展示風景
川上澄生(かわかみ・すみお)は、1895年(明治28)横浜に生まれました。幼少期より文学や詩に親しみ、12歳の時に、フランスで木口木版技法を学んだ合田清(ごうだ・きよし)と知り合います。版画に興味を持った澄生は、独学で木版画の制作を開始。やがて雑誌に口絵を投稿し始め、18歳の時には『秀才文壇』の口絵募集で2等になります。1921年からは栃木県立宇都宮中学校(今日の県立宇都宮高等学校)で英語教師として働きながら、夜には彫刻刀を握り、版木に向かう生活を続けました。1958年に同校を退職した後は創作活動に専念し、南蛮文化や文明開化の文物をモチーフとした作品を発表。自作の文章と版画を合わせた本の出版や展覧会への出品を重ね、77歳に亡くなるまで生涯で数千点にのぼる作品を残しました。
澄生は戸張弧雁(とばり・こがん)著『創作版画と版画の作り方』から、版木の「見当」(刷る紙の位置を正確に決めるための目印)をつける方法など、版画制作の基礎を習得しました。一方、絵具は版画用以外に油絵具や岩絵具を、用紙は和紙のほか藁半紙や艶紙(出品作《シュークリーム》参照)など、身の回りで手に入る材料を活用しました。さらに油絵具で摺った後に金粉をふりかける方法や、柔らかくした革に空摺(からずり=絵具をつけていない版木に用紙を乗せ、バレンで摺って凹凸をつける方法)を施す「革絵」など、様々な技法を研究しました。
澄生が3歳の時に一家は東京に移住しますが、《横濱懐古》、《よこはまはわがふるさと》にも見られるように、澄生は明治の横浜の姿を繰り返し描いています。「明治時代の西洋風の風俗をとり入れた文明開化時代が、又私の興味を引くのです、…(中略)…自分の生活がその時代の中にあるのです」と、澄生はその著書『版画』の中で語っています。
横浜美術館は川上澄生の木版画、水彩画など101点を所蔵しています。その中から「横浜」「文明開化」「南蛮もの」など、代表的な作品をご紹介します。