、連合国軍による占領は5年目を迎え、日本はいまだ困難な戦後復興の途上にありました。1947年に施行された日本国憲法の下で、貧しくとも、平和な文化国家を目指して、独立と国際社会への復帰が待望された時期でもあります。美術界でも新たな国際交流への期待が高まり、そこに来日した日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチは大歓迎を受けました。ノグチは画家猪熊弦一郎や建築家丹下健三、デザイナー剣持勇ら、重要な美術家や建築家と出会いますが、長谷川三郎の存在は特別に大きな意義を持っています。

ノグチと長谷川、ふたりの芸術家が共有した目標は、「古い東洋と新しい西洋の統合」といえるでしょう。伝統とモダン、固有のものと外からの影響、それらのバランスをこれからの美術の中にいかに実現していくか。この課題意識が、彼らの作品を特徴づけています。

1954年に渡米した長谷川は、日本文化ブームに沸くニューヨークで歓迎され、墨による抽象画の制作や展覧会活動と並行して茶の湯を実践し、道教や禅を講じ、フランツ・クラインをはじめとするアメリカの抽象画家たちと交友しました。一時帰国を経て1955年以降サンフランシスコに移住した長谷川は、カリフォルニア美術工芸大学とアメリカ東洋文化研究所での講義を通して、ビート・ジェネレーションと呼ばれる作家や若い芸術家たちに大きな影響を与えました。本展では、日本国内に所蔵される長谷川の1950年代の代表作に加え、多くは日本未公開の、滞米中に制作された作品が多数出品されます。

また、1950年代にノグチがアメリカと日本を往復しながら制作した陶、石、アルミニウム、鋳鉄、鐘青銅、バルサ材による彫刻、数々の「あかり」などの作品には、ノグチが長谷川とともに日本で見た古い文化遺産や、長谷川との対話を通して深めた禅や東洋思想への理解が本質となって現れていると言えます。小さな陶の《顔皿》から等身大を超えるアルミ板の《雪舟》、哲学的なタイトルをもつバルサ材の《死すべき運命》、そして高さ2.6mの石彫《庭の要素》まで、素材も規模も様々な作品群は、スタイルや表層的な日本趣味とは異次元の、時代や文化の違いを超えた世界美術に向けたノグチの挑戦といえるでしょう。今日わたしたちが抱くノグチ芸術のイメージの基本はこの時期に形作られたといっても過言ではありません。

長谷川三郎《無題》1954年
紙本墨、138.8×70.0cm、
学校法人甲南学園 長谷川三郎記念ギャラリー蔵

イサム・ノグチ《捜す者、捜し出したり》1969年
玄武岩、94.0×100.3×49.8cm、
イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵
©The lsamu Noguchi Foundation and Garden Museum,
New York/ARS-JASPAR
Photo: Kevin Noble

本展はニューヨークのイサム・ノグチ財団・庭園美術館と横浜美術館の共同企画です。出品の大部分は横浜会期終了後、ノグチ美術館(ニューヨーク)、アジア美術館(サンフランシスコ)で巡回展示されます。
横浜会場では、これら巡回作品に加え、長谷川三郎の《蝶の軌跡》をはじめとする戦前期の作品、近年公開されたノグチの《広島の死者のためのメモリアル》石膏モデルと、当館所蔵の6点のノグチ作品をあわせて展示します。

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