構成
Ⅰ.青年期 版画家としての出発 1913-1918
美術の道に進む決心をした長谷川潔は、若い文学者や芸術家たちとの交流の中から、文芸雑誌の表紙や挿絵を木版画で制作するようになった。彫刻刀を絵筆のように使って版木を彫り、自ら摺る「創作版画」を実践した。


《風(イェーツの詩に寄す)》
1915年
木版
横浜美術館蔵


《函館港》
1917年
多色木版
横浜美術館蔵
Ⅱ.渡仏後 模索の時代 1919-1924
長谷川は、27歳のときに銅版画の技法を学ぶために渡仏した。渡仏直後の数年間は静養のために南仏に滞在しつつ、ルドン、セザンヌ、ゴッホなど、さまざまな作家の様式や版画技法の研究に没頭した。


《レダ》
1922年
エッチング、ドライポイント
横浜美術館蔵


《カーニュの教会》
1921年
多色木版
横浜美術館蔵
Ⅲ.フランス画壇での活躍と技法的実験 1925-1940
1925年に初個展を開催し、翌年にはサロン・ドートンヌ版画部会員に選出されるなどフランス画壇で実力が認められていった。この時期には、交叉線下地を用いたメゾチント(マニエール・ノワール)や、実物のレースを製版に用いる方法など、技法的実験を重ねて独自の作風を確立し、女性像、風景、静物を主要なテーマとして、多くの名作を制作した。


《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》
1930年
メゾチント
横浜美術館蔵


《聖体を受けたる少女》
1938年
ドライポイント
横浜美術館蔵
Ⅳ.第二次世界大戦中の体験と精神性の深まり 1941-1970
過酷な戦争体験の中で、長谷川の作風は転機を迎える。一本の樹を克明に描くことで、自然や生命の本質を描くことができるという思いに至った。精神的な深まりをみた長谷川は、やがて自然、宇宙、生命などを巡る自己の思想や哲学を表現するために、マニエール・ノワールが生み出す深淵で静謐な漆黒の空間を選んだ。1959年以降に制作された作品のほとんどがこの技法によるものである。


《半開きの窓》
1956年
エングレーヴィング
横浜美術館蔵


《時 静物画》
1969年
メゾチント、手彩色
横浜美術館蔵
資料 ~長谷川の創作の秘密を知る~
長谷川潔のアトリエに残されたさまざまな画材や下図などを展示。木版画の版木や銅版画の原版は、制作過程を知る手掛かりになるだけでなく、それだけで鑑賞の対象になるほど美しい。また、彫刻刀などの道具類は、作家の手のぬくもりを直接伝えてくれる。


アトリエに残された木版・銅版画用の道具
横浜美術館蔵


《横顔》の銅原版
横浜美術館蔵