「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」展学芸員ブログ第4回 横浜での作品追加について(その1):なぜノグチと長谷川は理解し合えたのか?

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イサム・ノグチと長谷川三郎、ふたりの芸術家の友情にスポットをあてたこの展覧会もいよいよ324日に閉幕します。この後ニューヨークのノグチ美術館で51日から714日まで、そしてサンフランシスコのアジア美術館で927日から128日まで開催されます。

 横浜美術館でのイサム・ノグチを主人公とした展覧会は2006年の自主企画「イサム・ノグチ―世界とつながる彫刻展」以来、実に13年ぶりです。今回の「イサム・ノグチと長谷川三郎」展はニューヨークのノグチ美術館がサンフランシスコ州立大学のマーク・ディーン・ジョンソン教授と共同企画したもので、横浜美術館ではノグチ美術館の了解の下に、それに33点の作品を追加しています。米国2館より会場が大きいこともあり、追加作品は横浜だけの展示で、アメリカには巡回されません。

イサム・ノグチの評伝を読むと、長谷川三郎との交友は必ず登場するのですが、特に美術史家ドーレ・アシュトンによる評伝は、作家同士としての心のふれあいが濃密に記述されています。アメリカでの本展企画に際しても、アシュトンの評伝が出発点となったようです。

本展におけるアメリカ側チームの関心は、ノグチ、長谷川それぞれの「1950年以降の」作品に向けられていました。ふたりによる日本と東洋の美の研究成果がどのように作品に結実したのか、そして日本文化への関心が飛躍的に高まった「ミッドセンチュリー」と呼ばれる1950年代の米国の文化生活において、ノグチと長谷川の果たした役割を再評価することも重要なテーマでした。

長谷川の作風はノグチと出会って以降、新たな展開を見せ、かまぼこ板を彫った抽象形体をスタンプして構成した《桂》(no.18)や、拓刷りの構成《狂詩曲 漁村にて》(no.24)などの代表作が生まれるたことは確かです。しかし、1957年に50歳で没した長谷川の画業の中で、最後の数年間だけをクローズアップするのは残念に思われました。

 そこで横浜会場では、長谷川が戦前期に抽象芸術のリーダーとして様々な実験を展開した1936年から1937年にかけての油彩画、コラージュ、アッサンブラージュ(ガラスに雲形定規や様々な物を貼りつけた作品)をはじめ、写真や、工作機械による木彫作品からなる1章を設け、ノグチと出会う以前の長谷川三郎の仕事を見ていただくようにしました。これはひとり長谷川三郎の展開をよりよく理解するためだけでなく、なぜノグチと長谷川がこれほどまでに深くお互いを理解し得たのか、という本質的な問いを考える上で、この章はなくてはならないと考えたからです。(つづく:中村尚明)