横浜美術館コレクション展 2020年2月15日(土)-5月24日(日)
「横浜美術館の西洋美術 木版挿絵からボルタンスキーまで―絵画・版画・写真・彫刻」

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ポール・セザンヌ《ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山》 1892-95年 油彩、カンヴァス 73.0×92.0cm

展覧会閉幕のお知らせ(2020年5月1日)
新型コロナウイルス感染症拡大防止による休館延長に伴い、2020年5月24日(日)までの開催を予定しておりました「横浜美術館コレクション展」は、このまま展覧会を閉幕することといたしました。
お客様のご理解・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。 

展覧会概要

この展覧会は、横浜美術館コレクションの西洋美術に焦点を当て、絵画、版画、写真、彫刻を美術史の流れに沿って構成します。西洋美術だけのコレクション展は当館で初めての企画です。

横浜美術館は西洋作家による油彩画、水彩素描、版画、彫刻を合わせて約1,000点所蔵しています。なかでもダリの《ガラの測地学的肖像》やマグリットの《王様の美術館》をはじめとするシュルレアリスムの作品群と、シュヴィッタースやタトリンなど、20世紀前半にそれまでの美術の概念を覆したダダや構成主義の作品、そしてセザンヌの《ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山》やピカソの《肘掛け椅子で眠る女》、ブランクーシの《空間の鳥》などのフランス近代美術は当館コレクションを特徴づけるものとなっています。

今回はそれらに加え、これまで展示される機会の少なかった作品を数多くとり上げます。横浜に暮らした登山家・随筆家で版画コレクターでもあった小島烏水(こじま・うすい)旧蔵の16世紀から19世紀にかけての西洋版画は見どころのひとつです。ウルス・グラーフの木版画《百卒長のいるキリスト磔刑》は、1470年頃より盛んになった木版画と活版印刷のテキストを組み合わせた初期挿絵本のひとつ、『リンクマンの受難伝』(1506年シュトラスブルク初刊)の中の一葉です。また、17世紀のヨーロッパを代表する風景画家クロード・ロランによる数々のスケッチを、精緻な観察と高度な技術によって版画化したアルバム『ミュージアム・クロード』(1840年頃刊)は、写真発明以前の手仕事による複製芸術の重要な作例です。小島烏水旧蔵版画コレクションにはさらに、バルビゾン派のコローやドービニー、印象派のマネ、ドガ、ルノワール、キュビスムやフォーヴィスムなど20世紀の新たな表現を開拓したピカソやマティスの版画作品が含まれています。

19世紀半ばの写真の発明以降、美術と写真は様々な形で深く関わりあってきました。ダゲールと並ぶ写真の発明者のひとりタルボットは、風景画制作の補助として写真技術に取り組みました。それまで手仕事であった複製版画に写真技術が応用され、19世紀末から20世紀初頭にかけて名作の印刷図版が大量に出回るようになると、美術鑑賞のありかたが大きく変化します。他方、写真の普及は美術家たちに複数のオリジナルが制作できる銅版画や木版画への関心を呼び起こしました。20世紀に入ると、写真は美術の表現自体に大きな影響を与えるようになります。ダダや構成主義、シュルレアリスムの美術家たちは写真を絵画の中に取り入れたり、自ら写真作品を手掛けたりするようになります。写真や複製技術を戦略的に応用したポップアートは、今日ますます高度化する複製技術の時代を象徴するアートといえるでしょう。現代の美術家ボルタンスキーは、ホロコーストの犠牲になったかもしれないウィーンのユダヤ人学校生徒の卒業アルバムを複写して作品中に用い、観る者が生と死を再考するための重要な要素としています。

本展は、1982年以来三十余年にわたる横浜美術館の西洋美術収集の成果を幅広くご覧いただくとともに、木版挿絵からボルタンスキーに至る西洋美術500年の歴史をたどりながら、絵画、版画、写真、彫刻を通して美術における手仕事と写真の豊かな関係に思いを馳せていただく展示を目指します。

ウルス・グラーフ《百卒長のいるキリスト磔刑》

ウルス・グラーフ
《百卒長のいるキリスト磔刑》 1506年頃
木版 21.8×15.5cm

クロード・ロラン(原画)・フレデリック・クリスチャン・ルイス(刻)
『ミュージアム・クロード』パート3、No.4 1840年
エッチング、アクアチント 19.5×24.8cm
小島豊氏寄贈(小島烏水旧蔵) 

ジョルジュ・ブラック
《静物II》 1912年(1953年刷り)
エッチング 32.6×45.5cm
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2019 C3130

アンドレ・マッソン
 《ナルキッソス》

アンドレ・マッソン
《ナルキッソス》 1934年
油彩、カンヴァス 114.0×94.0cm
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2019 C3130

クルト・シュヴィッタース《メルツ絵画1C 二重絵画》

クルト・シュヴィッタース
《メルツ絵画1C 二重絵画》 1920年
アッサンブラージュ、油彩、厚紙、木
15.6×13.7cm

クリスチャン・ボルタンスキー《シャス高校の祭壇》

クリスチャン・ボルタンスキー
《シャス高校の祭壇》 1987年
写真、金属の(ビスケットの)箱、電球、電線
245.0×210.0×23.0cm
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2019 C3130

展覧会のみどころ

1.当館で初めての西洋美術だけで構成されるコレクション展!
横浜美術館所蔵の西洋作家による油彩画、水彩素描、版画、彫刻合わせて約1,000点の中から選ばれた、珠玉の「西洋美術」作品と関連写真作品のみで初めて構成した企画です。当館の西洋美術収集の成果を幅広くご覧いただけるとともに、木版挿絵からボルタンスキーにいたる西洋美術500年の歴史をたどります。 

2.必見!横浜に暮らした登山家・随筆家で版画コレクターでもあった小島烏水旧蔵の16~19世紀の西洋版画。
今回は、これまで展示される機会の少なかった作品を数多くとり上げます。とりわけ、写真発明以前のイラストレーションの重要な作品で、16世紀初頭の木版画と活版印刷のテキストを組み合わせた初期挿絵本の一葉、ウルス・グラーフの木版画《百卒長のいるキリスト磔刑》をはじめとした、横浜の版画コレクター小島烏水旧蔵作品群は必見です。 

3.フォト・ヨコハマ関連企画として写真作品に注目!
2020年1月から3月にかけて、横浜市内各所で開催される写真や映像に関するイベント「PHOTO YOKOHAMA(フォト・ヨコハマ)2020」のパートナー・イベントとして、19世紀半ばの写真技術の発明以降、現代にいたる美術と写真の様々なつながりを示す作品をお楽しみいただけます。

担当学芸員によるピックアップ作品解説
【ヨココレチャンネル第1回】ピックアップ作品解説:ヴァシリィ・カンディンスキー《網の中の赤》1927年 横浜美術館蔵


【ヨココレチャンネル第2回-1】ピックアップ作品解説:ウィリアム・ブレーク 《繁栄を回復したヨブとその妻》『ヨブ記』 第21図 1825年 横浜美術館蔵(小島烏水旧蔵) 


 【ヨココレチャンネル第2回-2】ピックアップ作品解説:ジョン・マーティン《サタンに対するイシュリエルとゼポン》ジョン・ミルトン『失楽園』より 1825年 横浜美術館蔵(小島烏水旧蔵)


 【ヨココレチャンネル第2回-3】フレデリック・クリスチャン・ルイス(刻)『ミュージアム・クロード』パート3、No.4 (クロード・ロランの原画による)1840年 横浜美術館蔵(小島烏水旧蔵)


展示構成


Ⅰ 近代以前の美術
Ⅱ 19世紀の美術① アカデミスムと近代の胎動
Ⅲ 19世紀の美術② フランスの近代 バルビゾン派からセザンヌまで
Ⅳ 20世紀の美術① キュビスムとフォーヴィスムの美術家たち
Ⅴ 20世紀の美術② ダダとその前後、構成主義
Ⅵ シュルレアリスムの美術
Ⅶ 第二次世界大戦後の美術

[グランドギャラリー]ブランクーシとシュルレアリスムの彫刻
[ホワイエ]イサム・ノグチの彫刻

作品リスト[1,309KB]  

Ⅰ 近代以前の美術
西洋版画の開花 16・17世紀―木版画から銅版画へ

西洋における、鑑賞または 瞑想の対象としての木版画は、15世紀初め頃、ドイツで作られたと思われる一枚刷りの聖人や聖母の像から始まりました。 高価な羊皮紙に代わって安価な紙が普及したことに加え、人々の知的欲求の高まりから、本の出版が始まります。 また、主体的な信仰心から画像の需要も飛躍的に高まり、同じ画像を安く大量に複製できる木版画が目覚ましい発展を遂げます。

グラーフの《百卒長のいるキリス卜磔刑》はシュ卜ラスブルクの人文主義者リンクマンが著した『キリスト受難伝』(1506年初刊)のための木版挿絵です。この本は聖書の4人の福音史家が書いたキリスト受難の物語をひとつにまとめたもので、聖書の内容を直接理解したいと望む宗教改革前夜の人々の心をとらえ、何度も版を重ねました。当館の一葉は25場面あった挿絵のひとつで、比較的後の版本から抜き取られたものと思われます。 裏面には幼児をあしらった飾りイニシアルで始まるドイツ語の本文が活字で印刷されています。画家グラーフは当時20代前半。粗削りながら、ゴシックの定型を打ち破る自発的な様式を打ち出し、観る者に新時代の到来を感じさせます。木版画一般の特徴でもある、民衆的でストレートな表現を示す作例です。

16世紀の版木は、板(梨材等)の木目にそった面(板目)に、大抵は画家が直接下絵を描き、彫師が描線を残しつつその周囲を彫り込む凸版です。繊細な明暗表現には向きませんが、版の耐久性が高く、15世紀半ばに発明された活版印刷と相性が良いため、挿絵といえば木版画の時代が1550年頃まで続きました。

凹版のエングレーヴィングとエッチングも15世紀に始まります。共に金細工師が武具や金工品に絵柄を刻む装飾技法に由来し、そのため木版画よりも繊細で高級な芸術とされました。版の消耗が早いため印刷部数が少なく、早くから愛好家の収集対象となります。エングレーヴィングはビュラン(専用の小さな鑿)で銅板に細い線を刻むことで絵柄を製版します。ヘラクレス伝に取材したアルデグレーファーの小品は教養ある収集家向けです。画家ファン・ライデンの作品はその繊細さで人気を博しました。縞状の線を交差させて明暗や濃淡を表現できるこの技法の高い再現性を活かし、イタリアでは15世紀末から絵画の名作の模写が作られ、画家の参考資料として美術の国際交流を媒介しました。

ニードル(描画針)をペンのように使って金属板上の保護膜を掻き取り、酸の腐食作用で線を彫るエッチングは、描画が容易で自由度も大きいため1515年頃より画家の間で普及し始めます。17世紀、レンブラントの時代のオランダでは、ダイナミックな明暗コントラストや表情豊かな線で風景や人物を表現できるエッチングが版画芸術の主流を占めるようになります。

Ⅱ 19世紀の美術①
アカデミスムと近代の胎動

アカデミスムは、17世紀から19世紀にかけてヨーロッパの美術アカデミー(美術の専門的研究・教育機関)の影響下に成立した絵画や彫刻の様式です。フランス、パリに 1648年に創立された王立絵画彫刻アカデミー(のちのアカデミー・デ・ボザール)や、イギリス、ロンドンに1768年に創立された王立美術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)はその国の美術活動の中心を占め、美術の形式や技術、美学的な規範を示しました。そこでは古典彫刻や裸体の素描を基礎とする高い描写力と、様々なモチーフを組み合わせて知的な意味内容を伝える場面をつくり上げる構成力が重視され、卑近な現実ではなく理想化が追及されました。画題の序列も決められ、神話や宗教、寓意(ぐうい)を主題とする歴史画を最高位として、風景画や静物画は下等な主題とされていました。

19世紀に入ると、アカデミーの芸術家たちも神話や聖書の物語だけではなく自分たちの時代に即した主題をとり上げるようになります。ドラクロワは同時代の事件をドラマティックに描いた作品をサロンに出品し、歴史画刷新の嚆矢(こうし)となりました。アングルに学んだロマン的古典主義の画家シャセリオーの版画作品、フランス中世史を同時代の視点からとらえたジャン・ポール・ローランスの油彩画やモローの幻想的な女神像は、アカデミスムの中にも新しい表現が息づき始めていることを示しています。

イギリスでは、ターナーやコンスタブルをはじめとする風景画家たちがアカデミーの中でも力を持ち、風景画は独自の発展を遂(と)げます。彼らは、フランス出身で生涯の大半をローマで過ごした17世紀の画家クロード・ロランから多大な影響を受けました。イタリアの名所を背景に神話や旧約聖書を題材にしたロランの歴史風景画は、イギリスで18世紀に流行した「グランド・ツアー」でイタリアを訪れた貴族や上流市民の間で高い人気を博しました。彼らによってイギリスへ持ち帰られたロランの作品群は、その後多くの版刻師の手で複製され、銅版画集として出版されました。『ミュージアム・クロード』は、1840年頃に版刻師F.C.ルイスがロランのスケッチをもとに制作した版画集です。精緻(せいち)な観察でロランの作品を解釈し、アクアチントで濃淡を表現して、芸術性の高い複製銅版画に仕上げています。一方、自ら銅版画家でもあったブレイクは自作の詩集に、ジョン・マーティンはミルトンの『失楽園』や旧約聖書に銅版挿絵を添えて出版し、版刻師を介さない画家の手による版画のオリジナリティーを主張しました。

アカデミスムと近代の胎動―版画と写真のつながり

19世紀の版画史を語る上で、写真との関係は重要です。写真技術のふたつの要素、光による画像の定着と複製は、1820年代から世紀半ばにかけて試行錯誤を経て確立されましたが、その中で銅版画の技術が大きな役割を担っていました。写真の発明者として知られるフランス人J.ニセフォール・ニエプスは「太陽の版画」(ヘリオグラヴュール)を開発します。感光性のアスファルト溶液を表面に塗布した銅板(またはガラスや石板など)上に、ニスを塗って半透明になった銅版画(原画)を重ねて太陽光を当てると、原画の明るい部分のアスファルト膜が硬化します。銅板を洗浄すると、硬化しなかった原画の描線部分だけが洗い流されて、絵柄が転写されます。この銅板をエッチングの技法で腐蝕、印刷すると、手描きによらない銅版複製画を作ることができます。後年、この原理(フォトグラヴュールとも呼ばれる)で写真原板を原画として写真を印刷することが可能になり、美術品の精巧な写真図版が普及しました。

本展のデューラーの《放蕩息子の帰還》は、版刻師アマン・デュランがイギリスの版画雑誌の『ザ・ポートフォリオ』のために制作したフォトグラヴュールです。一方、写真家も美術を強く意識し、彫刻や建築の名作の他、絵画の主題であった風景や肖像が写真の主題になります。ジュリア・マーガレット・キャメロンやナダールが撮影した肖像写真の中にはフォトグラヴュールとして伝わるものもあります。写真の急速な普及により、画家が自ら版を作る木版画やエッチングが盛んになります。ロバート・ブライデンによる『19世紀文学者肖像木版画集』は、人物を特徴づけるモチーフや背景を描き込んだ、写真では成し得ない、版画ならではの創意に満ちた肖像画です。写真ではなく芸術家の筆跡を直に伝える版画の芸術的価値が認められ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、銅版画や木版画に加えて石版画の豊かな展開をみることができます。

Ⅲ 19世紀の美術②
フランスの近代―バルビゾン派からセザンヌまで

19世紀前半のフランスは、革命やクーデターが勃発、王政・共和政・帝政が次々と入れ替わり、政治的な激動を経験します。産業革命によって資本主義が発展し、ブルジョワジー(新興市民階級)が台頭する一方、労働者大衆の不満から階級間の対立が顕在化してきました。19世紀半ばころより、こうした社会的情勢を受けて、美術においてもギリシア・ローマ的な理想美を規範とする古典主義を離れ、あるがままの現実を描くことを主張したクールベに代表される写実主義(レアリスム)が興(おこ)ります。

また、アカデミスムとサロンの保守的な枠組みの外で、それまで低級な画題とされていた風景画に積極的に取り組む画家たち、バルビゾン派が現れました。戸外で制作し、素朴な田園風景や家畜、農民などを描いたバルビゾン派の画家たちは、自然の新たな美や、人間と自然の共存というメッセージを提示し、産業革命によって近代化した都市で生活していたブルジョワジーの心をとらえました。彼らは版画にも熱心に取り組み、自ら筆の代わりにニードルをとって被膜で覆われた銅板に直接線刻し、スケッチ風のエッチング作品を多く残しています。画家によるエッチングは、詩人ボードレールがその芸術性を推奨したことに加え、1862年に出版人アルフレッド・カダールらが中心となり創立した腐食銅版画家協会によってブームとなります。バルビゾン派に影響を受け、筆触分割により風景や都市生活を描いたモネやシスレーら印象派の画家たちも、自由な筆致を可能にするエッチングを手がけました。同時に、多くの美術家がアクアチントやリトグラフ、ドライポイントなど様々な技法に取り組むようになり、版種ごとに異なる表現を追求しました。画家たちは版刻師を介さずオリジナル版画を制作することで、写真では実現不可能な版画ならではの美術表現を追究したのです。

世紀の終わり頃には、多くの画家たちが色刷り版画を試みるようになります。ロートレックの色鮮やかなポスターや、風刺雑誌『ル・リール』の表紙絵を先駆けとして、ドニやヴュイヤールもカラーリトグラフを手がけました。また、ゴーギャンはタヒチの記憶を幻想的な多色木版画に表現しました。こうして、画家たちのオリジナル版画が花開いた19世紀の版画史は、クライマックスを迎えます。

Ⅳ 20世紀の美術①
キュビスムとフォーヴィスムの美術家たち

写真の登場以降、画家は対象を忠実に描写することから徐々に離れ、絵画とは何か、絵画芸術を成り立たせる要素は何か、という問いに取り組むようになります。それには現実の印象を形作っている様々な要素の内、ある部分に特化した描き方を探求し、それ以外を捨てていく方法がとられました。印象派は大気を染め上げる光を色で捉えることを優先し、セザンヌは対象の形や構造、または空間の本質を自らの目で抽出し、それを絵の中で再構築しました。

1904年から06年にかけて興(おこ)ったフォーヴィスム(マティス、ヴラマンクら)は、生活空間や裸婦、肖像、静物を主題としながらも、純粋で強い色を絵の中に大胆に布置して対照させることを優先し、対象それ自体の色(固有色)や立体感、遠近法による空間表現を考慮しませんでした。マティス作《ダンス》の平面的で明快な画面からは、自信をもって人生を肯定する画家の姿勢が伝わってきます。

1907年から15年頃にかけて展開したキュビスム(ピカソ、ブラックら)では、立体や空間を平面である絵の中にどう表現するかが問われました。人は空間中を歩き回り、様々な角度から対象を見たり触れたりして理解するので、たったひとつに固定された視点から奥行きを表す旧来の遠近法では、そのような感覚を表現できません。キュビスムでは例えば顔を正面向きの目と横向きの鼻の組み合せで表現します。この様式がさらに進むと、ピカソ《ギターを持つ男》に見られるように、人体や物の形を絵の中で切り開くようにサイコロ型や円筒形の単位に分割する表現が現れます。その結果、対象の実体感は損なわれ、油彩画では色彩が減じてグレーの諧調に近づき、絵画は抽象化を極めます。これに対する反省から、1912年頃より大きな輪郭をもつ色の面を組み合せた比較的シンプルな画面(本展のブラック《画架》)が戻り、そこに壁紙や新聞紙などの切れ端が貼り付けられるようになります。ピカソは失ったものを取り戻そうとするかのように、額絵の古典ともいえるルネッサンスやバロックの絵画を研究し、自らも古典的な具象絵画を描くようになります。

キュビスムとフォーヴィスムによって西洋絵画は形と色という元素にまで還元され、写実の対極、抽象の極値が示されました。こうして対象の再現度合の物差しが最大限に広がったところで、未来派、構成主義、ダダなど新たな表現が登場してきます。

Ⅴ 20世紀の美術② ダダとその前後、構成主義
チューリヒ、ベルリン、ハノーファー、ケルンのダダ

「反芸術」または「非芸術」とも呼ばれるダダは、第一次世界大戦中の1915、16年頃、まずチューリヒとニューヨークでそれぞれの先端的な美術家や詩人たちが起こした文化的な革命運動です。当時のヨーロッパの重苦しく飽和(ほうわ)した空気の中で、各国民を巻き込む戦争が勃発したように、芸術の上に突如吹き荒れた嵐がダダでした。ダダは、メンバーそれぞれの個性を最大限発揮しつつ、共同で人々を唖然(あぜん)とさせる催し物や宣伝ビラ、展覧会などを制作することで、偏狭で古い価値観や習慣に固執する市民層を挑発し、彼らも常軌を逸してダダイストを攻撃するまで憤慨(ふんがい)させることで、それまで夢想だにされなかった本当の現実に人々を目覚めさせようとしました。

ダダはそれまでの芸術運動と異なり統一した様式(スタイル)を持ちません。しかしそこには、キュビスム、未来派、ロシア構成主義、表現主義など、20世紀初頭の芸術運動で個別に培われた表現形式やアイディアがひとつにまとめられています。ダダはそれらを総動員して「純粋な現在」の感覚や体験を表現することで、新たな人間像を提示したのでした。

当館のダダの作品は少数ですが、運動の拠点となった5都市を代表するメンバーが揃っています。
まずチューリヒ・ダダのアルプとリヒター。アルプは窓から見える山を表現するために、机上に横たわって呼吸を整え、自ら山になろうとしました。対位法によって展開する純粋音楽を絵画で表現しようとしたリヒターは、映像による動く抽象絵画《リズム21》を作りました。

11月革命以降、政情不安から市街戦やテロが続いたベルリンでは、ダダも政治的で過激な傾向を帯びていました。グロッスは猟奇殺人や混迷する都市の闇を描き、ハウスマンは、フォトモンタージュや音声詩を作りました。ハノーファーではシュヴィッタースが、日常の無価値なもの同士を組み合せることで、それらに作品中での「価値」を担わせる芸術、メルツを創始します。ケルンではエルンストが油彩画を一旦放棄してアルプの詩《流行は栄えよ、芸術は滅びようとも》に寄せたリトグラフを作り、写真を切り貼りしたコラージュを発表しました。ケルン・ダダの雑誌にはブルトン、アラゴン、エリュアールらパリのダダイストが寄稿するようになり、やがてエルンスト自身もパリに移って、それまで文学主導だった同地のダダに大きなインパクトを与えます。

魔術的リアリズム、ニューヨーク・ダダ

美術評論家で写真家でもあったローは、表現主義(及びダダ)の後に具象絵画が国際的に復活したことに注目し、それらを現実世界の美を享受する印象主義とも、現実に新たな理想郷を対置させる表現主義とも区別し、「魔術的リアリズム」(1925年)と名付けました。それは、近代美術が切り捨ててきた、現実のモノがもたらす様々な印象を丸ごと回復させ、それらの生成流転する表層を描きながら、その根底にある不動 不変の核を取り出そうとする美術です。デ・キリコの形而上絵画やエルンストの1920年代のコラージュや油彩画もこれに含まれますが、ディックスの《仔牛の頭部のある静物》もその典型です。伝統的な静物画が花や髑髏(どくろ)などを描いて「死を思え」という宗教的教訓を表したのに対し、ディックスが生々しく表現する死は、いかなる感情も救済への期待も入り込む余地のない、過酷な現実に貫かれています。

ニューヨーク・ダダは写真家スティーグリッツの存在抜きには起こりえなかったでしょう。写真を絵画と同等の芸術にしようとしたスティーグリッツは、自らの画廊や雑誌刊行を通して大戦前からヨーロッパの先端美術を紹介する一方、ピカビア、デュシャン、マン・レイらに活動の場を与えて強く支援しました。美とは何ら関係のない日用品を展覧会に出品して美術の無意味を印象づけたデュシャンは、唯一信ずるに足る自然科学に関心を寄せ、光学的、機械的な作品《回転するガラス板》や、数学的な《大ガラス》を制作します。その様子はマン・レイの写真から窺うことが出来ます。

構成主義とバウハウス

1910年代にロシアで興(おこ)った構成主義は、対象を具象的に再現することを排し、素材や形体そのものを組み合わせる(=構成する)表現を追求しました。タトリンによる 《コーナー・反レリーフ》は、薄いブリキ板や太い鉄線、木の角棒などを適材適所に用いてまるで機械のように組み立てたものですが、直交する二つの壁が作る空間に吊り下げられることで、木や石の面に奥行きを再現しようとした伝統的な浮彫り(レリーフ)に対する反証が込められています。ガボの《空間の構成》は、銅の網、アルミニウム板、透明樹脂板の組み合わせで、植物的な柔らかいフォルムに包まれた核を形成しています。「構成」によって、工業用の素材が空間芸術へと変容しているのです。

クレーやカンディンスキーら抽象絵画のパイオニアが指導したドイツの造形学校バウハウス(1919 -1933)でも新技術は重視され、写真が重要な役割を果たしました。1929年に写真は正式な科目となり、学生は教員のペーターハンスやモホイ=ナギから実験的な写真表現や写真を用いたグラフィック・デザインなどを学びました。1925年から28年まで同校の印刷広告工房を指導したバイヤーも、この時期、積極的に写真作品を手がけています。《二つの卵》は、垂直に立つホルダー上の卵と向きを揃えたスプーン、寝かせた卵を乗せた透明なガラス皿を画面の中央やや左に寄せ、左上から光を当てています。物質それぞれが作る陰影や反射光は、ガラスを透かして見えるテーブル上の影と一体となって調和した構図をつくり、俯瞰的なクローズアップや細部描写とあいまって写真ならではの静物画となっています。モホイ=ナギ《ストローのフォトグラム》は、印画紙の上に物を置き、その上から光を当てることで像を直接焼き付ける技法で作られたもの。モホイ=ナギは、こうした写真技術が「見えないものを可視化させ、我ら人間の眼を補強するのだ」と主張しました。

Ⅵ シュルレアリスムの美術
見えない自分を映し出す鏡を求めて

強烈な個性が結集して既存の価値観を否定し、人々を目覚めさせるパフォーマンスを展開したダダは、グループ内の特定の個人が台頭するにつれて結束が崩れ、1922、23年にかけて終息していきます。自己を省みず、無制限の自由を行使したダダの、人間や物事に対する新たな姿勢と、芸術や思考における成果は、20世紀の芸術や文化の展開のための肥沃な土壌となりました。

パリ・ダダの主要メンバーのひとり、詩人のブルトンはダダの成果を元にシュルレアリスム(超現実主義)の理論とグループを立ち上げます。ブルトンはフロイトの精神分析学を踏まえ、人間を取り巻く世界と人間の内面をひとつづきの現実と捉え、それまで等閑視されていた夢、幻覚、妄想、狂気などに目を向けます。シュルレアリスムは、心の奥底(無意識)に閉じ込められた欲望を解放して詩や絵画など様々な媒体に記録し、それらを解釈することによって、近代社会が抑圧してきた人間の全体性を回復しようとします。

美術においては、無意識が自ずと発露する方法が研究されます。幻覚や半睡状態での走り描き(オートマティック・ドローイング)や、コラージュ(イメージとの偶然の出会い)、デカルコマニー(偶然にできた絵具のシミ)など、制作過程に偶然が作用するステップを取り入れることで、作者の思うに任せない絵画や彫刻が奨励されました。

人は自分の内面を「見たように」描くことはできませんが、偶然をきっかけとして、内面のイメージが自ずと意識上に現れるとシュルレアリストは考えていました。そのきっかけは外の世界にあり、蚤の市の古道具や、床板の木目や、生活空間の風景が、突然、見えない自分を映し出す鏡になり得ます。

作品にはダリやマグリットのように具体的なモノ(静物)や、風景や、人物が描かれることもあれば、マッタのように具象性が乏しい場合もあります。従ってシュルレアリスムには作品の様式、媒体、主題の制限はありません。

アジェの写真にシュルレアリスム的な価値を見出したのはマン・レイとアボットでした。アボットは後にアジェと同様の視点からニューヨークの街角を捉えています。

Ⅶ 第二次世界大戦後の美術
サザランドとフォートリエ

1920年代を中心に、ヨーロッパ各地で様々な前衛美術が華々しい展開を見せましたが、1930年代以降のファシズムの台頭や第二次世界大戦によって、多くの芸術家がアメリカなどへ亡命を余儀なくされました。ようやく迎えた戦後、芸術家たちが表明したのは自由や解放の喜びではなく、人間の行為や欲望、あるいはその存在自体を見つめ直す批判的な態度でした。

第二次大戦中、イギリスの画家サザランドは美術史家ケネス・クラークの勧(すす)めで公式の戦争記録画家となり、爆撃を受けた都市や工場の風景を描きました。また戦後は聖マタイ教会より依頼を受け、伝統的な主題であるキリスト磔刑図を制作。サザランドは、このような注文制作で描いたモティーフを別の作品で変容、解体することによって再検討を進めました。たとえば肖像画と並行して「誰でもない像」を数多く描いています。《ヘッドII》には伝統的な大理石胸像が描かれているように見えるものの、最も重要な頭部は著しく変形されています。西洋美術において肖像が連綿と担ってきた記念碑的役割に値する個人はもはや存在せず、画家は旧来の肖像表現が無効であることを訴えています。

フランスの画家フォートリエは、第二次大戦中レジスタンス活動に参加し短期間ドイツ軍に逮捕されたことがあります。釈放後、パリ郊外の療養施設で過ごした時、近くの森でドイツ軍が捕虜を虐待し、処刑したことを聞いて衝撃を受け、シリーズ《人質》を制作しました。そこでは荒く塗りこめられた壁のような地塗りの中で、極度に単純化された顔や人体が絶望の表情を浮かべています。本展の《無題》も同様の技法で描かれています。モティーフの判別はできませんが、盛り上げられた絵具の量感や、ベージュとピンクの色彩、柔らかい輪郭線は人体を想起させます。物質性と身体性、抽象と具象のあわいにある作品です。フランスの評論家タピエは、1940-50年代のフォートリエ、 ヴォルス、デュビュッフェらによる、即興的で画家の身振りの痕跡を見せる技法を用いた抽象的作風を、それまでのいかなる美術の描き方や構成法とも異なる「別種の美術 (Art Autre=Art of Another Kind)」と定義し、「不定形の芸術(Art informel)」と呼びました。

ウォーホルとボルタンスキー

第二次大戦中に多くの亡命芸術家を受け容れたアメリカは、戦後の美術の一大中心地となります。ネオダダやポップ・アートは、新聞写真や漫画から食品、家財道具に至るまで、大衆の日常生活を彩るありとあらゆるものを、あるときは現物で、あるときはそのイメージを拡大したり別の媒体に置き替えたりして作品中に取り込みました。

ウォーホルは、1961年からキャンベル・スープをモチーフにした版画シリーズに取り組みます。広告のような美しい写真印刷ではなく、敢えて人手のかかるシルクスクリーンを用いて額装までさせたのはなぜでしょうか?よく見るとスープの中味の表記がひとつひとつ違います。これらはスープ缶の拡大肖像画だといえます。肖像画の主題は人(= 精神)ではなく、モノであり、今やそれが人々の心の拠(よ)り所なのです。かつてデュシャンは美術展に《泉》と題した小便器を出品し、美術は何でも美しいと信じて疑わない来場者に「これでも美しいか」とショッキングに問いかけ、彼らを目覚めさせようとしました。一方、ネオダダやポップ・アートはモノを美の偶像に祭り上げ、人々の願望にこたえようとします。彼らは精神や芸術の伝統に信を置かない、ニヒルな芸術家と言えます。

最後に、フランス出身の芸術家ボルタンスキーによるインスタレーション《シャス高校の祭壇》をご覧いただきましょう。弱い光が当てられた顔写真は、ウィーンにあったユダヤ人学校の生徒たちです。ボルタンスキーは、1931年の卒業アルバムの集合写真から12人の顔を選んで複写・拡大してブリキで額装し、3点ずつ山型に並べ、その下に古びたブリキの箱を左右対称に配し、写真1点ずつをデスクランプで照らしています。こうしてできた大小4組のセットは左右対称にまとめられ、あたかも教会の祭壇のような厳粛(げんしゅく)な空間を作り出しています。

古い写真の複写や日用品の利用はポップ・アートやネオダダにも見られますが、ここに祭られているのはモノではなく、ホロコーストで失われたかもしれない若い命です。死はすべての人にとっての最後の瞑想の対象といえます。モノを展覧会に持ち込んだデュシャンと同じくらい強引に、美術館に祭壇をしつらえるボルタンスキーは、美も消費の対象と考えるポップ的なニヒリストではなく、瞑想の対象としての美術作品を復権させたいのかもしれません。

基本情報

会期2020年2月15日(土)~5月24日(日)[閉幕となりました *2020年5月1日]
開館時間10時~18時
*5月の金曜・土曜は20時まで
*入館は閉館の30分前まで 
休館日木曜日
主催横浜美術館[公益財団法人横浜市芸術文化振興財団]

観覧料

一般500(400)円                   
大学・高校生300(240)円                     
中学生100(80)円
小学生以下無料

*( )内は有料20名以上の団体料金(要事前予約)
*毎週土曜日は高校生以下無料(要生徒手帳、学生証)
*2020年3月28日(土)は観覧無料中止
*障がい者手帳をお持ちの方と介護の方1名は無料
*毎月第3月曜日は横浜市在住の65歳以上の方無料(要「濱ともカード」提示)
*企画展ご観覧当日に限り、企画展の観覧券でコレクション展もご覧いただけます。 

関連イベント

担当学芸員によるギャラリートーク(コレクション展「横浜美術館の西洋美術」)

展覧会担当学芸員が、本展のテーマや作品についてお話しします。

日程2020年2月28日(金)中止、3月21日(土)中止、4月18日(土)中止、5月3日(日・祝)中止
時間いずれも14時~14時30分
会場コレクション展展示室
参加費無料(事前申込不要、当日有効の観覧券が必要)

エデュケーターによるギャラリートーク(コレクション展「横浜美術館の西洋美術」)

当館エデュケーターが、専門性を活かして様々な視点からトークを行います。

日程①2020年3月13日(金)中止、3月27日(金)中止、4月10日(金)中止、4月24日(金)中止
②2020年5月8日(金)中止、5月22日(金)中止
時間①14時~14時30分
②18時~18時30分  
会場コレクション展展示室
参加費無料(事前申込不要、当日有効の観覧券が必要)