中島清之を語る

父への想い出

中島 千波

父が京都から横浜の叔父を頼ってきたのが16歳、終生横浜を離れず創作活動の場として来ました。私が小中学生の頃には、日曜ともなれば散策をしたり、美術展へも沢山連れて行ってくれました。そんな時にはいつでもメモ帳をポケットに忍ばせて即座にスケッチをしている姿が思い出されます。スケッチの虫というところでしょう。ある時は、テレビに映るとても個性的な顔立ちの歌手を名前も知らずにスケッチをしていました。更にはNHKホールまで出掛けて完成させたのが、ちあきなおみさんが歌う姿を描いた《喝采》です。父はその時代という状況の中で、自身の思った通りの自意識を貫徹する事に重きを置いて生きた様に思います。

  • 中島 千波

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