展示風景
第一次世界大戦の敗戦を経て、社会と生活の急激な変化のただ中にあった1920年代のドイツ。経済の復興にあわせて、芸術においても大きな変革が見られました。第一次大戦前のヨーロッパでは、個人の精神の発露に重きをおく「表現主義」が主流でしたが、その反動として、社会とそこに生きる人間の姿を外側から冷徹かつ即物的に捉える「新即物主義」(ノイエ・ザッハリヒカイト)がドイツに興ります。それは写真の分野において、「ノイエ・フォトグラフィー」と称される一大潮流を形づくっていきました。
ノイエ・フォトグラフィーの芸術においては、人間も、自然物も、機械も、建築物も、社会を構成する一要素としてほとんど同列に扱われます。アルベルト・レンガー=パッチュ(1897-1966)は、都市や機械、そして植物などを被写体に、強いコントラストの効果を駆使しながら、その造形性に鋭く迫る写真を制作しました。そのような非人間的ともいえる醒めた視線は、アウグスト・ザンダー(1876-1964)の人物写真にも認められるでしょう。
これらの動向は、同時期にバウハウスを中心に展開した「構成主義」の美学とも密接に繋がっていました。人体をひとつの物質的被写体として捉えるノイエ・フォトグラフィーの眼差しは、バウホイスラー(バウハウス所属の芸術家)のひとり、ヨースト・シュミット(1893-1948)のマネキンと仮面の写真にも相通じています。
一方ロシアでは、1917年の革命と社会主義国家の樹立と前後して、「ロシア構成主義」運動が隆盛します。その代表的芸術家であるアレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)は、絵画、立体、デザインなどさまざまな分野で革新的な仕事をおこないました。写真分野におけるロトチェンコの作品は、被写体の多様性とその物質的側面への肉薄、大胆なアングル、コントラストの強調などの点において、ドイツのノイエ・フォトグラフィーとの深い関係性を明らかにしています。