國領經郎展

展覧会概要

國領經郎(日本芸術院会員)は、大正8年横浜市井土ヶ谷に生まれました。日本が第二次世界大戦へ突入した昭和16年12月、東京美術学校師範科を繰り上げ卒業し、翌年、新潟県柏崎の中学校(旧制)に図画教諭として赴任しました。応召の一時期を除くその前後約9年間、20歳代の多感な青年期を海辺の町・柏崎に過ごしました。同地で教師生活を営みながら制作に励み、昭和22年、第3回日展に初入選を果たしました。以後、日展を主な発表の場として今日にいたっています。

昭和25年には、大田区の中学校教諭となって柏崎から東京に居を移し、同29年、第10回日展に示した《赤い服のA子》ではじめて点描法を試み始めました。その後1970年代初頭までこの描法によって都市景観や港湾風景を描き、点描の色塊によって画面に実際に生じる陰影の具体的な効果を計算しながら堅牢な形態把握による画面の統一感を追究しました。

そして、点描時代の終期の作品から、砂・砂丘のモチーフが現れ、これが今日にいたるまで画面の主たる要素のひとつとなっています。砂丘のテーマは、「砂丘・海浜と点景人物」「砂浜と鳥」「砂丘と量感のある人物群」「砂丘と水溜り」といった具合にいくつかの変奏を経て展開しており、一貫してこの主題を追究することによって、同時代の人間と社会のかかわり、自然と人間の交感を象徴する國領芸術の特質が確立されたと言ってよいでしょう。 その表現にみる深い精神性が高く評価されて、昭和58年に宮本三郎記念賞、さらに平成3年には日本芸術院賞を受賞し、名実ともに現代具象洋画壇を代表する画家のひとりとし斯界に重きをなす一方で、昭和43年から横浜国立大学教育学部で教鞭をとり、昭和60年にその教授職を定年で退くまで美術教育に携わり後進の育成にあたりました。本展は、昭和34年に横浜市港北区にはじめてアトリエを構え、いらい約40年にわたって横浜に在住し精力的に制作に励んでいる洋画家、國領經郎の画業を回顧するものです。

開催日数 43日 入場者数 24,817人