展覧会の見どころダイジェスト/「澄川喜一 そりとむくり」展

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現在、横浜美術館は臨時休館中ですが、企画展「澄川喜一 そりとむくり」の再開を待ち望む皆さまに、展覧会の見どころをダイジェストでお届けします。

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ところで、澄川喜一がどのようなアーティストかご存じでしょうか?
澄川は、抽象彫刻のパイオニアとして戦後日本の美術界をけん引してきた巨匠のひとりです。
現在88歳となる澄川の作家歴はすでに60年を超えますが、現在も創作意欲は衰えることなく、素材となる木に囲まれて日々アトリエで創作に励んでいます。その創作領域は、彫刻にとどまらず、建築家との協働による数々の公共の大規模プロジェクトも手掛けてきました。東京のランドマークとして知られる東京スカイツリー®や東京湾アクアライン川崎人工島「風の塔」などのデザインを監修したことでも知られます。
それでは、澄川の彫刻の特徴はどこにあるのか、その原点は何に求められるのか、見ていきましょう。

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1 錦帯橋との出会い(第4展示室入口/プロローグ「はじまりとしての錦帯橋」)

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展覧会は、まず、山口県岩国市の錦川にかかる歴史的な名橋・錦帯橋に関するエピソードで始まります。14歳の澄川喜一は、ものづくりを志して、終戦の年に旧制の岩国工業学校に進学します。同地で運命的に出会ったのが錦帯橋でした。澄川少年は、この橋の美しさに魅了されました。橋を形作る木材、工法、構造を研究し、また景観美を写生にとどめました。

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しかし、愛して止まなかった錦帯橋、270年以上不落を誇ったこの橋が、1950年のキジア台風による増水で、ねじ切れ流失しました。その現場を目撃した澄川は、言いようのない喪失感を抱く一方で、翌日、石と木の残骸になり果てた橋の別の魅力に圧倒されました。錦帯橋にまつわるエピソードは、後の澄川の造形の原点となります。



2 二人の師匠(第4展示室/I .「いしずえ:具象をきわめる」)

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両親・縁者を説得して、1952年に東京藝術大学彫刻科の平櫛田中教室に進学した澄川は、平櫛田中退官後、後任の彫刻家・菊池一雄の指導のもと、塑造(粘土による立体造形)による具象彫刻の基礎を徹底的に学びます。塑造の名手として知られた菊池の流麗かつ緻密なモデリングに強い影響を受けて、藝大在学中は、数々の人体像を手掛けました。澄川は次のように述懐します。「粘土で人体像をつくることから学ぶ。それは人のからだが美しく複雑で、勉強するのにもっとも適しているからです。硬質なところ、柔らかいところ、曲線、直線、ふくらみ、へっこみ、いろんな形があり、しかも生きているから動く。千変万化する。それを粘土で自分の感性で自在に表現するわけです。」

 

3 具象から抽象へ(第4展示室/I 「いしずえ:具象をきわめる」、II 「 深まり:素材と向き合う」)

1958年藝大彫刻専攻科を修了した澄川は、翌年新制作展に出品した《S君》(旧題:篠崎君)で新作家賞を受賞します。藝大で副手を務めながら制作に励む一方で、在学中の師匠の教えでもある「人のまねをするな、自分を探せ」を承けて、作風は抽象へと転じ始めます。おりしも、師匠である菊池一雄の勧めもあり、長らく在籍した藝大を離れ、東京都清瀬に土地を得てアトリエを構え、彫刻家として独立を期した頃でした。これを機に過去の具象彫刻と決別し木彫による抽象表現を模索することになります。

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その基点となったのが「MASK」「甲冑」といったシリーズでした。仮面や甲冑の虚ろで謎めいた形と構造に触発され、複数の木材を使い、組み木の手法で、どこか土俗的でダイナミックな抽象彫刻を試みるようになります。

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4 様々な素材、抽象表現の深まり(第4展示室/II 「 深まり:素材と向き合う)

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1961年に藝大を離れた澄川は、清瀬のアトリエで制作に励む一方で、その作品が三木多聞や土方定一といった気鋭の美術評論家の注目するところとなります。また徐々に盛んになり始めた野外彫刻展へも招かれるようになり、公共空間における彫刻の表現へも開眼していきます。そして1967年、恩師・菊池一雄らの招きで再び藝大にもどり講師として奉職すると、衰退していた木彫をはじめとする実材(木、石、金属、テラコッタなど)の制作環境を整えるのに尽力します。一方で、自らも、木、石、金属、アクリルなど様々な素材で制作に取り組み、「MASK」などの主題を基調としながら、主題のヴァリエーションも広がっていきました。その過程で、荒々しいノミ跡をのこした組み木の造形から、カンナで木材の表面を成型し木そのものの美しさを引き出す造形へと転じていきました。そうした変化は、木という素材に執拗に向き合うなかで、導き出された変化でもあります。そして藝大助教授となった1975年から、その後のメインテーマとなる「そりのあるかたち」シリーズが始まります。

 

5 公共空間における大規模な造形(ホワイエ/III 「ひろがり:公共空間を活かす」)

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東京スカイツリー模型.JPG1979年に《そりのあるかたち-1》で、第8回平櫛田中賞を受賞した澄川は、追及するテーマに対して自信を得ることになります。一方で、1980年代に入ると、全国各地から野外彫刻の制作を依頼されるようになり、石や金属を素材としたモニュメンタルな造形に積極的に取り組んでいきます。また、野外彫刻とともに、建築家など専門の技術者と協働して、横浜市内の橋や東京スカイツリー®、東京湾アクアライン川崎人工島「風の塔」、東京駅八重洲口「グランルーフ」など都市空間における巨大構造物のデザイン監修創作の幅を広げていきました。そのデザインにも「そりのあるかたち」が取り込まれます。

 

 

6 そりのあるかたち(第5展示室、第6展示室/IV「匠:そりとむくり」)

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それでは、1970年代半ばから取り組み続ける「そりのあるかたち」とは、どのような特徴を持つテーマなのでしょうか。日本国内の多様な木に素材として向き合い制作するなかで、澄川は、様々な環境で年々生育する木には、本来、捻じれや反り、起り、節があって、それら木に固有の特質をむしろ作品において生かすことに主眼をおくようになります。日々制作に取り組む澄川のアトリエには、様々な種類の木々が長年にわたって蔵置されているのです。その制作態度は、木を素材として自らの造形に服従させるのではなく、木に寄り添い、木の自然な在り様を尊重し、木の内側にひそんでいる形を取り出すことに他なりません。

そうして木から彫り出された「そり」「むくり」といった形は、日本の伝統建築の屋根や柱、古えより伝わる造作物にも見いだされる曲線・形でもありました。澄川の「そりのあるかたち」は、そうした日本の伝統とも緩やかに結びついているといえるでしょう。

最後の展示室には、「そりのあるかたち」と題した巨大な彫刻が、あたかも森の樹々のように立ち並んでいます。欅、樟、杉、槐といった木材で制作された「そりのあるかたち」は、展示空間に適度の緊張感をもたらす一方で、その中を経めぐると森林浴にも似たさわやかな効果を私たちに及ぼし、安らぎを与えるようです。

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ほどなく再開される企画展「澄川喜一 そりとむくり」にぜひ、ご来場いただき、このさわやかさや安らぎを体験していただきたいと思います。

柏木智雄(副館長 主席学芸員)