2017年12月9日(土) ~ 2018年3月4日(日)
石内が長年暗室を構えた「横浜」は、重要な被写体でもあり続けてきました。関東大震災後に山下町に建てられた高級アパート「互楽荘(ごらくそう)」や、戦後、本牧の接収地に建設された米軍居住施設「ベイサイド・コート」を撮影したシリーズは、失われた横浜の風景と記憶を残す写真として貴重なものとなっています。本章では、石内が横浜の風景や建物を撮影したシリーズのほか、横浜を拠点に世界的な活躍をした舞踏家・大野一雄の身体を写した作品を展示します。
主な出品シリーズ:「金沢八景」1975-76年/「Apartment」1977-78年/「連夜の街」1978-80年/「yokohama 互楽荘」1986-87年/「Bayside Courts」1988-89年/「1906 to the skin」1991-93年/「Yokohama Days」2011年
「絹」は、石内が現在も追い続ける被写体のひとつです。被爆した女性たちが遺した絹の衣服に触発され、石内は2011年、故郷の群馬県桐生市に残された絹織物・銘仙(めいせん)を撮影します。銘仙は、ヨーロッパの前衛美術から影響を受けた斬新なデザインと鮮やかな色彩が特徴で、日本の近代化を支えた生糸産業を背景に、大正・昭和の女性たちが普段着として愛用した着物です。本章は、近代の養蚕業と銘仙に取材した「絹の夢」(2011年)をはじめ、石内と横浜をつなぐ「絹」にまつわる作品を紹介します。
主な出品シリーズ:「絹の夢」2011年/「幼き衣へ」2013年 他
「人は無垢であり続けたいと願望しながら、有形、無形の傷を負って生きざるをえない。」石内は、病気や事故の傷跡を題材にした写真集『Scars』にこのような言葉を残しています。個人の身体に残る傷跡の撮影は、石内にとって生きることの根源的な意味を問い直す作業でした。本章では、1990年代から2000年代にかけて取り組んだ女性の傷跡のシリーズ「Innocence」に加え、小説『苦海浄土 わが水俣病』などで知られる作家・石牟礼道子(いしむれ みちこ)の手足を接写した作品「不知火(しらぬい)の指」(2014年)を展示します。
主な出品シリーズ:「Innocence」1995-2017年/「不知火の指」2014年
母親の遺品を撮影した「Mother’s」(2000-2005年)、被爆者の遺品を被写体とする「ひろしま」(2007年〜)、メキシコの画家フリーダ・カーロの遺品をとらえた「フリーダ」(2012年)。石内と遺品との対話から生まれたこれらのシリーズは、従来の「母」「被爆地ヒロシマ」「フリーダ・カーロ」のイメージを解放し、新しい見方・捉え方をうながすものとして、世界各地で共感を呼んでいます。石内は、時間の堆積として被写体を考察し撮影する写真のあり方を、一貫して追求してきました。本章では、ひとつの到達点が示されます。
主な出品シリーズ:「Mother’s」2000-2005年/「Frida by Ishiuchi」2012年/「Frida Love and Pain」2012年/「ひろしま」2007年〜