横浜美術館リニューアルオープン記念展
日本と韓国、アートの80年
横浜美術館リニューアルオープン記念展の最後を飾る企画展として、「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」を開催します。
地理的にも文化的にも近しい他者として、長い歴史を歩んできた日本と韓国。
ドラマや映画、音楽、ファッション、メイクといったKカルチャーはいまや世界を席巻し、わたしたちにとって、韓国の文化はますます身近で、なくてはならないものになっています。
そんなとなりの国のことを、もっと知ってみたいと思いませんか。
この展覧会は、ゆたかな歴史を育んできた日韓両国のアートを通して、たがいの姿や関係性を、あたらしく発見しようとするものです。
あるものの特徴をよく理解するためには、別のものと比べてみる、というとてもシンプルな方法があります。
アートを理解する時にも、この方法は有効です。
「いつもとなりにいるから」、刺激を与えあったり、時にぎくしゃくしたり――
歴史的なわだかまりや政治的なまさつを、簡単にのり越えることはできません。
けれども、アートを入口に「おとなりさん」のことを考え、わたしたち自身を見つめ直すことは、これから先もともに生きるための、勇気やヒントを得ることに繋がるはずです。
本展は、1965年の日韓国交正常化から60年となる節目に合わせ、韓国の国立現代美術館との共同企画により開催します。
同時に、「おかえり、ヨコハマ」「佐藤雅彦展 新しい×(作り方+分かり方)」につづき、横浜美術館リニューアルオープンの理念である「多文化共生、多様性尊重」を表現します。
本展のみどころ
両国の美術館が、およそ3年間のリサーチと準備期間を経て実現させる展覧会です。
横浜で開催後、2026年5月から国立現代美術館果川でも開催します。
韓国の国立現代美術館の所蔵品から優品19点が来日するほか、日本初公開の作品、本展のための新作もご覧いただけます。
1945年以降の日韓美術の関係史をひも解く、はじめての展覧会です。
両国のアートを通して、わたしたちの現在地、そして、ともに生きる未来をみつめます。
1章 はざまに―在日コリアンの視点
1945年の日本の敗戦により、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されます。しかし、それとほぼ同時に北側をソ連軍、南側を米軍が統治することになり、1950年に起きた朝鮮戦争を経て、半島は大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分断されました。そして、日本と大韓民国の国交が正常化する1965年までの約20年間、日本と朝鮮半島には正式な国交が結ばれていない時期が続きました。展覧会の最初の章では、日本と朝鮮半島の「はざま」にいた在日コリアンを軸に、この20年間をたどります。また、この時代をテーマとした2010年代以降の日韓両国の作品も展示することで、現在の視点から、国交の「空白期」をふりかえります。
曺良奎《マンホールB》
1958年 油彩、カンヴァス 130×97.3cm
宮城県美術館蔵
郭仁植《Work》
1963年 ガラス、麻布 46×120.7cm
国立国際美術館蔵 ©ギャラリーQ
2章 ナムジュン・パイクと日本のアーティスト
現在、世界的なビデオ・アーティストとして知られるナムジュン・パイク(白南準)は、日本の植民地時代の朝鮮半島に生まれ、1950年に来日して、東京大学の美学美術史学科に学びました。その後ドイツ、そしてアメリカに渡り活躍しますが、パイクは日本語が堪能で、生涯にわたって日本のアーティストやクリエイターたちと親交を結びました。ここでは、日韓国交正常化の時期を前後して、同時代の日本の美術界と特異な立ち位置で関ったナムジュン・パイクを中心に、日韓のアーティストたちの繋がりを紹介します。
ハイレッド・センター《「シェルター計画」人体展開図写真(白南準)》
1964年 写真 26.7×28.8cm
個人蔵 ©Genpei AKASEGAWA, Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
安齊重男《1970年代美術記録写真集 「ナムジュン・パイク 1978年5月 草月会館」》
1978年 写真 27.9×35.6cm
東京都現代美術館蔵 ©Estate of Shigeo Anzaï, Courtesy of Zeit-Foto
3章 ひろがった道 日韓国交正常化以後
1965年、日本は朝鮮半島の南側である大韓民国とのみ、国交を正式に樹立しました。これにより、それまで公式な人や物の移動が難しかった両国間に、一気に交通が開けます。以後、日本では同時代の韓国のアートを紹介する展覧会が、規模の大小を問わず数多く開催されるようになり、韓国でも同様の動きが起こっていきます。この章では、1960年代後半から80年代を中心に、両国の同時代美術がどのように相手の国に紹介されたのかをみることで、日韓のアート界がいかに刺激を与えあっていたかを探ります。
朴栖甫《遺伝質1-68》
1968年 油彩、カンヴァス 79.8×79cm
国立現代美術館蔵 ©PARKSEOBO FOUNDATION
李禹煥《線より》
1977年 岩絵具、膠、カンヴァス 182×227cm
東京国立近代美術館蔵 ©Lee Ufan
山口長男《軌》
1968年 油彩、板 182×182cm
横浜美術館蔵
郭徳俊《フォードと郭》
1974年 ゼラチン・シルバー・プリント 150×104cm
横浜美術館蔵
4章 あたらしい世代、あたらしい関係
1980年代末、中村政人は韓国政府の国費留学生として美術大学の名門弘益大学に留学し、当時のソウルのアート界や、同世代のアーティストたちと繋がりを持つようになりました。植民地支配によって、近代期に多くの留学生が朝鮮半島から日本へ渡る流れがつくられましたが、アート界における逆流の先駆けが、ここで生じます。この章では、1992年にソウルで開催された中村政人と村上隆による伝説的な2人展「中村と村上展」を起点に、同時代のソウルで活動をはじめていたイ・ブル、チェ・ジョンファの作品を紹介します。前章までの動向とは異なる、あたらしい世代による、あたらしいアイデア、メディアの作品が登場した時代です。
中村政人《トコヤマーク/ソウル》
1992年 韓国製床屋マーク、鉄他 161×φ130cm
個人蔵
5章 ともに生きる
韓国でながらく続いた軍事独裁政権は、民衆の力により1987年に終わりを迎えました。民主化に連帯する動きは韓国国内だけでなく、国外在住のアーティストにも広がり、アートと社会の問題がわかちがたく結びついた作品が生まれます。このような意識は現在のアーティストたちにもかたちを変えて引き継がれ、見過ごされがちな社会の問題を提起することは、いまではアートの大切な役割のひとつになっています。展覧会の最後の章は、現在、そして未来を「ともに生きる」ための気づきを、作品からみつけてほしい、そんな思いで締めくくります。
富山妙子《光州のピエタ》
1980年 スクリーンプリント 49.8×63.7cm
横浜美術館蔵
百瀬文×イム・フンスン《交換日記》
2014-18年 ビデオ 64分
個人蔵
灰原千晶、李晶玉《区画壁を跨ぐ橋のドローイング》
2015年 デジタルプリント、色鉛筆 30.5×39.5cm
個人蔵
田中功起《可傷的な歴史(ロードムービー)》
2018年 ビデオ・インスタレーション サイズ可変
個人蔵