「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」展学芸員ブログ第6回 横浜での追加作品について(その3):ペシミストとオプティミスト

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 長谷川三郎の戦前作品と並んで、イサム・ノグチによる、広島の原爆犠牲者のためのふたつの慰霊碑モデル(Y27, Y28)も、横浜で追加した作品群です。広島に関連づけられるノグチの仕事は、1950年の《広島のための鐘楼》(no.10)以来、再来日したノグチが手がけた最大の公共プロジェクトであっただけでなく、1982年の玄武岩による慰霊碑モデル(Y28)まで、彫刻家が生涯を通して実現を願い続けた仕事でした。神奈川県立近代美術館所蔵の貴重な石膏モデル(Y27)を広島市現代美術館所蔵の玄武岩モデル(Y28)と共に展示でき、また、長谷川三郎がノグチの広島慰霊施設案却下について直接本人から打ち明けられて起こした英文草稿を甲南学園長谷川三郎記念ギャラリーからご提示いただき、ノグチ美術館所蔵の資料と共にカタログの拙稿で紹介させていただけたことは幸せでした。

 本展に横浜で追加した作品33点は、会場スペースの関係もあり米国2館には巡回されませんが、いずれもノグチと長谷川の交友とそれぞれの芸術を考える上で重要な作品です。是非横浜美術館でご覧ください。

 イサム・ノグチは「彫刻家というものはオプティミスト(楽天主義者)だ」と語っていますが、親友の長谷川三郎はどうだったのでしょうか。ユーモアもあり、前衛美術界のリーダー、第一線の論客であり、人間味豊かな芸術家だったことは事実ですが、絶筆とされる書《清苦》(no.53. キャプションとカタログではこれまでの長谷川三郎研究の先例に倣い「精苦」としていますが、篆書体として見ると「清苦」が正しいようです)を見ていると、長谷川のエッセイにしばしば綴られた、絵を描くことへの「反省」とか「懐疑」というテーマが思い出されて、どんな苦労もいとわないチャレンジ精神と共にペシミスト(悲観論者)の面も併せ持っていたのではないかと思います。長谷川の作品から窺われる、慎重に工程を考え抜いて制作する姿勢、溢れ出る創作欲をぐっとこらえて、形式とのバランスのために制御しようとする姿勢。それらは、広島への提案が否決されても、あれだけ奔放な陶の作品をどしどし作ったノグチとは対照的です。戦後日本の美術界で長谷川三郎がその優れた実績にもかかわらず、ごく少数の親しい友人を除いて、やや敬遠されがちだったのは、彼のそうした生真面目な姿勢が息苦しく感じられたのかもしれません。

 今回の展覧会で、「長谷川三郎はなぜ忘れ去られたのか」という質問を、美術に詳しい人たちから一度ならず受けました。忘れ去られていないからこうして展示しているのですが。仮に多くの人が長谷川三郎を忘れていたとしても、彼をまだ知らない人が大勢おられても、これだけ多くの作品や資料を大切にまもっている機関があり、人々がいらして、展覧会ができます。お忘れでしたら、ご存じなかったら、どうぞ美術館にいらしてください。そしてご自身の眼でお確かめください。(完:中村尚明)