近代日本の残像−幕末明治から大正へ
鎌倉大仏 | フェリーチェ・ベアト

フェリーチェ・ベアト (1833/34-ca.1908)
《鎌倉大仏》
1865-68年頃
アルビュメン・シルバー・プリント、手彩色
Felice Beato (1833/34-ca.1908)
KAMAKURA DAIBUTSU
ca.1860 Colored albumen silver print

 1848年(嘉永元)のダゲレオタイプ(銀板写真)の移入にはじまり、1853年(嘉永六)のペリー来航を契機に本格的に日本国内に普及していった写真メディア。以後、急速な近代化の中で技術・表現両面における進歩を重ねながら、写真は社会と人々の生活の中に浸透していきました。ここでは、変わりゆく日本の姿を記録した幕末明治期の古写真、そして芸術表現としての固有性を模索した大正期の写真により、近代日本における初期の写真表現の軌跡をたどります。
 幕末明治期に横浜の外国人居留地を拠点に活動したフェリーチェ・ベアトがエキゾチシズムの眼差しを込めて撮り収めた日本各地の風物。ベアトと同時期に商業写真の草分けとして活躍した下岡蓮杖[しもおか・れんじょう]や、明治後期を代表する写真師であった小川一真[おがわ・かずまさ]らによる同時代の有名・無名のポートレイトに映し出された当時の風俗。絵画を規範とする「芸術写真」を標榜した大正期のピクトリアリズムの写真家・梅阪鶯里[うめさか・おうり]がとらえた抒情の風景。そこに撮り収められたものすべては日本の近代化の証言であり、また写真というメディアの存在と技術・表現の進歩自体が近代化の証拠でもありました。
 今日に残されたこれらの映像(イメージ)は、当時の人と社会にまつわる豊かな情報を提供してくれると同時に、その画面に収まらなかった場所やもの、あるいは撮影者の思い、といったフレームの外側にまで、観るものの「イメージ」を拡げさせてくれます。

ヨコハマ・フォト・トライアングルこのセクションは、「ヨコハマ・フォト・トライアングル」の一つとして展開しています。
「ヨコハマ・フォト・トライアングル」は、横浜美術館・横浜市民ギャラリー・横浜市民ギャラリーあざみ野の各館で開催される写真展の総称で、3館の展示を通して、開港当時からの写真の歩みと現代の写真表現をご紹介するものです。