学芸員アーカイブ

    石田尚志展 スタッフコラムvol.4 「渦まく光」展潜入レポートno.2

    「渦まく光」展手伝いの袮津と申します。

    さて、きょうは石田尚志さんの自宅兼アトリエにお邪魔してきたので、制作現場を潜入レポートします。

    半地下のアトリエ、そこには謎のセットが。

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    ↑机の真上にカメラが装着され、カメラを挟むように2つの大きな電球。奇妙な装置です

    間違いなく、新作の撮影セットです。「渦まく光」展のための、撮り下ろし。

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    机には絵の具が飛び散っていて、紙はふやけて穴があいています。どうやら机の上の紙に絵をかきつづけているようです。その過程が上空の電球で照らされ、カメラで撮影されてアニメーションになるのだろうか?(それにしても使いにくそうな机だ......)写真を撮っていると、石田さんがわけのわからないことをいいだしました。

    「これが回るんだよ」

    ......まわる?

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    ↑「このレバーを回すと、机が回転するんだよ」

    ......天板がぐるぐる回るってことですか。

    「この上に絵の具を投げていくわけ」石田さんは嬉しそうにいいます。

    机に見えていたものは穴の空いた回転板だった............

    (あとですこし映像を見せてもらいましたが......すごいことになってました。本編はぜひ「渦まく光」展の会場で。)

    (袮津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.3 「渦まく光」展潜入レポートno.1

    袮津悠紀と申します。

    この石田展コラムの第一回で、担当学芸員の松永さんから「石田さんの大切な弟分、あるいは示唆にとんだ助言者、ときには単なる雑用係」とご紹介いただいた者です。

    今回も、石田さんの制作や展覧会準備の現場に色々なかたちで関わっていますので、このコラム欄をお借りして、開催まで1ヶ月を切った「渦まく光」展の潜入レポートをお届けします。

    特設サイトのインタビュー動画はご覧になりましたか?作品紹介、制作方法、作家の興味のありかたなど、短い尺によくまとまっていたと思います。(私が編集しました)

    どうぞ、何度でもご覧ください。そして、よろしければ宣伝にご協力を!!

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    ↑カタログ用インタビューに取り組む石田さんたち(アトリエにて)

    さて、インタビュー動画で私が特に見ていただきたいのは、なんといっても石田さんの「作品映像」です。

    抜粋とはいえ、石田尚志の映像を今web上で観ることができるのはインタビュー動画だけです!!「身体」をモチーフにした近年の作品、パフォーマンス、各所での展示風景など、ごくごく一部分ながら石田さんの作品群の幅広さを紹介しております。

    そして、インタビューをご覧になったあとは、ぜひ「渦まく光」展の会場へお越しください。「生でしか見られない」約20年分の作品が一挙に集結するほか、撮りおろし新作(全力制作中)を横浜美術館に詰め込んでお待ちしています!

    (袮津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.2 石田尚志トークイベント@六本木アカデミーヒルズ レポート

    去る2月23日の夜、森タワーでのトークイベント「六本木アートカレッジ・セミナー "光"を感じる~アート×サイエンス~」に、石田尚志さんが出演しました。このプログラムを主催する六本木アカデミーヒルズさんと当館との初めてのコラボレーション企画であり、これが石田展関連のパブリック・イベントの第一弾でもあります。

    このトークにはもう一人、国立極地研究所でオーロラを研究する片岡龍峰さんにもご出演いただきました。二人を結ぶキーワードはずばり、今回の展覧会タイトルにもある「光」。石田さんが自身の創作活動のなかで追い続ける、視覚的あるいは精神的な意味での「光」、片岡さんが研究対象として観察し続け、その科学的メカニズムを解明しようとするオーロラという電磁波の「光」。イベントは、それぞれの仕事の内容や興味の対象についてのプレゼンテーション、続いてそれを踏まえたお二人による対談、という構成。対談における話題の拡がりは大変興味深いもので、「光」というキーワードを足がかりとしながら、主題は「明滅/波」から「動き/時間」を経て「音/音楽」、そして「隔絶/孤独」といった話へと展開し、そういったさまざまな視点が、映像作品と自然現象、あるいは芸術創作と科学的研究という二人の立ち位置の相似点/相違点を浮かび上がらせていきました。なかでも、片岡さんが自作の撮影機器でオーロラのなかに捉えた連続する波状の動態は、片岡さんが「北斎」と名付けた現象とのことで、その「渦まく光」の描くダイナミズムに、石田さん(実は無類の北斎好き)も深く関心を抱いていたようでした。

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    左:ご自身の活動について話す石田さん     右:オーロラについて解説する片岡さん

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    対談中の石田さんと片岡さん、スクリーンにはオーロラの波動現象「北斎」の映像

    ちなみにこの森タワー49階のトーク会場、扇状に広がる客席の背後に東京のパノラマ夜景を臨むという、贅沢この上ないスペースです。スクリーンに映し出されたオーロラの映像を説明していた片岡さんが、観客席の後ろのほうを見て不意に「うぁ」と声を上げた一幕。なにかと思って皆が振り返ると、客席背後の大きな窓に映りこんだオーロラの映像パノラマ。都心の上空にオーロラが舞い降りる空想的なヴィジョンを、こんなところで創り出してしまったという訳です(東京で観測されたことは実際にあったらしいのですが)。

    「アート×サイエンス」という今回のイベントタイトルにもあるように、この二つの分野はとかく対極的に位置づけられがちですが、お二人がやっていることは実は意外に近いのかもしれない、とも思えます。両者のベースにあるのは、日常の隙間、あるいはその向こう側にある、まだ見えていないヴィジョン、定かならぬ領域に向けた探究精神。その探求において問われる能力は、対象への執着心、アタックし続ける気力、体力、そして反復力でしょう。トーク終了後、石田さんに以前インタビューした際に、石田さんの幼い頃の将来の夢が「画家」か「博士」のどちらかになることだったと言っていたことを思い出しました。「つまり何かに打ち込むこと、没頭し続けることへの憧れです」、と。

    最後に、この異色のカップリングを企画・実現してくださった、アカデミーヒルズの熊田ふみ子さんに、この場を借りてあらためて感謝申し上げます。また、素敵なコラボレーションの機会のあることを!

    (松永)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.1

    投稿日: by  カテゴリ:

    画家/映像作家・石田尚志さんの主要作品を網羅する初の大規模個展「石田尚志 渦まく光」の開幕まで、いよいよ2か月をきりました。遅ればせながら私、本展覧会の担当学芸員の松永真太郎と申します。今後このブログで、私を含めた展覧会担当者・関係者が展覧会準備状況や関連情報を不定期に発信していきます。

    さて、石田さんはいまや全国の美術館から引く手あまたなアーティストですが、こと横浜美術館とは以前から浅からぬ縁があります。なかでも、当館の公開制作プログラム「AIMY(アーティスト・イン・ミュージアム横浜)」に石田さんを招聘し、長期の滞在制作がおこなわれた2006年は、そのハイライトでした。

    滞在制作の期間は、2006年10月下旬から翌年2月上旬までの4か月あまり。石田さんのご自宅から美術館まで電車で1時間もかからないので、正確には「通勤制作」です。毎日、11時前後になると美術館のアートギャラリーに姿を見せ、そこに造作されたセットのなかで描いては撮影し、また描いては撮影するという反復作業を黙々とこなして(ときどき何も手につかない状態に陥りつつ)、時おり来館者と軽く言葉を交わしたり、ふとどこかに姿をくらませたりしながら、日が暮れる頃には多摩美術大学夜間部の講義をしに向かう・・・という日課を繰り返す石田さん。そしてその過程で刻々と変転していくスタジオの様相。やっている作業はいつも変わらない、なのに次のシーンがどう展開するかは予測不能、という石田さんならではの制作スタイルを間近に見届けられる、私にとっても稀有な経験でした。(当時の概要はこちら

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    滞在制作風景(2006年11月11日)

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    滞在制作風景(2007年2月11日)

    ところで、その時の石田さんを私以上に至近距離で見ていた(というより石田さんとともに制作に従事していた)人がいました。この滞在制作において石田さんの「右腕」となって働いてくれた、祢津悠紀(ねつ・ゆうき)さんです。祢津さんは、学生時代に石田さんの作品と講義に接して感銘を受けたことがきっかけで親交を深め、以来、石田さんの公私にわたる大事な場面で必ず呼び出しがかかってしまう存在であり続けています。石田さんにとって大切な弟分として、あるいは示唆に富んだ助言者として、ときには単なる雑用係として、無二の関係を築いてきた方です。ちなみに、この特設サイトにある石田さんのインタビュー映像の撮影・編集をしてくださったのも、ほかでもなくその祢津さんです。

    さて、この滞在制作で撮りためられた1万枚を超えるデジタルスチルは、編集作業を経て、最終的に《海の壁-生成する庭》《海の映画》(いずれも2007年)という2つの映像作品に結実します。両作はその後、国内外の展覧会・映画祭等あわせて15か国、30箇所以上で展示・上映され、石田さんの代表作のひとつとなったわけですが、はじめて一般に公開したのは2007年3月の当館での映画上映会においてでした。その時はまだ編集途上の「ラッシュ版」での上映で、作品のタイトルは《生成する壁(仮)》となっていました。

    その時の上映会のパンフレットには、さきほどご紹介した祢津さんご執筆による滞在制作ドキュメント「アシスタント回想記」が掲載されていました。今読みかえしても、なかなかの名文。いまは文筆家としても活動している祢津さん、その独創的なレトリック。そのテクストをWEB上に再録し、祢津さんの回想記を通して8年前の制作現場を回想するところから、このコラムページを始動しようと思います。

    (松永)

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    『生成する壁』アシスタント回想記

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    この上映会の宣伝ちらしの裏表紙に、制作中の石田尚志氏の写真が載っている(編集者注:上の写真です)。壁から床に長い白線を切り開いている石田氏の手前の、カメラの影が立つ左手の暗がりにもうひとつ人影が見えるかと思う、それが私である。『生成する壁』プロジェクトの撮影が年をまたいで五ヶ月に及ぶその間、石田氏と私は三台のデジタルカメラと二台のデジタルビデオカメラ、二台の16mmカメラによる複雑な被写視野の交錯からまぬがれた曖昧な暗闇からペンキの匂いを吸い込み、滴の落ちるかすかな、あるいは絵の具を含んだ筆が壁に叩き付けられる音、または数分に一度、異様な沈黙とともに鳴くシャッター音に聞き耳を立てていた、スタジオには時計が無かった。そしてもう一台の、私たちのうしろにしばしばスタジオに訪れる美術館スタッフの桜庭さんの小さなデジタルカメラが寄り添っていた、裏表紙の写真を焼き付けた彼女のカメラのほど近くには、担当学芸員の松永さんとスタッフの関さん、庄司さんが同じ景色を共に見ていたかもしれないが、私はその瞬間を思い出せない。または見ていなかった、背を向けているので、、、何だかまるで写真のとおりだし、また、写真とはそういうものらしい。スタジオを写した桜庭さんのカメラ、スタジオの一角に建てつけられたひとつの部屋を石田氏込みで見ている私、部屋の壁を渡る筆先を見入る石田氏。毎日の作業工程をかきとめた日記帳によると、写真は十二月の終わりにさしかかったある日のスタジオの様子らしかった。この日はとりわけ重要な展開があった、線が伸びひしめいて濃紺の部屋のなかに白く塗り潰された壁と床の一帯は、あるカメラからは部屋のパースをあざむいて歪みのない真四角として(見えて)、撮影の準備のうちに作り置いていた一枚の、白い身の丈を超える実体の壁が、このあと部屋の白抜きに重なって呼び出されるようにあらわれる、という作業の途中のはずだ。年明けまもなく取材に訪れた朝日新聞の記者はとても熱心にこれらの演出に問いを投げていた。石田氏は、実は演出に意図はありません、作品の完成像も、まだ見えていません。むしろ日々描き連ねることで一体どんな効果が現れるのかが見たい。と答える、三ヶ月の制作公開のうちにも、スタジオに訪れた百人近くの観客の方々ともしばしば、同じやりとりがあった。私もまた(四年前、)少なからず繊細さと理知をたたえる石田氏の映画群が絵コンテも構成表も持たない、ほとんどいきあたりばったりといえる描画の繰り延べと集積から生まれると知って仰天した観客の一人だった。『生成する壁』は四月二十一日からの『水の情景』展出品への撮り下ろしであるため、テーマとして「水」が与えられているが、石田氏の制作はそのものが「水」への解釈を(筆によってあたらしい水脈を訪ねるように、)徐々に汲み上げる過程であった。部屋にペンキをまき散らし、水を降らしつめて絵を洗い流し、霧を作り、壁に投げかけた(沖縄の水平線の)映像と床に落ちた水鏡の反射のあわいに描線による像を重層してゆく、これらの行為の複雑な厚みはそのままラッシュフィルムからスクリーンの乾いた布面に滲み還ってゆくだろう。そして、ではスクリーンに還らないものは何だろう。裏表紙の写真に写った(写らなかった、)数人の私たちが嗅いでいたペンキの匂いと様々な音の、おそらくあらゆるアトリエで立ちこめるやはり霧のようなかさなりかもしれない。ペンキの匂いは乾きつつある水の気配をさせて、そして多分に手間のかかる日々の作業は絵の具の乾きを待つ長い時間を含んでいた、そのあてどない待ち時間は、そのまま「絵」が「乾いた絵の具」だというからくりが内蔵する「水の時間」へと繋がっていった。「絵」は「えがく」という時間を伴った行為こそが「乾いた」ものだった。幾度も塗り潰されることで壁は「絵」と「地」の間を往復しつづけ、しかし映像を巻き戻すようにはもとの「地」に戻れないことを示すように、重ねられた筆跡のかたちの凹凸を表面に残しつつ静かに厚みを増すのだったが、同時にその過程は編集という純粋な往復のためのもうひとつの素地を渉猟する「映画の時間」の巨大な起伏のなかにあった。作業がはやく空けた夕方にこの美術館の図書室で、エジプトの壁画集をひらくことがあった、盗人にはがされ取られた「壁の画」が、博物館の壁にもういちど貼られる。エジプト壁画の皹割れのくろぐろとした影の奥には博物館のもうひとつの壁が白いままで覗き、その遠い白さはなぜか銀幕の遠さを思わせた。つぎの朝になり石田氏よりひとあし早く入った無人のスタジオもまた、やはり室内の床壁に食いこんだかりそめの空間であり、私はこの美術館そのものの震えを聴くような気がした。朝の壁は(きっと作者さえ)まだ知らない変貌を待って口をあけていた。そこではやはり昨日の匂いと今日の音がし、やがて画家がやってくる。

    (祢津悠紀、アシスタント)

    「キャパ/タロー」展 準備&ニューヨーク出張レポート(学芸員 松永真太郎)

    投稿日: by  カテゴリ:

    1.

    ここに一枚のチラシがある。


    2.

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    3.

    この書き出しは、沢木耕太郎さんが毎度ながらスタイリッシュなレトリックで魅了する最新刊、『キャパの十字架』の受け売りである。
    一方、このチラシのほうは、現在開催中の企画展「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」の開幕半年前、去年の夏に作った「先行チラシ」である。タイトルは「生誕100年 キャパ、知られざる実像 ロバート・キャパとゲルダ・タロー」。今回の展覧会、この時点では確かにそういうタイトルであった。
    実はこのタイトル変更に、開催に至るまでの紆余曲折が隠されている。
    開催までの「知られざる」経緯について、その中途における大事なステップとなったニューヨーク出張に焦点をあてながらあらためて振り返ってみたい。


    4.企画経緯

    横浜美術館にはロバート・キャパの写真が193点収められている。ほとんどは当館の開館前に収蔵されていたにもかかわらず、一度もまとめて公開する機会なく20数年が経過していた。
    今から2年ほど前、キャパの写真を多く含んだアメリカからの展覧会企画のオファーが届いた。「写真」をメインコンセプトの一つに掲げる当館だが、ここ数年、その分野の企画展を開催していなかったこともあり、「いよいよキャパいくか?」ということで、持ち込まれたそのオファーの内容と、当館のキャパコレクション全点展示とをセットする、という企画案が浮上した。
    そのタイミングで私に担当のお鉢が回ってきた。あらためてキャパの年譜あたりから目を通そうとすると、なんと来たる2013年が生誕100年という運命的偶然。この企画自体の説得力と売り文句を一気に獲得――という喜びもつかの間、さきのオファーについて借用先と日程的の折りあいがつかないことが明らかとなり、話はいったん白紙に戻る。
    ならば、当館のキャパコレクションのみで一本の展覧会とするか。193点に関連資料や近しい写真家も入れれば物理的には十分成り立つ。しかしクリアしなければならない課題がここにひとつ。

    巷の「キャパ展」と、どう差別化するか?

    キャパ。もちろん世界的写真家に違いないが、人気と知名度の高さはとりわけ日本で突出している。その人気も手伝って、これまで全国津々浦々、展覧会が開催されてきた。今回の展覧会、「横浜美術館キャパコレクション全点初披露」という謳い文句はあるものの、「複製芸術」たる写真ゆえ、同じ写真が当館以外にも所蔵されており、それらは各地の「キャパ展」で公開済みである。過去に「キャパ展」を見たことのある人たちに対しては、確実にアピール不足である。

    この「差別化」という課題に向き合っていた矢先、マグナム・フォト東京支社の小川潤子さんが新たに持ってきてくださったのが、ICP(国際写真センター)所蔵のゲルダ・タローの展示オファーだった。
    タローはキャパの恋人として知られていたが、実は「キャパ」という名前自体、もとはこの2人が創りだした架空の写真家のものである。いわば2人揃ってはじめてキャパ、である。オファーリストは80数点と中規模だったが、その写真群は時期的、地理的、趣旨的にキャパの活動とのシンクロをみせていて興味深い。このタローの写真を当館のキャパコレクションに織り交ぜる形で展示したら有効であろうことはすぐ理解できたが、一方でリスクも少なからずあるように思えた。借用に係るコストも決して安いものではない。
    このオファーがその経費的リスクを担保しうる内容か、否か。
    美術館内部でも意見は割れたが、最終的にこのオファーを受けることで館長のGOサインが出た。タローの存在をフィーチャーすることが、「ロバート・キャパ」という写真家の全体像を伝えることに直結するという点に、さきに挙げた「巷のキャパ展」との明確な違いと意義が見いだせたからだ。あわせて、タローを入れることで、もっぱら男性主体といわれるキャパのファン層に加え、女性にもアピールできるのでは、という広報上の邪なねらいも、わずかばかりあった――かも。

    大枠が固まり、本格的な準備に取りかかったのがちょうど1年前。まずは、撮影された年代や場所が曖昧なままになっていた当館のキャパコレクションについて、個々の写真のアイデンティファイの作業を進める。同時並行で、夏の「奈良美智展」に来るたくさんの来場者をねらって、冒頭に述べた「先行チラシ」を制作。その際、タイトルを「生誕100年 キャパ、知られざる実像 ロバート・キャパとゲルダ・タロー」に決定する。
    一方で、マグナムの小川さんに仲介していただき、沢木耕太郎さんとの面談の機会も得る。沢木さんが20年ほど前に翻訳されたキャパの伝記は今なおベストセラーだ。我々の「キャパ/タロー」展に際して諸々ご協力をいただけないかと沢木さんに打診。しかしお返事はネガティヴ。聞けば、目下長編ノンフィクションの執筆が佳境に入っていてほかに時間が割けない――とのこと。さらに聞けば、そのテーマはキャパとタローについてである――という。運命的偶然。そして年末に文芸春秋に掲載されると。加えて聞けば、年明けにはその論考を基にしたNHKの番組制作の企画も進行中――。
    その雑誌や番組で、こちらの展覧会のことを具体的に紹介することはできない、とは言われたものの、タイアップなど無理に意識せずとも、おのずと両者(雑誌&TVと展覧会)は結びついていくに違いないのである。しかも会期中の講演会をお引き受けくださった。沢木さんはめったに登壇なさらない方。ありがたいお話だ。

    そういったステップも踏みつつ、一方では粛々と当館のキャパコレクションのアイデンティファイの作業を進める。撮影場所や年代の前後関係がほぼ明らかになったところで、順番をあらためて整理し、時代別にカテゴライズ。そこにタローの写真群を挟み込んで図面に落としこみ、今回の展覧会の基本構成を作成した。

    ところが。

    その素案をICPに送った段階で、先方との認識の齟齬が明らかになる。ICP側は、このタローのオファーを、単に所蔵作品の貸出しとしてではなく、2007年に同館が開催した世界初の「Gerda Taro」展の巡回と考えています――と。よって、横浜美術館のキャパコレクションとの合体などのアレンジを加えるのはあり得ません――と。
    結果、展覧会の構成そのものを考えあらため、「キャパ」と「タロー」のふたつの個展として組み立てなおすことに。それにあわせて、先に述べた「キャパ、知られざる実像」という展覧会タイトルも、「タローをキャパの一部にするような打ち出し方はしないで」という先方の意向に鑑みて、白紙撤回となった次第である。企画展示室3室のうち、最初の1室をタロー展、後の2室をキャパ展、と分断した再プランがICPによって了承されたのが、昨年の10月。そこまで行き着くのに結構な時間を費やしてしまった。


    5.NY出張

    ようやく展示プランがオーソライズされ、いよいよ10月末にニューヨーク出張が実現。これまでもクーリエや視察等で海外出張の機会はわりとあったが、交渉ごとが多く、難しい局面も予想される今回は、この展覧会のお目付役である主席学芸員の天野さんに一緒に行ってもらうこととなる。ここまでの準備段階の遅れを一気に挽回すべく、展示図面、広報物のデザイン案、契約書案など、決着をつけるべきありったけの材料を携えて現地に向かう。

    ところが。

    我々のニューヨーク来訪に合わせるかのように、巨大ハリケーンが東海岸に接近していた。これも運命的偶然か。
    日本を発つ直前にその情報は聞こえてきてはいたものの、正直、どうにかなるだろうとタカをくくっていた。しかし到着した現地ではすでに、「ハリケーンSandyの影響で、明日は交通機関も公共施設も閉鎖の見込み」と伝えられていた。ICPのキュレーター、シンシアさんに連絡をとり、翌日に予定していた面談はひとまず翌々日に延期することを夜中に確認。結果的には、その後数日にわたってニューヨークは都市機能マヒの状態となり、我々は丸2日、身動きとれない状況に陥ってしまった。

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    到着初日のNY。天野さんの後ろ姿。この日はまだ地下鉄も動いていた

    じたばたしても仕方ない。ホテルの部屋にこもり、テレビのハリケーン情報をチェックしながら、キャパ展のためのデスクワークに専念。日本で深夜、TVの台風情報を、少しだけ切ないBGMとともに眺めながら過ごす時間と同じ、穏やかな非日常感が、意外と作業をはかどらせる。いくつかの、こなすべき仕事が片づく。
    さて、この「空白の2日間」、まるまるホテルに缶詰だったかというと、そうでもない。普通に外に出られる状態なのだ。時おり雨はぱらつくものの傘をさすほどでもなく、風にいたっては普段のみなとみらい21地区の海風と比べても、MMに軍配が上がる。ただし外出したところで、地下鉄はストップ、美術館もギャラリーも店舗もクローズなので何もすることがない――という状況がやるせない、というだけの話だった。

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    ホテル近く。ハリケーンで破壊されたクレーンがビルの屋上に見える

    「空白の2日間」の初日、宿泊先ホテルから徒歩5分のところにあるビル屋上の建設用クレーンがSandyの仕業で折れ曲がった。ニュースはその映像を盛んに流して、事態の深刻さを世界に向けて発信している。ところが、それを映し出しているTVの脇にある窓の外には、限りなく平穏に近い光景が広がっている。このギャップはなんなのだろう。
    家族や職場に連絡をとると、このハリケーンの話題が日本でも大きく報じられていて、みんな相当心配してくれている様子。心配させて申し訳ないけれど、こっちは全然大丈夫。問題は、帰る前にICP面談が果たせるのか、そしてスケジュールどおりに日本に帰れるのか、という2点のみです――。
    シンシアさんには、「ICPでの作品実見はひとまず置いて、取りあえずカフェで打ち合わせだけでもできないか」と天野さんがメールで打診するも、梨のつぶて。常になかなか返信がもらえないシンシアさんからのメールを待ちつつ、デスクワークに勤しむ「空白の2日間」。その合間合間に息抜きをかねて、天野さんに連れられて食事場所を探しに出歩くのだが、どの方角に向かってもレストランは軒並みクローズ。しかしその途上でも、「ここが国連ビル。」「市立図書館・・・」「セントラルステーション・・・」「タイムズスクエア・・・」「リンカーンセンター・・・」と、初ニューヨークの私に、20回以上来ているという天野さんがツアコンよろしく(ちゃんと初心者向けバージョンで)案内してくれるのであった。

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    人けのない国連ビル前にて

    「空白の2日間」2日目の昼食時には、1時間以上歩き回っても食べるところが見つからなかった挙句に「チャイナタウンまで足をのばしてみるか」となり、タクシーをひろう。「でもあっちのほうは確か停電しているはずでは・・・」と心配しながら向かうと、町に入ると人影は一気にまばらになってきて、予感的中。町中は、ネオンサインはおろか、信号機のランプすら消えた、まさにゴーストタウン状態であった。「ソーリー、こりゃどこも閉まってるよ」と言い残し、殺伐感あふれる町の真ん中に我々を捨てて走り去っていくタクシー。
    途方に暮れていると、気がつけば天野さんはすでに通りの向こうにある一軒の料理店の暗闇の中に入ろうとしている。あわてて後を追う。電気の消えた店内で観光客らしき人々が数組、餃子を食べている。店員に聞けば、「電気もガスも来ちゃいないが、カセットコンロで餃子とラーメンだけつくって出してるよ」とのこと。

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    停電し、殺伐とした雰囲気のチャイナタウン中心街。信号も止まっている

    かくして、薄暗い店内で、熱くも冷たくもない微妙な温度設定、しかしながら決して食えないことはない餃子とラーメンで空腹を満たした次第。

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    日本でも時折見かける、いわゆるホワイトギョーザ。焼き&蒸し

    「空白の2日間」を経て、日本に帰らなければならない滞在最終日、朝。シンシアさんから「OK。ICPで10:00に」の連絡。ついに、念願の面会を果たすこととなった。
    やや小柄でスリム、栗色の髪にシャープな顔立ち、つんととがった鼻先をもつシンシアさんは、その日も引き続き臨時休館中だったICPの事務室に我々を案内してくれた。
    さっそく、多少身構えつつ諸々の確認や交渉に入るのだが、話は早い。

    ・展示プランについて→OK。
    ・ポスター、チラシのデザイン案について→OK。面白いデザインね。
    ・タローの広報使用写真のセレクションについて→OK。
    ・写真のクレジット表記方法について→OK。
    ・ICPタロー展カタログ日本語版の制作の可否→OK。

    間髪入れずにポジティヴなリアクションがどんどん返ってくる。日本で長らく、そしてニューヨークに来てからも続いた、メールベースでのややディスコミュニケーションな状態とは大違いだ。やっぱり直接会って話すのは、いい。
    しかしその即レスも、シンシアさん担当のキュレトリアルマターに限ってではあった。本来、ここにはもう一人、巡回展コーディネーターのマレンさんも同席しているはずだった。しかし彼女はその前の週の出張からハリケーンのためにNYに戻れず、その日もまだトロントで足止めを食らっていた。マレンさんの担当である契約書や作品輸送に関する話題になると、当たり前のことだがシンシアさんの返事は「マレンがいないからわからないわ」の一点張りに。それでも、マレンさんが戻ったらすぐ確認・返答してくれることを約束して、打ち合わせの要件はスムースに片付いた。

    話も弾んできた流れで、天野さんが「ちなみに松永は結構キャパに似てるんで」と口を滑らせると、シンシアさんは2秒ほど私の顔を凝視した挙句、「ふっつ」と、つんととがった鼻先で一笑に付す。日本で局地的ながら「キャパ似」で通してきた自負に少しだけ傷が付いたが、考えてみれば、私の顔立ちが多少濃かろうが、こっちの人から見れば「アジアン」の範疇から出るようなものではないのだろう。
    気を取り直して別室で作品実見。奥の保管庫から出してきたミュージアムボックスのなかのタローの写真を一枚一枚みせながら、その写真の場所や特徴について色々語ってくれる。対角線主体の構図的傾向、「死体」との向き合い方、等々。日本で、小さい図版を通してタローの写真に対して抱いていたおぼろげな印象に、ようやく実体が伴う感慨。作品を実見することの意味と重要性を再確認する。

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    すべての作品を確認し終えて、別れ際に「横浜のオープニングには来てくれるの?」と聞くと、「まだ誰が行くか決まってないけど、私はその時期忙しいから、違う人ね」とのこと。「ではもしかしたらもう会えないかも、でも今度からメールにはちゃんとレスをください」と声には出さずに伝えながら、シンシアと別れ、ICPを後に。
    出発までの残りわずかな時間を使って、その日から再開していたMoMAへ急ぐ。以前、上映会の企画でお世話になった足立アンさんとそこで再会し、大急ぎで展示を回ったのち、空港へ。JFK空港のフライトの案内板には、その日も「欠航」の文字が躍りまくっていたが、我々のANA便は1時間遅れで無事飛んでくれた。


    6.開幕まで

    その出張から開幕まで3か月弱。年末年始ほぼ返上での急ピッチの準備と、関係者・協力者の方々のたゆまぬ尽力の結果、なんとか無事オープンに漕ぎつく。
    展覧会の準備にはえてして、思いもよらない制約や偶然が降りかかってくるものだが、今回は特に盛りだくさんだった。しかし展覧会の関係者、協力者、そして内部のスタッフが、それらのアクシデントをことごとく「ポジティヴ」なものに変換してくれた。偶然に加え、「人」にも大いに恵まれた展覧会でもあった。
    そしてオープニングを間近に控えた展示作業のある日、ニューヨークから駆けつけてくれたのはほかならぬ、「私は行かない」と言っていたシンシアさんだった。彼女はそのつい1週間前に、自身企画による入魂の「デヴィッド・シーモア」展をICPでオープンさせたばかりだった。おそらく過去最大規模の「シム」展である。多忙と疲労の中、来てくださって感謝。400ページ近い分厚さの「シム展」図録(こちらも渾身の一冊だ)をお土産に持ってきてくれた。
    彼女に、オープン初日の記者発表と開会式でスピーチをいただき、その後あらためて2人で会場をまわった。幸い、ここの展示をとても気に入ってくれたようだった。

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    記者発表でスピーチ中のシンシアさん

    さて、企画当初の「キャパとタローの写真を織り交ぜる」方式から、半ば強制的に「2つの個展」に形を変えることになった今回の展覧会だが、展示を終えてあらためて感じたのは、こちらが正解だったかも、ということ。

    2人の写真を時系列に並べて単線的な流れを紡ぐよりも、個別の空間を構築したほうが、それぞれの世界観や特徴はより浮き彫りにされる。

    2人それぞれのストーリーをどう交錯させるかを、こちらが指定するのではなく、観る人の側に委ねることができる。


    7.エピローグ的に

    今回の展覧会、写真だけでも2人あわせて276点にのぼるが、それらの写真が掲載された数多くの雑誌や書籍も、もうひとつの見どころとなっている。その多くは当館美術情報センターの蔵書だ。
    その雑誌類を展示している壁付ケースは、今回の展覧会で特別にしつらえたものだ。実はこれ、ニューヨークでの最終日、MoMAの展示で見たケースの受け売りである。ささやかな「ニューヨークみやげ」ということで、あわせてご高覧いただければと。

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    左:MoMAにて(写真と映像コレクションの展示) 右:横浜美術館「キャパ/タロー」展会場


    おわり
       
    ※「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展は2013年3月24日に終了いたしました。


    プロフィール


    松永真太郎(まつなが・しんたろう) 横浜美術館学芸員

    島根県立美術館から2003年に横浜美術館へやってきた自称キャパ似の学芸員。「キャパ/タロー」展をきっかけに近隣企業の女性陣からの注目度が(本当に)急上昇。つぎは時空を超えて「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」(2013.7/6-9/16)での活躍が期待される!

    主な仕事
    「斎藤義重展」島根県立美術館、ほか5会場巡回(2002)
    「映画のシュルレアリスム」(2004)
    「絵画/映画(えいがぶんのかいが)」(2005)
    「日本|美術|映画 アートドキュメンタリー1930's-2000's」(2006)
    「アーティスト・イン・ミュージアム横浜2006 石田尚志・映像制作プロジェクト 生成する壁」(2006)
    「動く絵の冒険」(2007)
    「水の情景-モネ、大観から現代まで」(2007)
    「ヴァイタル・シグナル:日米初期ビデオアート上映会」横浜美術館、ほか9会場巡回(2009)
    「木之下晃写真展 山田一雄・音と人」みなとみらいホール(2012)
    「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー  二人の写真家」(2012)
    その他
    「横浜トリエンナーレ2008」(2008) コーディネーター

    APT7[アジア・パシフィック・トリエンナーレ]レポート ―キュレーションの新時代?― (主任学芸員 木村絵理子)

    投稿日: by  カテゴリ:

    シドニー、メルボルンに次ぐオーストラリア第3の都市ブリスベンで、3年に一度開催されるアジア・パシフィック・トリエンナーレ(以下、APT)は、1993年の開幕以来、今回で20周年を迎えます。アジアとオセアニア(大洋州)の美術を紹介することを標榜する本展は、福岡アジアトリエンナーレ(福岡市美術館で1980年代より開催されていた「アジア現代美術展」を前身に、福岡アジア美術館で1999年より開催。)や、ホイットニー・ビエンナーレ(ニューヨークのホイットニー美術館で1932年より開催された米現代美術を紹介するアニュアル展を前身に、1973年より隔年で開催。)のように、ある特定の地域に特化して開催される国際展です。
    また、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタなど、歴史ある国際展や、その後始まった国際展の多くがビエンナーレ専用施設やコンベンションセンター、街中の古い建物などを会場にする一方で、美術館を会場に開催される国際展の一群があります。釜山ビエンナーレは釜山市立美術館、シャルジャ・ビエンナーレはシャルジャ美術館、シンガポール美術館と国立博物館で開催されるシンガポールビエンナーレなどです。今回のAPTは、初回から会場として使われているクイーンズランド州立美術館(Queens Art Gallery)と、前回から新たに会場に加わった別館であるギャラリー・オブ・モダン・アート(Gallery of Modern Art)(以下、GOMA)の2会場で開催されています。

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    APTの会場、クイーンズ州立美術館(Queensland Art Museum)

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    APTのもうひとつの会場、ギャラリー・オブ・モダン・アート(Gallery of Modern Art)

    特にサブテーマを掲げることはなく、作家は地域のバランスを考慮しながらその時々の社会の動向を反映するように選ばれています。今回は27か国より75作家が選ばれ、一時期マーケットを中心に大きな存在感を放っていた中国勢が少なくなり、代わって東南アジアと南アジアのアーティストが多くなっています。また本展で初めてAPTに登場するイランやカザフスタンなどを含む西アジアは「0-Now: Traversing West Asia(西アジア横断)」と題した展覧会内小企画としてまとまった形で紹介され、同じく初出品となるパプアニューギニアからは、伝統的な手法で彫刻や船などを作る先住民族の職人たちをブリスベンに招聘し、都市文化をモチーフにワークショップを行うといった試みも行われています。

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    「0-Now: Traversing West Asia(西アジア横断)」展示風景

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    クイーンズ州立美術館のエントランスで展開するパプアニューギニアの展示

    現代美術の展覧会の冒頭で、パプアニューギニアの先住民族による家・船や彫像群が登場するのはやや唐突であり、オープニングイベントの一環として民俗的な踊りを披露するといったプログラムの組み方にはナイーブな印象を拭えませんでしたが、多様な文化・民族が共存するこの地域を扱うにあたり、西洋美術由来の現代的表現だけに特化しないという姿勢には、長くこの地域の美術を扱ってきた美術館ならではの視点が表れているとも言えるでしょう。
    今回比較的存在感の薄かった東アジア勢でしたが、日本からは岩崎貴宏、樫木知子、高嶺格、パラモデルの4組が参加しています。岩崎とパラモデルは本展出品作の他に、子供を対象にした展示・ワークショップのプログラムであるKids APTへもそれぞれ2作目を出品、また高嶺格はGOMAの中央エントランス脇で大型の映像インスタレーション《FUKUSHIMA-Esperanto》(2005年に横浜トリエンナーレで発表された《鹿児島エスペラント》の構造を展開し、アイゼンハワー大統領による「原子核の平和利用」の演説音声とテキストをモチーフにした作品。)を発表しています。

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    高嶺格《FUKUSHIMA Esperanto》(2012)

    全体に、絵画、立体物、シングルチャンネルの映像作品などが多い中で、パラモデルや高嶺格による一過性の大型インスタレーションや、岩崎貴宏の《Out of disorder (Under Construction)》のように、クイーンズランド州立美術館のコレクション展の中に介入していくような、その場所や空間に強く依存する展示を行った作家は珍しく、彼らの空間と作品の関係に対する繊細な感覚は他と一線を画した日本の特徴として映るものでした。

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    岩崎貴宏《Out of disorder (Under Construction)》(2012)はエントランスホール付近に設置された望遠鏡から、コレクションの展示室に紛れ込ませた作品を覗き見る
       
    さて、こうした展示自体の特徴以上に、APTを他の国際展から際立った存在にしている理由は、その組織体制や企画運営のシステムにあると言えるでしょう。今回はAPTを特徴づける要因「なぜ美術館で国際展を開くのか?」「なぜ特定の地域に特化していくのか?」、こうした問いに対するAPTの明確なビジョンについて紹介したいと思います。
       
       
    ――なぜ美術館で国際展を開くのか?
    国際展に限らず、美術館で展覧会を開く最大の利点はファシリティにあります。新築であれ古い建物を改築した美術館であれ、基本的に24時間空調により温湿度管理が行き届き、壁や照明、来場者のための搬入経路など建物の構造が美術作品を展示公開する上で妨げにならないようために設計されている美術館で展覧会を開催することは、何よりまず作品の安全性、および来場者の利便性という点で理に適っています。また、美術館のキュレーターだけでなく、様々な部門で働くスタッフが関わっている場合、会期中の運営は「展覧会がただ滞りなく開かれている」というだけに留まらない、より豊かな内容になり得るでしょう。その一つがKids APTの試みです。
       
       
    ――国際展は誰のものか?Kids APTの例
    APTで継続的に取り組まれているプログラムに、子供たちに向けた「Kids APT」があります。子供を対象にしたワークショップや鑑賞プログラムを実施している展覧会は珍しくありませんが、APTで特筆すべきは、一部の作品展示が予め子供を対象にして作られているという点にあります。日本のパラモデルや岩崎貴宏のように、出品作家の一部は通常の「鑑賞のための」作品展示に加えて、子供に特化した二つ目の展示(多くは参加型の作品)を要請されています。通常の展示がキュレーター中心に作られていくのに対して、KidsAPTの展示はエデュケーションチームのスタッフが中心になって企画されます。通常の展示とKids APTの展示は、規模においてほとんど違いはないどころか、むしろインドネシアの若いアーティスト集団トロマラマの例のように、通常の展示は壁のモニター1台なのに対し、Kids APTの作品は、アニメーション制作のプロセスを紹介する映像、モチーフとなった素材に対する理解を促すようなしつらえの奥に完成作品を展示するといった「大人向け」の展示をはるかに超える大掛かりな規模である場合もあります。

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    パラモデルによる展示
    左:通常の展示では複数の作品を組み合わせたインスタレーションを展開
    右:Kids APTのためには《パラモデル・ジョイント・ファクトリー》(2012)を制作、子供たちもプラレールで自由に遊ぶことができる

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    トロマラマの通常の展示ではそれぞれモニターがあるだけなのに対して、Kids APTのための展示《Whattt?!》(2010)は大がかりなしつらえが用意されている
       
    こうした展示は来場した家族連れ、学校単位での鑑賞会など、個人から団体まであらゆる来場者に開かれています。この美術館に限らず、地域に根ざした公立美術館の場合、多くは日頃から近隣の学校と連携し数多くの団体受け入れや鑑賞プログラムを実施していることが多くあります。そうしたスタッフのノウハウやネットワークが数年に一度の大型イベントに活かされ、さらに日常的には難しい展示事業へも拡大することができるのは、やはり美術館ならではの利点と言えるでしょう。
    さらには通常の展示作品にも介入していくように、子供に向けて壁の低い位置に平易な英語で書かれた作品解説も同プロジェクトの一環として付してあります。一般向けの解説が事実関係を記すことに力点が置かれていることに対して、子供向けの解説は作品を見る上での視点――作家の考えはどこにあるのか、どこに注目すべきか。――が簡潔に記され、自発的に作品を読み解く鑑賞の助けとなるよう書かれています。これらのプログラムの重要なポイントは、鑑賞会やワークショップのように限られた人(子供)ではなく、全ての来場者(大人も含む)に作品や解説が開放されている点にあるでしょう。子供に向けた平易な英語による解説は、英語を母国語としない外国人にもアクセシビリティを拡大し、子供に向けて作品制作のプロセスを開示するような展示は、大人にとっても興味深い鑑賞の対象となります。(またアーティストにとっても、普段なら見せたくないはずの制作プロセスを開陳することに対して、Kids APTという枠組みを通すことで別のモチベーションを見つけるきっかけになるかもしれません。)
       
       
    ――展覧会のバランス感覚
    Kids APTの例だけでなく、APTの展示全体に通底しているのは、徹底した組織力とバランス感覚です。APTでは1999年以降、外部キュレーターを原則的に置かず(今回は美術館内に専門家がいない西アジアのセクションとパプアニューギニアの作家を招聘するプロジェクトにのみ外部キュレーターが加わっています。)、常に美術館のキュレーター会議を通じて合議で物事が決定されていくといいます。(サブテーマについては、公式に掲げることはないものの、内部的な指針としてはあるようです。)
    さらにAPTを特徴付ける要素の一つに、美術館のコレクションとの関係があります。これは既に所蔵している作品のことではありません。美術館の基本的機能である作品を後世に伝えていく行為を、APT開催の意義として予め掲げ、美術館がAPTを新たな作品収蔵の機会としているのです。
    現在開催中のAPT7に出品されている作品のうち、約1/3はクイーンズランド州立美術館の所蔵であることが開幕の時点で明記されています。それは2011年のヨコハマトリエンナーレで横浜美術館のコレクションを多数出品したのとは異なり、APT7のために予め購入された新収蔵作品です。別の言い方をすれば、クイーンズランド州立美術館では、日常的なコレクション形成活動のお披露目の場として、APTを位置づけているのです。
       
       
    ――キュレーションの新時代
     さて、冒頭で掲げた2つの問い「なぜ美術館で国際展を開くのか?」「なぜ特定の地域に特化していくのか?」のうち、1つ目については上に紹介してきたような展覧会の質だけに留まらない層の厚い運営が答えとなっているでしょう。では2つ目の問いに対する答えについては、現在ニューヨークのニューミュージアムで開催中の企画展「NYC 1993: Experimental Jet Set, Trash and No Star」を例に挙げて比較することで締めくくりたいと思います。
    この企画展は、今から20年前の1993年のニューヨークに焦点をあてて、その頃活動していた作家たちがまさに1993年に制作した作品だけを集めたものです。2010年の光州ビエンナーレを成功させたことで一躍知られるようになったマッシミリアーノ・ジオーニにより企画された本展には、マシュー・バーニー、マウリツィオ・カタラン、マイク・ケリー、ナン・ゴールディン、フェリックス・ゴンザレス・トレス、アニー・リーボヴィッツ、シンディ・シャーマンなど、表現手法も作風もテーマも異なる多数の作家が入り乱れています。本展を繋ぐのは、ただ「1993年のニューヨーク」という緩い括りと当時流行っていたソニック・ユースのアルバムタイトルが喚起する時代のイメージだけ。しかし、一見無作為に抽出されたサンプルのような作品群は確実に当時の時代の空気―蔓延するエイズ、セクシャル・マイノリティたちへの偏見とそれに対する抵抗、冷戦後のグローバリズム台頭とその反動など―を想起させ、そうした空気の中でどうアーティストたちが表現活動を行ってきたのかが鮮やかに立ち上がってきます。それは一時期強力なキュレーターが牽引した強固なコンセプトの下にまとめ上げられた展覧会とは異質の、鑑賞者による自発的読解を促すような組み立て方とも言えるでしょう。同展に際して刊行されたカタログには、フランチェスコ・ボナミやニコラ・ブリオーらのテキスト、ハル・フォスターにロザリンド・クラウスなど当時の美術思想を支えた人々の対談などが収録され、多角的に当時の美術を読み解く試みがなされています。
    「アジアと大洋州」という緩い括りの下、サブテーマを設けないというAPTの姿勢もまた、「NYC-1993」とよく似た構造をしています。あるいは昨年開催されたドクメンタ13にも、特定のコンセプトや思想に依らない姿勢が見られました。ある単一のコンセプトの下に多様な作家の活動を一括りにすることがいかに暴力的な行為であるか(作品が扱うテーマが繊細な問題であるほどにそれは際立ちます。)を認識した上で、ある作家と作品を選ぶ。そのことによってコンセプトを前面に出さずとも一定の空気が醸成されてゆく。APTが発足した時点ではこうした考えは無かったかもしれません。しかし現在、そうした展覧会の組み立て方が生まれつつあることは、新たなキュレーションの方向性を示す一例とも映りました。
       
       
       
    プロフィール


    木村絵理子(きむら・えりこ) 横浜美術館主任学芸員

    横浜美術館で開催される現代美術展を一手に担うキュレーター。2012年は奈良美智展において、現代美術では異例の16万人の来場者数記録を出したところ。一筋縄ではいかないアーティストたちを束ねてきた高いコミュニケーション能力は、多くの関係者、アーティストからの厚い信頼の源となっている。次々と降ってくる大量の仕事をこなす傍ら、世界各地に広がるネットワークを駆使し、展覧会、国際展、アーティスト調査を着実に進めている。横浜美術館歴代の現代美術担当らしく(?)、食べること、飲むことは大好きな模様。
    現在、シンガポール美術館(Singapore Art Museum)との共同による企画展「Welcome to the Jungle 熱々!東南アジアの現代美術」(2013.4.13-6.16)を準備中!2014年にはもうひとつ大きな仕事が待っている。

    主な仕事
    「開館15周年記念展 イメージをめぐる冒険―AND?それともVS?」(2004)
    「森村泰昌―美の教室、静聴せよ」(2007)
    「GOTH -ゴス-」(2007
    「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」(2009)
    「束芋:断面の世代」(2009)
    「高嶺格:とおくてよくみえない」(2011)
    「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」(2012)
    その他
    「横浜トリエンナーレ2005」(2005)
    「Kuandu Biennale 2008」(2008) ゲスト・キュレーター
    「Busan Sea Art Festival 2011」(2011) 日本部門招待作家コミッショナー

    ベップアートプロジェクト・レポート(主任学芸員 木村絵理子)

    投稿日: by  カテゴリ:

    たとえばちょっと遠くの土地へ、皆さんが展覧会や芸術祭を見に行こうと思い立つ時、たくさんの選択肢の中から「これだ!」と決める要因は何でしょう?
    好きな作家が出品しているから?チラシやウェブサイトが素敵だったから?信頼できる人が薦めていたから?あるいはその街に行ってみたいと思っていたから?

    また別の視点から。

    ある展覧会や芸術祭の満足度とは、どこで決まるものでしょう?
    素晴らしい作品に出逢って感動した時、という当然の答えはさておき、主催者が考えるべきホスピタリティとは何?
    チケット代に対する作品の物量という費用対効果?あるいは、充実した内容の解説などを通じて作品への理解が深まるような行き届いたサービス?
    美術館の展覧会も、地域で展開する芸術祭も、公的な資金を受けて継続性のある事業を展開しようとする場合は常に、その事業内容の公共性が問われます。それぞれの主催者は個々の作品への配慮と同じくらいに、あるいはそれ以上に、来場を促進するための広報戦略と、次へ繋がるような顧客満足度への配慮が要請されています。


    日本一の源泉数と湧出量を誇る別府温泉。古くは万葉集にも記述が見られる歴史ある土地です。最盛期の勢いは陰りを見せたとはいえ、週末ともなれば羽田から大分への飛行機はほぼ満席というくらいに、今なお訪れる人の多い観光地である別府を中心に、この秋3つのアートプロジェクトが開催されました。

    「混浴温泉世界2012」、「ベップ・アート・マンス2012」、「国東半島アートプロジェクト2012」。

    3つのプロジェクトは、いずれもNPO法人BEPPU PROJECTを中心に運営される芸術祭で、それぞれが簡単に以下のような特徴を持っています。 
      
    「混浴温泉世界2012」
    ・別府市内で3年に1度開催される芸術祭。(今年は2回目)
    ・2012年は8つの国際的なアーティストによる比較的規模の大きなプロジェクトを実施。場所(会場)を特定せずに市内全域で展開。

    PROJECT 01 廣瀬智央
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    朝見川河口近くの要所として栄えた花街跡で、古い長屋を改装・再生するプロジェクト。
    長期利用を前提にしたプラットフォーム作りが行われた。併せて、手つかずのまま朽ちていこうとする空間にかぼすの植木鉢を置いて鑑賞者を誘導、空間に残された街の歴史に目を留めさせようとした。

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    廣瀬作品に隣接するコミュニティ・スペース「浜脇サロン」では、かぼす水のサービスも。


    PROJECT 02 楠銀天街劇場
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    アーケードの空き店舗や周辺空間に廃材などを利用したインスタレーションを設置。それらを「劇場」に見立てて会期中にダンス・パフォーマンスなどを開催。


    PROJECT 03 シルバ・グプタ
    かつては飲食店があった商店街の雑居ビルの地下に数千本のマイクを持ち込み、マイクをスピーカーとして(集音のためのマイクは構造的にスピーカーの役割を果たすこともできる)利用、暗闇の中のサウンドインスタレーションを展開した。また、鉄輪地区では温泉旅館の屋上にネオンサインによる作品を発表。


    PROJECT 04 混浴ゴールデンナイト!
    元ストリップ劇場をみかんぐみがリノベーション。日中は再生の過程を追った展示とバックヤードを公開、夜間は様々なアーティストが集うライブパフォーマンス「混浴ゴールデンナイト!」を開催。


    PROJECT 05 アン・ヴェロニカ・ヤンセンズ
    市街地の中心にあるトキハ百貨店の今は使われていない1フロアを使って、霧と光のインスタレーションを展開。


    PROJECT 06 クリスチャン・マークレー
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    別府湾に突き出す桟橋に火と水のイメージをあしらった100本の幟を設置。幟に下げられた鈴が潮騒と相まって心地よいサウンドを生み出すインスタレーション。
      
      
    PROJECT 07 小沢剛
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    街のシンボルとして海岸近くに建つ別府タワー。その側面にある「アサヒビール」の電飾広告を素材に、6つの文字の順番を並べ替えることで10か国以上の言語が入り混じる歌を作詞。音楽家の安野太郎が作曲し、電飾と歌声が連動する。
      
      
    PROJECT 08 チウ・ジージェ
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    温泉と竹(竹細工はこの地方の伝統工芸であり、高温の源泉を冷ます装置にも使われてきた。)というこの地域に特徴的なモチーフを使って、大型の竹細工による立体作品を発表。
      
    ・1回展で恒久設置となった作品や、リノベーションにより生まれ変わったスペースも継続して活用。2回展で新たに加わったリノベーション物件も今後活用されることで継続性が期待される。
      
      
    「ベップ・アート・マンス2012」
    ・別府市内で毎年開催される登録型の市民文化祭。
    ・2012年は123団体による149プログラムを開催。各イベントの企画・実施は参加団体の自主運営に任されている。
    ・恒常的に運営されている空間Platform01-08や、清島アパートなどでは、限定的に日常的に自主的な活動が行われている団体・会場が含まれ、現代美術ファン層にもアピールする内容を含む。

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    清島アパート外観(前回の混浴温泉世界以後、継続的にアーティストが滞在、自主運営によるプロジェクトを実施している。)

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    清島アパートでオープニングに併せて開催された眞島竜男による天ぷらパフォーマンス。

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    Platform02では、混浴温泉世界オープン時、40歳未満の作家を対象とするBEPPU ART AWARDの受賞作家加瀬才子の受賞展「Life-time Project」が開催された。
      
      
    「国東半島アートプロジェクト2012」
    ※筆者が訪れた10月初旬の時点ではプレ・オープンのバスツアーのみ実施。
    ・別府市から離れ、国東半島全域に広がりを持つ今年新たに始まったプロジェクト。
    ・アーティストの滞在制作を通じて、奈良時代まで遡る山岳仏教や神仏習合文化の歴史的遺産、豊後灘に臨む豊かな自然を含みつつ「作品」として紹介していく。

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    飴屋法水他によるバスツアー型プロジェクトの説明。

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    室町時代の荘園の様子を現在まで伝える国東半島の田園風景。
      
      
      
    行われているのは、作品展示あり、パフォーマンスやレクチャーあり、滞在制作ありと様々です。ただし作品のボリュームは、「混浴温泉世界」は8プロジェクトと少なく、半日あれば見て回れる程度。
    「ベップ・アート・マンス」の中の主要な現代美術のプロジェクトと合わせても、1日で十分。これに「国東半島アートプロジェクト」を1日足しても、丸2日間あればストレス無く作品を楽しむことができます。重たくて分厚いガイドブックなどなくても、各所のスタッフからゆっくり話を聞くことができ、5日あっても足りないドクメンタや、広大な地域にひろがる新潟や越後妻有のように地図を握りしめて動き回る必要はなく、日帰り温泉に浸かり美味しい食事をゆっくりいただき、のんびり見て回ることが可能です。

    プロジェクトの中には、小沢剛やクリスチャン・マークレーのように一過性の展示やパフォーマンスもあれば、廣瀬智央のように長期的なスペース活用を睨んだ古民家のリノベーションなどを含むものもあり、数は少なくともバリエーションは豊かです。毎夜開かれるパフォーマンスや週末毎のイベントも時間の重複ができるだけ無いようにプログラムが組まれている行き届いた心遣い。
    国東半島アートプロジェクトについては、筆者はオープニングのプレイベントとして実施されたバスツアーに参加しただけなので、詳細を語ることはできませんが、進行中のプロジェクト(飴屋法水によるツアー型パフォーマンスや古民家のリノベーション等)の準備過程を横目に見つつ、山岳密教や神仏習合の歴史遺産と豊かな自然に触れるだけでも、その行きづらさを考えると「バスツアー」という形式は極めて正しい選択です。
      
    さてここで再び冒頭の疑問に戻ります。
    私は2泊3日の別府滞在に満足し、自信を持って他人に薦めるでしょうか?
    残念ながら今年のプロジェクトは会期終了してしまいましたが、次回機会があればぜひおススメします。ただし、現代美術に対して貪欲な知識欲を持つ人には、「ゆっくり温泉に浸かってきたら?」という言葉を添えて。
      
      
    本コラムの冒頭を飾ったドクメンタには、100日間の会期中86万人の入場者がありました。(チケットの販売数に基づく公式発表。この他内覧会や会期中に訪れたプレスや美術関係者が1万2千人。)
    ドクメンタが開かれるドイツ・カッセル市の人口は現在約20万人。実に市の人口の4倍以上の人が展覧会を見るためにカッセル市を訪れたことになります。
    正直、際立って風光明媚でもなく、料理が美味しいわけでもないドイツの田舎町で、お世辞にも「わかりやすい」「楽しい」とは言い難い現代美術作品が並ぶ巨大な展覧会に、これだけの人が集まり続けるということ。そこには「ドクメンタ」の歴史的な信頼性(ブランド力)があると同時に、一人の作家や特定の作品によるものだけでない「展覧会」という存在自体が、何か人を惹きつけてやまない潜在的な力を持っていると言わざるを得ません。
    このコラムでご紹介してきたような芸術祭は、こうした展覧会の魔力を見込んで、作品を通じてある街や地域の魅力を発掘・再生しようとする側面もあります。

    では別府のプロジェクトもそうかというと、一部の作品には同様の傾向を見出すことができるものの、プロジェクト全体を見渡すと少し趣が違います。冒頭でも書いた通り、別府は往時の勢いを失ったとはいえ立派な観光地。おもてなしという付加価値によって多数の旅館がしのぎを削り合ってきた土地です。ベップアートプロジェクトの最大の魅力と特徴は、まさしくこの「おもてなし」をどう実現するか、その一点で全てがプロデュースされていると言っても過言でないでしょう。
    NPO法人BEPPU PROJECTは、アートプロジェクトの企画運営だけでなく、日常的に無料のガイドブックを全国で配布して別府の魅力をPRし、時には旅館のリノベーションとブランディング、ウェブサイト制作を手がけるなど、街全体でお客さんの満足度を高める仕掛けを作っていこうとしています。ベップアートプロジェクトは、作品発表だけで完結することなく、出発前の高揚感の演出に始まり、作品鑑賞後の食事や宿を含めた旅のあり方そのものを提案するプロジェクトと言えるでしょう。
      
      
    プロフィール


    木村絵理子(きむら・えりこ) 横浜美術館主任学芸員

    横浜美術館で開催される現代美術展を一手に担うキュレーター。2012年は奈良美智展において、現代美術では異例の16万人の来場者数記録を出したところ。一筋縄ではいかないアーティストたちを束ねてきた高いコミュニケーション能力は、多くの関係者、アーティストからの厚い信頼の源となっている。次々と降ってくる大量の仕事をこなす傍ら、世界各地に広がるネットワークを駆使し、展覧会、国際展、アーティスト調査を着実に進めている。横浜美術館歴代の現代美術担当らしく(?)、食べること、飲むことは大好きな模様。
    現在、シンガポール美術館(Singapore Art Museum)との共同による企画展「Welcome to the Jungle 熱々!東南アジアの現代美術」(2013.4.13-6.16)を準備中!2014年にはもうひとつ大きな仕事が待っている。

    主な仕事
    「開館15周年記念展 イメージをめぐる冒険―AND?それともVS?」(2004)
    「森村泰昌―美の教室、静聴せよ」(2007)
    「GOTH -ゴス-」(2007)
    「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」(2009)
    「束芋:断面の世代」(2009)
    「高嶺格:とおくてよくみえない」(2011)
    「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」(2012)
    その他
    「横浜トリエンナーレ2005」(2005)
    「Kuandu Biennale 2008」(2008)ゲスト・キュレーター
    「Busan Sea Art Festival 2011」(2011) 日本部門招待作家コミッショナー

    釜山ビエンナーレレポート(展覧会コーディネーター 庄司尚子)

    投稿日: by  カテゴリ:

    韓国は今年、ビエンナーレ・イヤー。
    9月、4つの現代美術の国際展が開幕しました。アジア最大級の規模を誇る光州ビエンナーレを皮切りに、メディア・アートの国際展、メディア・シティ・ソウル、写真・映像作品に着目したテグ・フォト・ビエンナーレ、そして「釜山ビエンナーレ」(2012.9.22-2012.11.24)。この中で今回の釜山ビエンナーレでは、通常アーティスティック・ディレクターを中心にすすめられる展覧会の企画に市民が積極的に関わっています。
     
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    釜山ビエンナーレのメイン会場である釜山市立美術館。美術館のファサードをすっぽりと覆うこの装飾は一体...。答えは本文をご覧ください
      
    横浜トリエンナーレでも、展覧会そのものへのサポーターの関わり方については毎回課題となるところです。市民がどのような形で展覧会企画に取り組み、それらがどのように形となったのか、展覧会のオープニングにあわせ、釜山ビエンナーレ2012を調査しました。
     
    韓国南東部に位置する釜山。貿易港を中心に発展してきた韓国第2の都市です。人口約340万人、観光スポットも多くあり、毎年秋に開催されるアジア最大級の映画祭、釜山国際映画祭(BIFF, Busan International Film Festival)など文化イベントも数多く開催されており、釜山ビエンナーレもそのうちのひとつです。
    海辺の美術展として地元作家が中心となって立ち上がったシーアートフェスティバルや行政主体によるパブリックアート展である釜山屋外彫刻展といった先行するアートイベントをふまえて、釜山ビエンナーレの前身である釜山国際芸術祭(PICAF, Pusan International Contemporary Art Festival)が1998年にスタート、2002年に名称を釜山ビエンナーレに変更し第1回展が開催され、ビエンナーレとしては今回6回目の開催となります。前回、2010年の第5回展では、インディペンデント・キュレーターの東谷隆司氏(*)が外国人としてはじめてアーティスティック・ディレクターを務め、話題となりました。
     
    第6回となる今回展のアーティスティック・ディレクター(以下、AD)は、2007年に開催されたドクメンタ12の総合ディレクター、ロジャー・ビュルゲル(Roger M. Buergel)氏。「ガーデン・オブ・ラーニング(Garden of Learning)」をテーマに19か国、41組のアーティストによる約200点の作品が展示されています。主会場である釜山市立美術館のほか、釜山市文化会館、広安里ビーチ近くの遊園地Me World、釜山鎮駅(現在は廃駅)が会場となっています。
     
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    地下鉄「市立美術館駅」出口に設置された釜山ビエンナーレの看板。メインビジュアルはパリを拠点に活動するデザインユニット「VIER5」が担当している
     
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    美術館入ってすぐのエントランスに設置された韓国のアーティスト、Sung Hyo-Sookの作品《Three in the Morning》。釜山市内にあり、韓国で最も古い造船場の重工業に携わる労働者たちの靴に、喪の儀式などに使われるカラフルな紙の花を飾っている
     
    今回展のテーマについて、ビュルゲル氏はカタログやインタビューの中で、自身が外国人として釜山や韓国をより深く理解するために、また人々がビエンナーレに何を求めているかを探るために、人々との交流の場としての「Garden of Learning(学びの庭)」という言葉を使ったと語っています。これはテーマではなくあくまでも方法であると定義し、釜山在住者を中心に約80名の市民や専門家からなるラーニング・カウンシル(Learning Council、以下LC)という勉強会を結成し、人々との対話を通して展覧会の方向性を定めていきました。この手法はビュルゲル氏がドクメンタ12で用いたキュレーションの方法に近いものです。人々とともに学び、対話を通してその土地の歴史、政治、内包する問題を探り出す。またアーティストとの交流の中から、新たな価値観を見出す。言語の異なる国でビュルゲル氏がこの手法に取り組むことにしたのは、もともと釜山ビエンナーレがシーアートフェスティバルのような市民主体のアートイベントにその起源をもっていることも理由の一つでしょう。キュレーターチームのほかに専門の教育プログラムチームを組織し、何度も会合を行い、またウェブも活用しながら、自らが企画するメイン展示「Garden of Learning」に人々の意見を反映していきました。
     
    「Garden of Learning」は地下1階地上3階の釜山市立美術館の全館を使った展示です。出品作家は41組。決して多くはありませんが、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカと世界各地から、下は20代から上は80代まで、また男女比も2:1と幅広く選出されています。いわゆるビエンナーレ、トリエンナーレアーティストというよりも、着実にキャリアを積み重ねているベテラン、今取り上げるべき重要な中堅作家、注目の若手、そして地元韓国のアーティストをバランスよく丁寧に取り上げているという印象です。日本からは東松照明と高嶺格の2名が選出され、いずれも旧作や近作を出品しています。
     
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    東松照明《おお!新宿》(1969)の展示風景
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    高嶺格《ベイビー・インサドン》(2004)の展示風景
     
    作家や約200点におよぶ作品の選択は主にADが行っていますが、LCの意見は展示方法などに反映されています。たとえば、美術館のイメージを変えるために建物自体を工事用の足場とシートですっぽり包んでしまうアイディアは、常に市内の各所で大規模な開発計画が立ち上がり、工事が続く釜山の現状についてLCから出された意見を基にしています。
     
    展示内容は絵画、立体、映像インスタレーションが主で、巨大なオブジェやサウンドアートやメディア・アート、パフォーマンスなど、近年の国際展には欠かせないライブ感の強い表現はあまり見られませんでした。旧作中心のどちらかといえばオーソドックスな作品が並ぶ中で、印象に残ったのは釜山で滞在制作を行ったアーティストたちの作品でした。韓国の風習や日常生活に着目した映像や、釜山という都市の持つ歴史を象徴するようなオブジェや写真、そしてウェブを介して発信されるアーティストと人々との対話。表現も内容も多岐にわたるこれらの作品は多くはLCとの共同制作や協力により生まれたものであることがカタログテキストに記されています。展覧会初日ということもあり、会場には作品に関わったと思われる関係者も訪れていました。
     
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    イギリスのイモージェン・ステッドワーシー(Imogen Stidworthy)は韓国のシャーマニズム、ムーダン(巫堂)に着目し、実際に巫女に取材した映像と儀式に使う道具によるインスタレーションを発表。知られざる現代韓国の一面を視覚化した
     
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    建築や環境をテーマとした作品制作を行っているメアリー・エレン・キャロル(Mary Ellen Carrol)は釜山市内のアパートの一室と美術館の展示室をインターネットでつなぎ、アパートの中で行われるさまざまな出来事をパブリックな場にひらいてゆくプロジェクトを実施した
     
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    韓国のアーティスト、キム・サンドン(Kim Sangdon)は釜山の市井の人々の暮らしと民主化運動時代の記憶をテーマに撮影した映像作品《ソルヴェイグの歌》など、映像作品2点を写真やドローイング等と共に展示
      
      
      
    他の会場である、釜山市文化会館や、海岸近くの遊園地Me World、釜山鎮駅の駅舎では、「Outside of Garden」という特別展示として位置づけられ、9名の若手キュレーターによる9つの小企画展が開催されていました。「The Bucket List(死ぬまでにしたいこと)」「The Cityscape as Still Life: Describing Busan with Three Cameras(静物としての都市風景:3つのカメラでとらえた釜山)」など、個別のタイトルを冠したそれぞれの企画展は、ADの指導のもと実現したもの。こちらは本展と趣きを異にし、市民プロジェクト、インスタレーション、イベントなどライブ感のある展示も見られました。
     
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    「Outside of Garden」の会場の一つである釜山市文化会館。普段から様々なパフォーマンスや展覧会が開催されている。2008年から釜山ビエンナーレの特別会場になった
     
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    「Outside of Garden」の会場の一つである釜山鎮駅の駅舎。この会場では、釜山の成長と近代化に重要な役割を果たした釜山鎮駅の歴史や記憶を再現した「Mobile Museum」というタイトルの展覧会が開催されていた
      
      
    地元の若手作家ばかりでなく、ヨコハマトリエンナーレ2011に出品したハン・スンピルやシガリット・ランダウのようなキャリアのあるアーティストも出品していました。小規模な展示でしたが、若いキュレーターにとっては大舞台でのキュレーションの経験が学習となったであろうし、内容もテーマに適ったものといえるでしょう。
     
    「Garden of Learning」は市民によるビエンナーレを作る、という意気込みが感じられる魅力的なタイトルであり、テーマであったと思います。特に今回は教育プログラムが重要な位置を占めており、ガイドツアーやデジタルツアーなど、鑑賞ツールが用意されていたほか、パネル・ディスカッションやシンポジウム、市民によるアートイベントを統合した「アーバン・スクエア」プログラムを通して、ビエンナーレを人々に開くためのさまざまな取組がなされていました。
     
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    左:オープニング初日、美術館のなかでは会場運営のボランティアさんへ説明会が行われていた
    右:一般向けのガイドツアーに多くの市民が参加していた
      
      
    展覧会としては強く印象に残る作品が少なく、展示技術の未熟さもあり、国際展としてのみならず通常の企画展としても、正直物足りなさを感じました。展覧会を作る過程そのものが重視されるあまり、結果として展示内容を充実させることや展示としてのクオリティを高めることまで至らなかったと言うこともできるかもしれません。これは今後の釜山ビエンナーレの課題でもあると思います。
    ただ、展覧会には初日の朝から親子連れから老若男女まで大勢の市民が訪れていましたし、隣接する会議場で行われたオープニングレセプションにも多くの市民が列席し、ビエンナーレに対する人々の期待の大きさを感じました。
     
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    展覧会のオープニングレセプションの様子。釜山市立美術館に隣接する国際展示場BEXCOで開催された。設置された大きなモニターに映るのが今回のADであるロジャー・ビュルゲル氏
     
    今回参加した人たちの中から、もしかすると次の釜山ビエンナーレを支える人材が育っていくかもしれない。一定期間をおいて継続的に開催される国際展は、単なる集客イベントではなく人を育てる場でもあるべきだと、今回の調査で感じました。
       
       
       
    (*)東谷隆司氏は2012年10月16日逝去されました。最後の大きな仕事となった釜山ビエンナーレ2010で、釜山に暮らし、コミュニティにどっぷりつかりながら展覧会をつくったとにこにこしながら話していたのが昨日のことのようです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
     
    釜山ビエンナーレ2010
    総合テーマ「Living in Evolution」テキスト
    http://www.art-it.asia/u/admin_ed_columns/DfnIwOAjpBJvMQxbUGcZ
       
       
       
    プロフィール


    庄司尚子(しょうじ・なおこ) 横浜美術館展覧会コーディネーター

    横浜美術館が青春の汗と涙に溢れた伝説の滞在制作プログラム「AIMY(エイミイ)」や、館内各所に若手アーティストの作品を展開させた「NAP(ナップ)」を支え、横浜から若手が羽ばたく姿を見つめてきた(現在も見つめている)アーティスト育成のスペシャリスト。その明るさ、タフさ、フットワークの軽さと、作家と作品を愛する心で現場を盛り上げ展示をつくる。この勢いが「ヨコハマトリエンナーレ2011」における美術館展示の礎となる。紹興酒のチェイサーはビール、合気道は黒帯。アーティストを目指す学生さんは、この顔をみかけたら、並々ならぬ厳しさ覚悟で自己アピールをすべし。
    鎌倉生まれ。鎌倉在住。現在、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(11/3-2013.1/14)、「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」(2013.1/26-3/24)と、2013年度春まですべての展覧会を担当中。

    主な仕事
    創造活動支援プログラム
    『アーティスト・イン・ミュージアム横浜 (AIMY)』(2005-2009)
    『New Artist Picks (NAP)』(2007-2008)
    「横浜美術館 with バザール」(2008)

    その他
    「ヨコハマトリエンナーレ2011」(2011)

    關渡/台北ビエンナーレを観て(主席学芸員 天野太郎)

    投稿日: by  カテゴリ:

    關渡ビエンナーレ2012

    9月27日から国立台北芸術大学(台湾)の美術館、關渡美術館の「關渡ビエンナーレ2012(Kuandu Biennal 2012)」(2012.09/29-12/16)のゲスト・キュレーターとして台北を訪れました。地元台湾をはじめ、中国、韓国、シンガポール、タイ、オーストラリア、ベトナム、フィリピン、そして日本から一人ずつキュレーターが招待され、それぞれのキュレーターが自国から一人のアーティストを選んで構成するビエンナーレになっています。テーマは、「Artist in Wonderland」。29日は、テーマ別にセッションがあり、キュレーターとアーティストが揃うシンポジウムにも出席しました。出品作家は、以下のとおりです(筆者は、渡辺豪を選出)。すでに国際的な展覧会への出品も経験している、各国の中核的な作家を選んできていることが分かります。

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    關渡ビエンナーレ2012(Kuandu Biennal2012)のシンポジウム。中央テーブル奥に座るのが渡辺豪

    後でも触れますが、台北ビエンナーレ等のテーマと違って、關渡ビエンナーレ2012はやや抽象度の高いテーマとなっていますが、ここで言う「Wonderland」とは、必ずしも楽観的な意味の驚異の世界ではありません。もはや捉えようのない変化を日々目の当たりにする社会が想定されています。そうした中で、それぞれの国(アジア・オセアニアに限定されていますが)の持つ歴史的な文脈(歴史そのものであったり神話であったり)に根ざしながら、現代社会をどう照らし出していくか、といった狙いが含まれています。
    ここでもまた、美術は、「美」だけを主題にしていないばかりか、まるで「民族誌的」な視点に立って語られます。フィリピンのアーティスト、ドン・サルバヤバ(Don SALUBAYBA)等も神話のイメージと現代社会における神話的イメージ(ヒーローであったり、アンチヒーローであったり)が併置しながら、過去と現在の記憶の対話をはかろうとしています。

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    ドン・サルバヤバ(Don SALUBAYBA)《The Union of the Forgotten and the Unknown》(2012)

    あるいは、シンガポールのマイケル・リー(Michael Lee)の《Office Orchitect》(2011)は、架空の建築家を仕立て、その戦前から戦後にかけての数奇な運命を実際のシンガポールの史実と重ねます。また、架空の建築家の夢見た幾つかの建築物のマケットが披露されています。

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    マイケル・リー(Michael Lee)《Office Orchitect》(2011)
     
     
     
    台北ビエンナーレ2012

    次に、同時期に開催された「台北ビエンナーレ2012」(2012.9/29-2013.1/13)について。今回、同展は、「Modern Monsters / Death and Life of Fiction(現代怪獣・想像的死而復生)」というテーマを冠しています。ドイツ人キュレーター、アンセルム・フランケ(Anselm Franke)を迎えて、グローバル化による現代社会システムの破綻を念頭に入れつつ組織されています。
    さて、このタイトルは、台湾出身の中国近代文学研究者である王徳威の著作『The Monster That Is History/歴史與怪獣』から着想を得ており、古代中国の四凶の一つである想像上の怪物、人面虎足で猪の牙を持つ檮杌(とうこつ Taowu)が、キーワードになっています。天下=世界の秩序を乱すことを本分としていますが、現代社会が、グローバリズムという怪物によって掻き乱されている事態を示しています。
    フランケ以下、6名(日本からは写真家の港千尋)の共同キュレーターが、それぞれの思い描く「ミュージアム(MUSEUM)」を組織して、このビエンナーレは構成されています。ミュージアムというフレームを使ったので、実際にも資料展示と見紛うこともありますが、政治家の誠意のない言葉が繰り返される洪子健の映像作品《謝罪》も含め、直面する社会問題をクローズアップした作品が多くみられます。入口に展示された5つの小部屋では、ハンナ・フートツィヒ(Hannah Hurtzig)によるインスタレーション《The Waiting Hall. Scenes of Modernity》(2012)を見ることができます。この作品では、モダニティ(近代的なもの)をめぐる対話が個別に行なわれ、観者は外でヘッドフォンを通して、それらを聴くという仕掛けになっています。

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    HannahHurtzigs
    ハンナ・フートツィヒ(Hannah Hurtzig)《The Waiting Hall. Scenes of Modernity》(2012)の展示風景
     
    グローバル化が進んだ先にあったのは、国民国家の枠組みの再構成、アイデンティティー・クライシス(自らの場所を失う)、格差社会等々、世界中で足下をすくわれる事態が生まれました。国家、社会、人間のそもそもの有り様を問い直す作業が、こうした美術の国際展でも行われようとしています。モスクワ生まれのアントン・ヴィドクル(Anton Vidokle)と中国の小説家フ・ファン(胡昉/Hu Fang)との映像とテキストによる共同作品は、近代によって引き裂かれた風景を寓意的(統合失調症として)に示しており、これを一例として全体の展示は、混沌というよりは、むしろ論理的で明解な構成で、映像と資料を巧みに構成する見応えのある内容となっています。

    台北ビエンナーレは、台北市立美術館が主会場ですが、郊外で展示されている関連事業として位置づけられた、台湾の映像作家陳界仁(Chen Chieh-jen)のフィルムセットオープン《Happiness Building I》(2012)は必見の作品の一つだろうと思います。
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    ChenChieh-jen3s
    陳界仁の82分におよぶ映像作品《Happiness Building I(幸福大厦I)》(2012)のなかで実際に使われた舞台セットが公開されている。このように、郊外の倉庫の中にセットが作られている

    職を失った様々な労働者を一時的に雇い入れ、自費によって倉庫全体を映画のセットとして構成した空間は壮観でもありました。そこを舞台にした映像作品では、虚実を綯い交ぜにしながら、グローバル社会からスポイルされた人々の現実が生々しく描かれています。

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    ChenChieh-jen2s
    陳界仁本人から作品の説明を受けた

    こうした現代社会の断面を示す作品は、何か真実を暴き出すことを目的としているわけではありません。むしろ、普段見えにくいこうした事実を開いて、こちらに示すことに主眼が置かれています。受容する観者は、まずは、そうした事実を知るところからはじめます。それは、物事を明確化し、かつ明晰化する行為とは正反対の姿勢と言っても良いでしょう。実は、今年の幾つかの国際展(ドクメンタ13リバプール・ビエンナーレ2012等)に出品された作品にも同様の傾向を見出すことができました。
     
     
    プロフィール

    ©Hitomi Hayabuchi
    天野太郎(あまの・たろう) 横浜美術館主席学芸員

    この似顔絵、実によく似ている、が、真面目な話、戦後の日本美術史においては重要な展覧会を企画してきた学芸員。「いい匂い」のする場所には必ず現れるという野生の嗅覚と、「どないすんねん」と関西弁と睨みをきかせた交渉能力によって仕事をこなす。ただし、気づくと地球上のどこかによく行ってしまっている。料理とサッカーが大好き。
    大阪生まれ。横浜在住。現在は「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」(2013.1/26-3/24)、第5回横浜トリエンナーレ(2014)を準備中。来年度の担当はひみつ。

    主な仕事
    「戦後日本の前衛美術」(1994)
    「森村泰昌展 美に至る病―女優になった私」(1996)
    「現代の写真Ⅰ「失われた風景―幻想と現実の境界」」(1997)
    「ルイーズ・ブルジョワ展」(1997)
    「現代の写真Ⅱ「反記憶」」(2000)
    「奈良美智展 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001)
    「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(2004)
    その他
    「横浜トリエンナーレ2005」(2005)
    「ヨコハマトリエンナーレ2011」(2011)
    連載中コラム(2009〜)
     『VIA YOKOHAMA』「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」

    北海道調査レポート(主席学芸員 天野太郎)

    投稿日: by  カテゴリ:

    学芸員の調査とはどのようなものでしょうか?
    例えば、展覧会の準備のためであり、すでにその枠組み(テーマや出品作家等)が決まっているときは、具体的に作品の出品交渉や、作家と交渉をするのが一般的です。また、これから展覧会そのものを企画する時は、特に現代美術のグループ展となると、まず、そのテーマを決める必要があります。このテーマを決めるのは、普段様々な美術や文化の動きや、そればかりでなく政治や経済の動向も知る必要があります。というのも、現代美術は、世界の動向そのものを視野に入れた作品が多いからです。とは言っても、世界中を普段から駆け回る時間的な余裕も予算的な余裕もありません。限られた条件の中で、最新の動向にたいして問題意識を持って探る必要があるのです。

    さて、今回私の調査は、7月の上旬に実施したもので、二つの目的を持って行いました。一つは、「アートと地域」というテーマ。もう一つは、「美術と市場」というテーマです。


    アートと地域

    「アートと地域」については、北海道の三笠市で行なわれている同市出身のアーティスト、川俣正(横浜トリエンナーレ2005のアーティスティック・ディレクターでした)によるプロジェクトを調査しました。

    では、なぜ「アートと地域」というテーマについて今調査する必要があるのでしょう。実は、こうしたテーマが声高に叫ばれるようになったのは、せいぜいこの7、8年のことです。今では、横浜市も含め多くの自治体が創造都市を標榜する都市戦略・まちづくりに取り組んでいます。国もまた文化芸術創造都市推進の一環として、文化芸術創造都市モデル事業等を実施し、文化芸術の持つ創造性を、地域振興、観光・産業振興、福祉、教育等に横断的に活用し、自治体、市民団体(文化ボランティア、アートNPO等)、地域の民間企業等が協働して、地域課題の解決に取り組む先駆的かつ多様な取組みを支援しています。またこうした取組みが、地域課題の解決にどのような効果を上げたのかを評価・分析することにより、我が国における多様な文化芸術創造都市モデルの構築につなげるというわけです。

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    前回のコラムでも紹介された越後妻有アートトリエンナーレにおける廃校の体育館を使った川俣のプロジェクト(2012年度のみ)。越後妻有アートトリエンナーレも日本における地域振興を目的としたアートプロジェクトの先駆け


    アート=美術は、美術館とか画廊の専売特許だった時代から、地域社会にそのプレゼンスを求めはじめました。こうした傾向や考え方が生まれた背景として、大量生産・大量消費の工業化社会から先進国における脱工業化社会、つまり情報化社会へのシフトを挙げることができると同時に、少子高齢化社会への本格的な突入の時代を迎えていることもまた、見逃せません。良く例として挙げられるのは、少子高齢化が進む中、地方都市では高齢者の占める割合が人口に比して20%に迫ろうとしています。これからその数字は右肩上がりになることは良く知られています。高齢者が増加し、次世代の担い手=子どもの人口の激減は、地域社会の崩壊を意味します。そこで、アートおよびアーティストが、そうした地域に参画、参入することで、地域社会の再生を目指す取組が行なわれています。文化力を産業へと結びつけるのが、ここでの当面の目標ということです。先に、脱工業化社会=情報化社会へのシフトについて言及しましたが、まさにこのコンセプトが実践されようとしています。美術館の立場から言えば、自己完結的な活動から、地域社会との協働、連携の強化が謳われる背景がこの辺りに見出せます。まちに広がることをミッションの一つにしている横浜トリエンナーレにおいても同様です。


    さて、三笠市ですが、ここは、炭鉱の街として名を馳せました。炭鉱の歴史は、1870年代にまで遡ることができます。ここでその歴史を詳述しませんが、道内最古の坑内堀炭鉱の一つである北炭幌内炭鉱が1989年(平成元年)に閉山したことで、一気に経済が衰退、人口もピーク時の1950年代の6万人台から1万人台にまで落ち込み、高齢化も進んでいます。こうした状況は、すでに触れたように、大なり小なり日本の地方都市の現状を典型的に表しています。
    川俣は、三笠市で廃校となった旧美園小学校を拠点に、周辺の大学生(北海道教育大学岩見沢校アートマネージメント美術研究室、室蘭工業大学建築計画研究室)や一般参加者と一つのプロジェクト「北海道インプログレス」を展開しています。今回調査したときに行われていたのは、このプロジェクトの活動のひとつであり、「かつての炭鉱町の風景をモチーフとしたインスタレーション」を旧美薗小学校の体育館に制作するワークショップでした。

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    左:ワークショップ当日、旧美薗小学校体育館の入り口に掲げられた看板(画像提供:コールマイン研究室)
    右:作業風景。アートマネジメントと建築を専攻している学生たちと一般の参加者が協働している(画像提供:コールマイン研究室)

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    旧美薗小学校体育館内での制作風景。左右の画面中央付近に写る川俣正自らが、学生らを指揮し、ワークショップを進めている

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    今回のワークショップで完成した作品。圧巻のスケール!!(画像提供:コールマイン研究室)
     
     
    以下、作家自身の言葉に、このプロジェクトの考え方が明快に語られています。


    北海道で現代アートのプロジェクトを考える

    現代アートのプロジェクトとは、美術館やギャラリー内での展示ではなく、屋外でその地域の人たちとともにアート作品を組み立てていくことです。そしてそのプロセスも同時に体感してもらおうとするものです。
    2011年1月22日・23日に北海道近代美術館でアートプロジェクトを考えるトークと、ワークショップを行いました。参加者全員がブレインストーミング (フリートーク)のような形で、思い思いアートプロジェクトを提案していきます。そしてみんなでディスカッションし、将来的に現実可能な活動の方針を決めます。少しずつ、さまざまなアイディアを刷り込みながら、ひとつの活動に集約させていく「インプログレス」の手法を使って、北海道で将来的に現代アートのプロジェクトを展開していきます。

    川俣正
    (WEB「HOKKAIDO IN PROGRESS」より引用)
     
     
    ここでは、直接まちづくりの言葉は見いだせませんが、このプロジェクトの中にある「三笠ふれんず」という支援プログラムは、官主導ではなく民間、それも市民が主導してこの「北海道インプログレス」を継続させ、人々の交流をとおしてまちの活性化を目指そうとする内容になっています。人口が激減する中、税収の減少もあり、こうしたスキームが求められています。

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    「北海道インプログレス」では、オリジナルグッズも作成している。「三笠ふれんず」会員になれば、グッズ購入時にも特典がつく。任意団体の活動であっても、人の心を惹きつける工夫が随所に見られる(画像提供:コールマイン研究室)
     
    ここには、市民が、当事者として、自分たちの共同体=故郷を再生する、という意識が底辺にあります。まちおこしということで、いきなり外部からアーティストがやってきて活動するのではなく、三笠市出身の川俣正が、その当事者の一人としてこのプロジェクトに取り組む姿は、新しい地域ベースのプロジェクトを実行するうえで一つのあり方でしょう。三笠市は、たまたま出身者としてアーティストの川俣正を迎えることができましたが、こうした例は一般的ではないにせよ、いかに取り組む姿勢に当事者性が求められるか、ということでは、同じではないでしょうか。

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    これは、「NPO法人炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団」理事長、吉岡宏高氏が北海道の炭鉱の歴史について解説しているところ。炭鉱の歴史を次世代に伝えながら、この歴史を軸にまちの再生を目指している。こうした地域特有の横の連携も見られた
     
     
    日本全体の人口も減少する中、公的な資金でその活動が担保されている美術館もまた、将来に亘って、その原資が供給され続ける保証はどこにもありません。活動の質は保ちつつ、その資金を独自に調達しながら地域への貢献を果たしていかなければならない、という意味では、このプロジェクトと美術館は同じ立場にあると言えます。そして、それは、決して遠い将来の話しではないことを実感しました。


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    これは同じプロジェクトのなかでも今回と異なる会場、旧幌内中学校体育館につくられた川俣作品の常設ギャラリー。このギャラリーのある「ミカサ・モダンアートミュージアム」(北海道三笠市)では、川俣と市民のワークショップの形跡も見ることができる(画像提供:コールマイン研究室)
     
     
     
    美術と市場

    さて、次の調査は、「美術と市場」です。
    と言っても、美術作品が市場でどう扱われているか、ということではありません。美術の価値が、市場によって決められてきたことについて再考してみようというものです。

    さて、実は、美術館での展覧会にせよ、横浜トリエンナーレにおける展覧会にせよ、その出品作家の選定には、批評的な価値に加えて、市場価値がその選定基準の大きなウェイトを占めています。批評的な価値は専門的ですが、市場的な価値は、すなわち、ポピュラリティーがある、誰もが知っている、ということを保証します。ところで、この美術の価値を決定付けるシステムから逸脱しようとする傾向は、美術館においても、国際的なビエンナーレやトリエンナーレにおいても、しばしば見られます。それは、市場価値にウェイトが置かれすぎると、一種のポピュリズムに陥るからです。将来性や、あるいは、批評性の高い美術が、必ずしもすぐに市場価値として認知されるとは限りません。そのギャップをむしろ、先鋭性として作品選択のコンセプトに据えようとすることは、実際のところ美術館等の活動には必要なことだからです。ところが、先述したような理由から潤沢な予算を確保出来ない昨今、収入に直結する内容に偏る傾向があります。事業の結果も、定質的よりも、入場者数、売り上げ高、といった定量的な要素が重視されがちです。分かり易く言えば、お金に換算されることで、評価が定まるということです。

    ところで、筆者は、「貨幣と美術」というテーマについて、2回ほどテキストを書いたことがあります(「『貨幣・死・美術』その1」「『貨幣:死:美術』その2 --無関心性について--」)。この社会は、人の一生、誕生からその死まで、貨幣から逃れることのできないシステムで出来上がっています。普段あまり「金」の話しばかりするのは憚れますが、最終的にはそのお金によってその生が保証されていることから逃げ出すことはできません。それは、貨幣そのものには、素材的な価値が何もないのに、その貨幣=紙切れが沢山あればあるほど高価なものが買えるという状況が、「信用」という目には見えないものによって保証されていることにも起因しています。先ほどふれた「アートと地域」ですが、地域の一員として参画し、その再生に貢献することを期待されるアーティストにとっても、その貢献度を上げることが最終の目的ではなく、作品が高価な額で売れ、市場でも評価され、名のある美術館で個展として取り上げられ、作品も収蔵され、歴史の中に位置づけられることを最終のゴールとしたいはずです。ということは、いずれにしても、アートは、市場に回収される運命にある、と言い換えることもできます。これは、資本主義が本格的に始動する近代以降のシステムが作り上げた事態であるのです。しかしながら、果たして、すべてのアーティストは、そうした市場的価値のために制作しているのでしょうか。

    調査対象のもう一人のアーティスト、トヨダヒトシは、そうしたことに無関心なのです。この市場への無関心性は、この作家に限らない態度表明ではないか、というのが、この調査の格好よく言えば、「仮説」です。この作家の作品については、さきほどの「『貨幣:死:美術』その2 --無関心性について--」と、「作品の不在性」というテキストにまとめましたので、ご参考下さい。ただ、なぜ市場に関心を持たないか、という点をここで述べておきたいと思います。

    トヨダの作品は写真なのですが、プリントではなくスライド映写機を使って画像を映写する方法を採っています。これは、今はやりのパワーポイントによるデジタル画像の映写ではなく、アナログな方法で、スライドの操作もトヨダ自身が行なうことが鉄則となっています。ですから、本人が居ないことには、映写はできません。つまり、作者の不在が、作品の不在に直結するのです。ということは、端的に言えば、売ろうにも売れない、ことを示しています。こうした事態は、インスタレーションの形式を持つ作品が、展示のインストラクションがない限り、作者の没後にそれを再現することに困難が伴うことと類似しています。ただ、このようなインスタレーションや他の表現領域との形式上の類似性だけでは説明し切れないトヨダ作品の特異性について、少し触れてきたいと思います。これも、また、作品を商品として売買しない理由と考えるからです。

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    札幌市立大学の学生に向けて作品を上映するトヨダ本人の姿。参加者全員がトヨダの映写する画像を食い入るように見つめている

    《NAZUNA》というトヨダ作品は二時間にも及ぶスライド・ショーですが、その鑑賞後の印象として、そこで取り上げられた人々の間が目に見えない領域で「繋がっている」ことに気づきます。両親の姿、家族のアルバムに登場する本人、日本のアーミッシュの人々、元ホームレスの人々のコミュニティー、檀家を持たない僧侶とその弟子達。これらを結びつけるのは、大文字の利益=経済共同体(ポリティカル・エコノミー)ではなく、モラル・エコノミーの領域、ないしはプライベート(両親、トヨダの個人的人間関係)な生活領域に生きる人々です。肥大化し続けるポリティカル・エコノミーの領域が、伝統的な共同体、あるいは協働型社会を浸食しているのは近代の歴史そのものを体現しているのですが、トヨダはそうした周縁領域に一定の距離を置きながら接するのではなく、むしろ寄り添いながら撮影を続けています。

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    札幌市の岩佐ビル屋上でスライド・ショーの準備をする様子。これまで横須賀美術館の芝生の広場「海の広場」に大きなスクリーンを設置して上映するなど、屋外でも作品を発表してきている


    ところで、写真は、他の美術の分野と異なり、表現対象と作者=撮影者との関係が、その作品のあり方、ないしは評価そのものに直結する場合があります。だからこそここでも、トヨダの眼差しの先に在るものと、本人との関係に観者は思いを馳せることになるのです。トヨダは、僧侶(この僧侶は事故で他界しますが、その後も、トヨダはその「関係」を継続しようとしています)とも懇意な関係を作ります。アーミッシュの共同体では、労働も厭わない。トヨダは、まるでノマドのように移動しながら、一定の期間、そこここに滞在し、撮影するのです。しかも、そうしたトヨダの「関心」の対象は、一般には「無関心」な対象であり、近代から今日に至るまで、その領域は周縁へと追いやられる一方です。とは言え、こうしたトヨダの眼差しは、社会派リアリズムでもなければ、ルポルタージュでもありません。なぜなら、そうした写真が喚起する言説空間は、ここでは、当て嵌まらないからです。いや、むしろトヨダは、そうした言説を拒絶さえしているかのようです。そうした社会的なメッセージではなく、トヨダによってその視線が注がれる素材の寄る辺のなさ、あるいは、作品自体の不在性の強さにこそ力点が置かれています。

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    屋外での上映がはじまり、トヨダが高所でスライド映写機を操作しているところ。足元が、ちょっと、危ない


    敢えて言うとすれば、ここにあるのは、ノスタルジーとは言い難い、「失う」ことで喚起される言いようのない焦燥感、あるいは時間の経過の中で生ある立場の人間がいだく、言うなれば「サウダージ」にも似た想いに近いのだろうと思います。つまり、今の自分が感じる空虚感や、生あるものの儚さといった回収しえないものへの強い郷愁や想いでしょうか。
    世の中が貨幣に支配され、競争原理によって生き抜かなければならない時代を迎えた時、美術の世界もまた、表現という行為で生きて行くことと別の生活の手段を持ちながら、売る売らない、という貨幣社会から解放されて、ひたすら表現行為を継続する、そういう行為が、これから表現者の一つの形として共有される可能性があるのではないか。このようなことをこの調査を通じて感じました。
     
     
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    今回、コラム執筆にあたり、「北海道インプログレス」を支えるメンバーのひとつ、「コールマイン研究室」の菊地拓児氏にご協力いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
    このコラムがアップするころはもう終盤に差し掛かりますが、今回取材した「北海道インプログレス 三笠プロジェクト2012」のドキュメント展が「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」にて開催されています。

    「川俣正 三笠プロジェクト2012ー参加学生による報告展ー」
    会場:そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター
    (〒068-0021 北海道岩見沢市1条西4丁目3 TEL0126-24-9901)
    会期:2012年9月12日(水)~10月8日(月・祝) 10:00~18:00 火曜休館
     
     
    プロフィール

    ©Hitomi Hayabuchi
    天野太郎(あまの・たろう) 横浜美術館主席学芸員

    この似顔絵、実によく似ている、が、真面目な話、戦後の日本美術史においては重要な展覧会を企画してきた学芸員。「いい匂い」のする場所には必ず現れるという野生の嗅覚と、「どないすんねん」と関西弁と睨みをきかせた交渉能力によって仕事をこなす。ただし、気づくと地球上のどこかによく行ってしまっている。料理とサッカーが大好き。
    大阪生まれ。横浜在住。現在は「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」(2013.1/26-3/24)、第5回横浜トリエンナーレ(2014)を準備中。来年度の担当はひみつ。

    主な仕事
    「戦後日本の前衛美術」(1994)
    「森村泰昌展 美に至る病―女優になった私」(1996)
    「現代の写真Ⅰ「失われた風景―幻想と現実の境界」」(1997)
    「ルイーズ・ブルジョワ展」(1997)
    「現代の写真Ⅱ「反記憶」」(2000)
    「奈良美智展 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001)
    「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(2004)
    その他
     「横浜トリエンナーレ2005」(2005)
     「ヨコハマトリエンナーレ2011」(2011)
    連載中コラム(2009〜)
     『VIA YOKOHAMA』「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」