1859年に横浜が開港して後、日本は近代国家への脱皮を目指し、西洋の文化・文明を積極的に摂取しました。美術においても西洋画の表現や技法の導入が盛んに行われました。高橋由一は、1861年に報道画家として来日したチャールズ・ワーグマンに師事して西洋画の技法を学び、日本洋画の端緒をひらきました。1877年に描かれた《愛宕山より品川沖を望む》には、由一が学び取った繊細な筆致と遠近法が用いられています。
 油彩画をより本格的に学ぶために、欧米に留学する画家もあらわれました。1880年にパリにわたった五姓田義松は、古典的な絵画技法の習得に励みましたが、1905年に渡欧し、ローマを経てパリにおもむいた有島生馬は、アカデミックな技法を学ぶかたわらで、セザンヌらの前衛美術に接しました。おのおのがそれぞれの方法で西洋画を吸収したのです。
 しかし洋画家たちの中には、西洋の絵画技法をもって、日本という異なる環境で異なる対象を描く時、岸田劉生のように、西洋と日本との間隙に直面して苦悩する者も多く、その壁を越えて日本人固有の油彩画を生み出すことが大正期の洋画の大きな課題となりました。

・有島 生馬  "背筋の女"  1909年  油彩、カンヴァス 85-OJ-001
・恩地 孝四郎  "童児図"  1923年  油彩、カンヴァス 90-OJ-002
・川口 軌外 "作品"  1925年頃  油彩、カンヴァス  川口京村氏寄贈 86-OJ-013
・岸田 劉生  "椿君之肖像"  1915年  油彩、カンヴァス 85-OJ-008
・木下 孝則  "樹蔭読書"  1921-23年  油彩、カンヴァス 91-OJ-006
・河野 通勢  "自画像"  1918年  油彩、厚紙 85-OJ-009
・河野 通勢  "崖"  1919年  油彩、カンヴァス 85-OJ-010
・五姓田 芳柳  "大崎屋嘉祢女像"  1885年  絹本着色 85-JP-008
・五姓田 芳柳  "孟母断機図"  1889年  絹本着色、額  速水ひろ江氏寄贈 91-JP-004
・五姓田 義松  "鶏"  制作年不詳  油彩、板 85-OJ-011
・五姓田 義松  "埼玉県熊谷駅"  制作年不詳  水彩、紙 91-DRJ-00B
・五姓田 義松  "或る神社図"  制作年不詳  水彩、紙 88-DRJ-00G
・五姓田 義松  "井戸端で洗濯する婦人図"  制作年不詳  水彩、紙 88-DRJ-00H
・佐伯 祐三  "滞船"  1926年頃  油彩、カンヴァス 85-OJ-012
・里見 勝蔵  "ポントワーズの雪景"  1925年  油彩、カンヴァス 87-OJ-004
・清水 登之  "ヨコハマ・ナイト"  1921年  油彩、カンヴァス 82-OJ-022
・高橋 由一  "愛宕山より品川沖を望む"  1877年  油彩、カンヴァス 88-OJ-034
・村山 槐多  "山本たけの肖像"  1915年  木炭、紙 83-DRJ-014
・村山 槐多  "自画像"  1918年  木炭、紙 83-DRJ-015
・渡辺 幽香  "白衣婦人像"  1883年  絹本着色、額 92-JP-004
・渡辺 幽香  "幼児図"  1893年  油彩、カンヴァス 88-OJ-073
・渡辺 幽香  "大礼服の渡辺文三郎像"  1899-1900年  油彩、カンヴァス 速水ひろ江氏寄贈 91-OJ-022
・チャールズ・ワーグマン  "室内"  1873年  水彩、紙 84-DRF-009
・チャールズ・ワーグマン  "舟遊び"  1876年  水彩、紙 85-DRF-001
・チャールズ・ワーグマン  "日傘の女"  制作年不詳  油彩、カンヴァス 84-OF-00B
・チャールズ・ワーグマン  "御茶漬屋"  制作年不詳  水彩、紙 84-DRF-010



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