2022年9月24日、版画家の村上早さんのトーク「銅板を傷つけながら考えること」を開催しました。
村上さんは若手アーティストを紹介する小企画展「New Artist Picks」の特別版となる「Wall Project」で2022年3月12日から11月6日まで休館中の横浜美術館の仮囲いで作品を発表したアーティストです。
この会期中の開催となったトークでは、「村上早 | Stray Child」で発表した新作の背景とその制作過程を中心にお話を伺い、参加者の皆さんに銅版画の体験もしていただきました。
初めに、「村上早 | Stray Child」展担当の大澤紗蓉子学芸員より、本展の概要についてお話がありました。
村上さんが制作する「傷」をテーマにした作品を、あえて不特定多数の人が行き交う屋外で展示しようと考えたこと。計画段階は新型コロナウイルス感染症が拡大する初期の時期で社会全体に息苦しさが蔓延するなか、村上さんの作品を紹介することで時代の暗さを共有し、人びとが様々な境遇に想像力を働かせることが可能なのではないかと考えたこと。また、横浜美術館の特徴であるシンメトリーな建築に呼応するように左右対称な展示構成としたことが語られました。
続いて村上さんは、今回発表した新作の意図についてお話されました。
村上早《まよいご》2022年、リフトグランド・エッチング、アクアチント、スピットバイト、118×150cm/撮影:末正真礼生
《まよいご》という作品は、お祝い事を象徴する誕生日ケーキを描いていたけれどうまくいかず、船の形に姿を変えたこと。種の違う様々な生物が船に乗ってどこかへ運ばれていくようではあるが、描かれた全員がメスのため子孫を残せない絶望的な状況であることを、あまり暗くならないよう描いたこと。
村上早《ことかく》2022年、リフトグランド・エッチング、エッチング、アクアチント、スピットバイト、118×150cm/撮影:末正真礼生
《ことかく》という作品は、顔を怪我した馬と頭部のない飛行機を描くことで、移動の手段が制限されていたコロナ禍の状況を表そうとしたと語りました。
次に、村上さんのアトリエで撮影した制作の様子を投影しながら、「リフトグランド・エッチング」という技法の工程を詳しくご紹介しました。
会場では、その工程のうち、刷りの部分をデモンストレーションしました。
普段の村上さんは大型のプレス機を使用していますが、今回は横浜美術館にある小型のプレス機を使用しました。
銅板と刷り上がった作品とを並べたところ。
間近に見ると、紙の凹凸やインクの質感が際立って見えます。
さらに参加者の皆さんにも「銅板を傷つける」体験をしていただこうと、「ニードル・エッチング」という技法で共同制作をおこないました。
あらかじめ保護液をひいた2枚の銅板を用意し、それぞれに村上さんがニードルで「くまのような形」と「木のような形」を描きました。その2枚を会場で順に回していき、参加者の皆さんの描画を加えました。
そうしてできた版を村上さんがアトリエに持ち帰り、後日腐蝕させて刷ったのがこちら。
それぞれの線が集まり、楽しい作品に仕上がりました。
左側の作品は予想外に腐蝕が進み、くまのような形が黒くなってしまったそうです。
直接紙に描くのとは異なる制約や、偶然性も含めて作品が成り立っていくことは、版画の奥深さのひとつと言えるのではないでしょうか。
さらにトークの後半では、村上さんがなぜ伝統的な銅版画にこだわるのかという話題に及びました。
村上さんは、もともと自分の生きづらさを治癒するために版画を制作してきたと言います。学生時代を経て社会に出たとき、自分を治癒することだけでは作家として続けていけないという不安があり、悩む時期が長かったとのこと。しかし、自身の作品に世界を変えたり社会に何かを訴えたりする力はなくとも、必死に生きる自分の作品を少しでも心に留めてくれる人いればそれでよいという気持ちに再び行き着いた、とお話されました。
版画の概念が拡張され続ける現代においても、「銅版に刻まれた線は心の傷、線を埋めるインクは血、インクを載せる紙はガーゼ(包帯)」と語る村上さんにとって、銅版画は自身を映す表現方法であり続けているのです。
New Artist Picks: Wall Project 村上早 | Stray Child
村上早(むらかみ・さき) 1992年 群馬県生まれ。 |
(市民のアトリエ担当)
[やどかりプログラム 村上早トーク「銅板を傷つけながら考えること」 2022/9/24(土)14:00~15:30]