「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」展学芸員ブログ 第3回 記念講演会(2月16日)を開催

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「イサム・ノグチと長谷川三郎」展の学芸員ブログ第3回は、2月16日に円形ホールで開催された記念講演会についてお届けします。立春を過ぎたとはいえ厳しい寒さのなか、多くのお客様がご参加くださいました。

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この講演会は、講師のおひとりとして、甲南女子大学教授の河﨑晃一先生にご登壇いただく予定でした。しかし大変残念なことに、河﨑先生は2月11日にご逝去されました。河﨑先生は長谷川三郎研究に長年携わり、本展カタログにご寄稿いただいておりました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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予定されていた講演「長谷川三郎 人と芸術」は、本展担当の主任学芸員中村尚明が講師を務めました。神戸と芦屋で育った長谷川三郎は13歳のころから絵を描き始め、東京帝国大学卒業後の1929年より欧米に遊学しています。中村は、滞欧中や帰国後に制作された長谷川の油彩作品に分析を加えながら、遊学の成果と「長谷川らしさ」が醸成されたプロセスを読み解きました。長谷川は戦時中の沈黙の時期を経て、戦後1948年頃作品発表を再開。そして1950年にイサム・ノグチと出会い、新たに墨や拓刷り、木版による制作を開始しました。この転機を象徴する作品として、蒲鉾板を版木として使った《桂》(国立国際美術館蔵、1951年)や、廃船の木材から拓刷りをとって構成した《狂詩曲 漁村にて》(東京国立近代美術館蔵、1952年)があります。

また、筆による手書きの線が美しいレイヤーを成す《自像》(国立国際美術館蔵、1951年)や、老子の道徳経を題材とした《老子より(三十輻共一轂...)》(長谷川家コレクション、1954年)なども紹介。中村は、ノグチとの出会い以降に制作された長谷川の作品は、戦前の油彩作品における様々な実験の延長線上にあり、長谷川のそうしたモダンアーティストとしてのキャリアが、ノグチと深く理解し合えた基礎であることを強調して講演を締めくくりました。

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つぎに、甲南学園長谷川三郎記念ギャラリーの森田啓子氏より「甲南学園長谷川三郎記念ギャラリーについて」と題し、ご講演をいただきました。森田氏は1993年より同ギャラリーに勤務。同ギャラリーが所蔵する長谷川三郎の作品や資料の調査・分類・保管に長年に携わり、国内や海外の研究者による長谷川三郎研究を支えてきた方です。

講演は、具体美術協会の吉原治良が日本の抽象美術のパイオニアとして長谷川の業績を称え、当時吉原が所蔵していた長谷川戦前の代表作《蝶の軌跡》(京都国立近代美術館蔵、1937年)を「グタイピナコテカ」に展示していたという象徴的なエピソードで始まりました。つづけて、今年100周年を迎える甲南学園の卒業生である長谷川三郎の学生時代についてご紹介いただきました。長谷川三郎記念ギャラリーの前身となる長谷川三郎研究室が創設されたのは1973年のこと。1977年にギャラリーが整備され、現在では約100点もの長谷川作品を所蔵しているそうです。加えて、直筆原稿や書簡などの貴重な資料も多数所蔵。併設のアートサロンは学生の憩いの場となっており、また長谷川三郎のご子息も来訪されたとのことでした。ご講演を聴いて、長谷川三郎ギャラリーの重要性を改めて認識し、長谷川研究の拠点として今後も発展が続いてほしいと強く願いました。

(江口みなみ)