次々と新しい表現が展開するなかで、1950年代末頃から、絵画もカンヴァスや紙に絵具をのせた物質であると考えたり、描く行為自体を表現とみなす人びとが現れました。この傾向は、ともすると絵画という形式の否定につながります。現代の絵画は、原点に立ち戻って再生する必要に迫られたといえるでしょう。
既成の芸術表現を鋭く批判した中西夏之(なかにし・なつゆき)は、その油彩作品において、絵画が生成する時間と場を再現することをめざしました。白い地を活かした画面は、絵筆が置かれたばかりのようなみずみずしさを湛(たた)えています。辰野登恵子(たつの・とえこ)は、丹念に筆触を重ね色を重ねることで、言い知れぬ奥行きを二次元的平面にもたらしました。作品には、幾何学的な形態が収縮・膨張を繰返しているような生命感が漂っています。宮崎進(みやざき・しん)は、シベリア抑留時に使った麻布袋の記憶から、彫塑のごとく麻布を盛りあげた絵画をつくりました。そこにみなぎる重みは、素材の質感以上に実体験のリアリティーに支えられています。純粋無垢なだけでなく、残酷さや孤独をも抱える「子ども」のイメージを、幼稚さを装った表現で描きだす奈良美智(なら・よしとも)。ドローイングに想を得たその軽やかな作品は、絵画のあらたな可能性を示しています。 |