關渡ビエンナーレ2012
9月27日から国立台北芸術大学(台湾)の美術館、關渡美術館の「關渡ビエンナーレ2012(Kuandu Biennal 2012)」(2012.09/29-12/16)のゲスト・キュレーターとして台北を訪れました。地元台湾をはじめ、中国、韓国、シンガポール、タイ、オーストラリア、ベトナム、フィリピン、そして日本から一人ずつキュレーターが招待され、それぞれのキュレーターが自国から一人のアーティストを選んで構成するビエンナーレになっています。テーマは、「Artist in Wonderland」。29日は、テーマ別にセッションがあり、キュレーターとアーティストが揃うシンポジウムにも出席しました。出品作家は、以下のとおりです(筆者は、渡辺豪を選出)。すでに国際的な展覧会への出品も経験している、各国の中核的な作家を選んできていることが分かります。
關渡ビエンナーレ2012(Kuandu Biennal2012)のシンポジウム。中央テーブル奥に座るのが渡辺豪
後でも触れますが、台北ビエンナーレ等のテーマと違って、關渡ビエンナーレ2012はやや抽象度の高いテーマとなっていますが、ここで言う「Wonderland」とは、必ずしも楽観的な意味の驚異の世界ではありません。もはや捉えようのない変化を日々目の当たりにする社会が想定されています。そうした中で、それぞれの国(アジア・オセアニアに限定されていますが)の持つ歴史的な文脈(歴史そのものであったり神話であったり)に根ざしながら、現代社会をどう照らし出していくか、といった狙いが含まれています。
ここでもまた、美術は、「美」だけを主題にしていないばかりか、まるで「民族誌的」な視点に立って語られます。フィリピンのアーティスト、ドン・サルバヤバ(Don SALUBAYBA)等も神話のイメージと現代社会における神話的イメージ(ヒーローであったり、アンチヒーローであったり)が併置しながら、過去と現在の記憶の対話をはかろうとしています。
ドン・サルバヤバ(Don SALUBAYBA)《The Union of the Forgotten and the Unknown》(2012)
あるいは、シンガポールのマイケル・リー(Michael Lee)の《Office Orchitect》(2011)は、架空の建築家を仕立て、その戦前から戦後にかけての数奇な運命を実際のシンガポールの史実と重ねます。また、架空の建築家の夢見た幾つかの建築物のマケットが披露されています。
マイケル・リー(Michael Lee)《Office Orchitect》(2011)
台北ビエンナーレ2012
次に、同時期に開催された「台北ビエンナーレ2012」(2012.9/29-2013.1/13)について。今回、同展は、「Modern Monsters / Death and Life of Fiction(現代怪獣・想像的死而復生)」というテーマを冠しています。ドイツ人キュレーター、アンセルム・フランケ(Anselm Franke)を迎えて、グローバル化による現代社会システムの破綻を念頭に入れつつ組織されています。
さて、このタイトルは、台湾出身の中国近代文学研究者である王徳威の著作『The Monster That Is History/歴史與怪獣』から着想を得ており、古代中国の四凶の一つである想像上の怪物、人面虎足で猪の牙を持つ檮杌(とうこつ Taowu)が、キーワードになっています。天下=世界の秩序を乱すことを本分としていますが、現代社会が、グローバリズムという怪物によって掻き乱されている事態を示しています。
フランケ以下、6名(日本からは写真家の港千尋)の共同キュレーターが、それぞれの思い描く「ミュージアム(MUSEUM)」を組織して、このビエンナーレは構成されています。ミュージアムというフレームを使ったので、実際にも資料展示と見紛うこともありますが、政治家の誠意のない言葉が繰り返される洪子健の映像作品《謝罪》も含め、直面する社会問題をクローズアップした作品が多くみられます。入口に展示された5つの小部屋では、ハンナ・フートツィヒ(Hannah Hurtzig)によるインスタレーション《The Waiting Hall. Scenes of Modernity》(2012)を見ることができます。この作品では、モダニティ(近代的なもの)をめぐる対話が個別に行なわれ、観者は外でヘッドフォンを通して、それらを聴くという仕掛けになっています。
ハンナ・フートツィヒ(Hannah Hurtzig)《The Waiting Hall. Scenes of Modernity》(2012)の展示風景
グローバル化が進んだ先にあったのは、国民国家の枠組みの再構成、アイデンティティー・クライシス(自らの場所を失う)、格差社会等々、世界中で足下をすくわれる事態が生まれました。国家、社会、人間のそもそもの有り様を問い直す作業が、こうした美術の国際展でも行われようとしています。モスクワ生まれのアントン・ヴィドクル(Anton Vidokle)と中国の小説家フ・ファン(胡昉/Hu Fang)との映像とテキストによる共同作品は、近代によって引き裂かれた風景を寓意的(統合失調症として)に示しており、これを一例として全体の展示は、混沌というよりは、むしろ論理的で明解な構成で、映像と資料を巧みに構成する見応えのある内容となっています。
台北ビエンナーレは、台北市立美術館が主会場ですが、郊外で展示されている関連事業として位置づけられた、台湾の映像作家陳界仁(Chen Chieh-jen)のフィルムセットオープン《Happiness Building I》(2012)は必見の作品の一つだろうと思います。
陳界仁の82分におよぶ映像作品《Happiness Building I(幸福大厦I)》(2012)のなかで実際に使われた舞台セットが公開されている。このように、郊外の倉庫の中にセットが作られている
職を失った様々な労働者を一時的に雇い入れ、自費によって倉庫全体を映画のセットとして構成した空間は壮観でもありました。そこを舞台にした映像作品では、虚実を綯い交ぜにしながら、グローバル社会からスポイルされた人々の現実が生々しく描かれています。
陳界仁本人から作品の説明を受けた
こうした現代社会の断面を示す作品は、何か真実を暴き出すことを目的としているわけではありません。むしろ、普段見えにくいこうした事実を開いて、こちらに示すことに主眼が置かれています。受容する観者は、まずは、そうした事実を知るところからはじめます。それは、物事を明確化し、かつ明晰化する行為とは正反対の姿勢と言っても良いでしょう。実は、今年の幾つかの国際展(ドクメンタ13、リバプール・ビエンナーレ2012等)に出品された作品にも同様の傾向を見出すことができました。
プロフィール
©Hitomi Hayabuchi
天野太郎(あまの・たろう) 横浜美術館主席学芸員
この似顔絵、実によく似ている、が、真面目な話、戦後の日本美術史においては重要な展覧会を企画してきた学芸員。「いい匂い」のする場所には必ず現れるという野生の嗅覚と、「どないすんねん」と関西弁と睨みをきかせた交渉能力によって仕事をこなす。ただし、気づくと地球上のどこかによく行ってしまっている。料理とサッカーが大好き。
大阪生まれ。横浜在住。現在は「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」(2013.1/26-3/24)、第5回横浜トリエンナーレ(2014)を準備中。来年度の担当はひみつ。
主な仕事
「戦後日本の前衛美術」(1994)
「森村泰昌展 美に至る病―女優になった私」(1996)
「現代の写真Ⅰ「失われた風景―幻想と現実の境界」」(1997)
「ルイーズ・ブルジョワ展」(1997)
「現代の写真Ⅱ「反記憶」」(2000)
「奈良美智展 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001)
「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(2004)
その他
「横浜トリエンナーレ2005」(2005)
「ヨコハマトリエンナーレ2011」(2011)
連載中コラム(2009〜)
『VIA YOKOHAMA』「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」