「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」展学芸員ブログ第5回 横浜での追加作品について(その2):モダンアーティストの対話

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 欲を言えば、他にも取り上げたい長谷川三郎の作品はいろいろと挙げられるのですが、長谷川の個展ではありませんし、イサム・ノグチとのふたり展という枠の中で可能な範囲として、「抽象」、「古い日本」という指針に副って追加作品を選びました。

 これには戦前の日本の前衛美術の代表的作家としての長谷川三郎という意味合いも含まれています。モダンアーティストであることと、日本のアーティストであることをどのように実践していくのか、ということが、1930年代後半の少なからぬ日本の美術家たちが直面していた課題でした。中でも長谷川三郎は、いわゆる「洋画家」とは何者であるのか、絵を描くとは何であるのか、日本の美術家は何を為すべきか、という問題を、制作と執筆を通して徹底的に考え続けていたと思われるのです。

 こうした思考は、日米の血をひくアメリカのモダン彫刻家(ノグチも長谷川も、1950年代に自分たちの芸術に対し「モダーン」という言葉を使っていました)としてのイサム・ノグチが、作家を志して以来考え続けてきたことと、結果的に、同じ地点に長谷川を立たせることになったと言えるでしょう。異なる出発点から別々の道を経て同じ地点に到達する、というふたりの芸術家の物語は、美術史においてはパブロ・ピカソとヴィフレド・ラム(アフリカ系キューバと中国の血をひく)についても言われたことですが、ノグチと長谷川も西洋と非西洋のモダンという課題に関して、そうした事例に数えられるでしょう。

 戦前の長谷川三郎は、ヨーロッパの抽象芸術の紹介者(アンバサダー)だった、という見方は些か一面的だと思います。長谷川の著作『アブストラクトアート 抽象芸術』は確かに西洋の抽象芸術家を数多く紹介していますが、著者自ら「これは作家としての主張の書である」と記すように、美術家としての長谷川が同じ日本の美術家に向けた提言、あるいは立場表明というべきもので、批評家や美術史家による西洋画家の紹介解説とは全く異質なものです。

 日本の近代は単なる西洋の模倣に終始したのではなく、模倣や受容には歴史的必然性があり、長谷川や他の作家たちはそうした現実を見据えた上でどうやってモダンかつオリジナルなものに到達するかを真剣に考えていたはずです。そういう視点を本展には是非付け加えたいと考えました。

ノグチに限らず、セリグマンや、リヒターや、デュシャンや、クラインら、長谷川が出会った同時代の欧米の作家たちとは、禅、道教、日本美術の話しも大いにしたでしょうが、モダンアーティスト(厳密な意味でモダニストと言っているのではなく、20世紀半ばを生きる現代作家という意味です)としての話題も少なからずあっただろうと思われるのです。(つづく:中村尚明)