石田尚志展アーカイブ

    石田尚志展 スタッフコラムvol.6 「渦まく光」展潜入レポートno.4

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    「渦まく光」展手伝いの祢津です。

    3月27日、「石田尚志 渦まく光」展の内覧会が行われました。

    各メディアのプレスと関係者の方々が集まった美術館グランドギャラリーには、2007年にこの横浜美術館をスタジオとして滞在制作され、その後世界各地の展覧会をまわった映像インスタレーション《海の壁-生成する庭》が、8年ぶりに凱旋を果たし、美しい門のように、来場者を迎えていました。

    そして展示室の中には、初公開となる新作3点をふくむ、約20年に及ぶ石田さんの作品の歴史がつめこまれています。そのひしめくような迫力の展示の様子は、各メディアで報じられ、すでに目にした方もおられるのではないでしょうか。

    きょうは、その内覧会の会場から聞こえてきた声を少しだけお届けします。展示室で、グランドギャラリーで、そのあとのパーティのお店で。あつまった方々は石田尚志という作家とその作品を、それぞれの言葉で語っていました。

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    「この展示を見て、石田尚志さんはやはり『画家』なのだと思いました。画家であって、その上で映像作家である、と。」

    ...映像研究者の阪本裕文さんは「ポストメディウム」という批評概念や、実験アニメーションの先達である相原信洋さんの仕事と照らし合わせながら、さまざまな領域を横断する石田作品の世界観をみつめていました。

    「石田さんは狭い意味での『アニメーション作家』の枠にとどめられません。彼の作品は『アニメーション』として完結することを目指したものではなく、『絵画』や『身体の軌跡』や『映像』などの表象が『描く行為』をめぐって集合し、複合的に関係しあっているものではないでしょうか。」と阪本さん。「そこでは『描くこと』は完成に向かって終わっていく行為ではなく、循環的に、なかば自動的に転がり続けるのだと思います。」

    ...僕は担当学芸員の松永さんがカタログに寄せたある言葉を思い出していました。

    「(ドローイング・アニメーションは)彼の映像作品における構成要素のひとつにすぎない。さらに言えば、映像というメディアもまた、彼の表現手段の一要素でしかない。(略)石田尚志の表現のベース、それは疑いなく「絵画」である。より正確を期すなら『描くこと』である。」

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    作家として駆け出しの頃の石田さんを知るひとをみつけました。

    ...映像/美術評論・映像作家の、西村智弘さんです。石田さんと西村さんは、いつ出会ったのでしょうか。

    「96年頃かな。当時、仲間と小さな上映会を毎月企画していたんだ。ある日、仲間のひとりが「面白い作品をつくる学生がいるぞ!」と見つけてきた。それは《絵巻その2》という作品で、イメージフォーラム研究所の卒業制作だという。その作者が石田君だった。」

    西村さんは、まだ映像作家のタマゴだった石田さんに、はじめて上映をオファーしたひとでした。「みんなで毎月のように上映会に集まって、朝まで飲んでたよ。」石田さんの作品は、変わりましたか?と訊くと、西村さんは、「変わらないね。見事に変わっていない。」と答えます。「最初期の《ベルクのアニメーション》(1993)はすでに《フーガの技法》(2001)と近い構造を持っているし、近年になって作品に身体性が強く現れてくるけれど、それは初期のパフォーマンスに原点回帰しているともいえる。けれど、まったく同じ場所に戻るのではなく少しずれながら回っている。」

    たしかに「渦まく光」展では、作品は制作年代順ではなくあえてテーマ別に並べられ、初期作品と新作が隣り合っていたりする、すこし変則的な会場構成をとっています。「少しずれながら回っている」石田さんの歩みが感じられるレイアウトです。

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    「羨ましい!」と、会場を眺めながらつぶやいたひとがいました。

    ...牧野貴さん。圧倒的な光と音が展開する抽象映画によって、世界中の映画祭、美術館、ライブハウスを次々と制覇し続けている映画作家です。牧野さんは撮り下ろし新作の《渦巻く光》が特に印象的だったそうです。

    「宇宙を感じました。」と牧野さんは言いました。「他人の作品から宇宙を感じたのは、ずいぶん久しぶりのことです。」と。その声にはどこか闘志のような激しさが感じられました。

    5月30日、牧野貴さんは石田さんとの共作《光の絵巻》(2011)を含む上映プログラム「光の光、闇の闇」のゲストとして、石田さんと古今の抽象映画について語ります。(「イメージフォーラム・フェスティバル2015」横浜特別講座です。)

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    ベビーカーを押しているご夫婦がいました。おふたりとも、石田さんとは古い友人です。

    ...「なつかしかった。」奥さまが言いました。しかし石田さんとの思い出が「懐かしい」のではありませんでした。

    「石田の作品の線や光の運動は、何かを意味しているわけではないんだけれど、どこか懐かしいんだよ。目を閉じたときに見える網膜の模様とか、細胞とか、植物が茂る感じとか、銀河系とか...いろいろなものと、自分の中にもつながっていて、『これ、知ってる』って思う。」奥さまはベビーカーの中で眠っている赤ちゃんをみつめながら、続けます。「私が子供を産んだばかりだからかもしれないけれど、石田の作品って、おなかの中に近いのかもしれないと思ったよ。生まれたばかりの子どもって、この世に慣れてなくて恐いから泣くんだって。だからちょっと暗くしてあげたり狭くしてあげたりすると、おなかの中に近くなるから落ちつくらしいの。石田の作品ってちょっと薄暗くて、遠くに光があって、胎内の安らぎに近いんじゃないのかな。」

    旦那さまは、石田さんが映像制作を始める前からの親友です。会場の石田さんの年譜の横に展示されている、新宿アルタ前の路上で行われた20年以上前のライブペインティングの映像の現場にいたといいます。「リアルに回顧できる立場だよ。」とおふたりは笑っていました。

    5月5日に行なわれる、O JUNさんと、小林正人さんとのライブドローイングで、お二人はなにを感じるでしょうか。

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    とても遠くからからかけつけた人びとがいました。

    ...この展覧会を横浜美術館と共同開催する「沖縄県立博物館・美術館」の学芸員の方々です。前回のブログで登場していただいた玉那覇さん、カタログに文章を寄せている豊見山さん、前田副館長の姿もあります。玉那覇さんは、横浜美術館学芸員の松永さんから「石田尚志」と仕事をする心構えをききとっていました。 豊見山さんはこう話してくれました。

    「この共同開催のきっかけは、石田さんが『沖縄で、里帰りの展示がしたい』と言ったことでした。」石田さんは10代から20代の一時期、沖縄に渡ってアルバイトをしながら暮らしました。その時間は、のちの作家活動に決定的な影響を及ぼす出会いと経験に溢れていたといいます。「現代美術の展示は集客力の面でどうしてもリスクがあります。開催者としてそこは悩みました。しかし、当時10代の、ひとりの小生意気な若者だった石田さんが、沖縄の大人たちと出会い、社会というものを知り、沖縄で培われたものがいまの創作に息づいている。私たちはその絆に応えるべきではないか。そしてこの展覧会で、石田さんはいまよりさらに遠くへと翔ぶことができるのではないかと考えました。」

    《海の壁》が横浜に帰ってきたように、石田さんの作品は沖縄へも帰ります。沖縄県立博物館・美術館での展示は、9月18日からです。

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    美術館グランドギャラリーから見上げる壁面には《絵馬・絵巻》の映像が巨大に映写されていました。これは僕が前回レポートに伺ったときには展示プランになく、直前で追加された意匠だといいます。ずいぶんギリギリまで検討を重ねたようです。

    いったい展示はいつ完成したのでしょうか。担当学芸員の松永さんは、疲れた顔をほころばせて、「きょうの内覧会スタートの30分前。」と答えました。

    そうして、内覧会の日は、終わりました。

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    ここに掲載させていただいた感想はほんの一部で、他にもたくさんの方に、突然のインタビューにも関わらず、とても真摯に答えていただきました。ここでお礼申し上げます。きくことができた声のひとつひとつから、石田尚志という作家、作品、この展示が、とても多様な解釈を呼び起こしていることに驚かされます。けれどそれらの声はみな一様に、何かが「渦まく」ということについて語られていたように感じられてなりません。

    3月28日、「石田尚志 渦まく光」展は開幕しました。口々に、SNSで、ブログで、反響は広がり始めています。あなたも「渦」を会場で目にしてください。横浜美術館での展示は、5月31日までです。

    文中でご紹介した他にも、たくさんのイベントや見どころが用意されています。詳細は特設サイトをぜひチェックしてみてください。

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    (祢津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.5 「渦まく光」展潜入レポートno.3

    「渦まく光」展手伝いの祢津です。

    今日は展示準備中の横浜美術館をレポートします。

    休館中の美術館グランドギャラリー。そこに建つのは三枚の「壁」。これだけで、作品名がわかる方もおられるのではないでしょうか。

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    展示室の入り口には、前回開催の「ホイッスラー展」の装飾がまだ生々しく残っています。しかし、ざわめきが聞こえる奥へ進むと......そこには続々と石田尚志作品が置かれ、展覧会の輪郭が見えはじめていました。

    石田さん、担当学芸員の松永さんと大澤さんはじめ、いろいろな人が集まっています。原画やスクリーンの位置を数センチ単位で調整し、もっとも緊張感のある配置を模索していきます。床には壁にかけられるのを待っている、おびただしい数のドローイング・アニメーション作品《フーガの技法》の原画。

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    作家、学芸員、展示作業員の方、職人さん、そこにいる全員が、黙々とそれぞれの作業にあたっています。僕はそのなかの幾人かの方々に、話をきくことができました。

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    展示スペースの一角には、白い小部屋の形をしたセットが建造され、部屋の内部に描かれたアニメーションの映像と対置されていました。インスタレーション作品《白い部屋》です。その部屋のセットの前に座り、無数のレバーを操作しながら、セットを照らす照明を調光し続けている方がいました。

    ......山本圭太さん。照明技術を駆使する作家であり、《白い部屋》の照明デザインを撮影から展示まで一貫して担当しています。この作品のなかの「部屋」は映像の素材でもあるし、それ自体が作品の一部でもある。そして筆跡の厚みを持ったキャンバスでもある。

    そのそれぞれの性質を照明で表現したいと、山本さんは僕に話しました。空間/映像/筆跡といった石田作品の重要なテーマを、山本さんは照明の変化で語ろうとしていました。

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    展示室のなかをつぶさに見てまわりながら、メモをとりつづけている人がいました。

    ......玉那覇英人さん。はるばる沖縄からやってきた、沖縄県立博物館・美術館の担当学芸員です(「渦まく光」展は両美術館の共同開催であり、横浜のあとは沖縄へ巡回します)。

    昨年学芸員になられたばかりという玉那覇さんは、石田さんの作品に目を凝らしながら、横浜美術館とは異なる沖縄県立博物館・美術館の空間に、作品をどう置いてゆくのか思いをめぐらせていました。彼はノートに手描きした沖縄県立博物館・美術館の平面図を指差しながら、僕に展示プランのアイデアを聞かせてくれました。

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    入り口近くの暗いブースの中に、石田さんがいました。ブースには、僕がはじめて見る、複数のオブジェと映像を使った新作がありました。その作品の詳細を書くことはできません。なぜなら......まだそれは「制作中」だったからです。

    オブジェと映像の組み合わせを、石田さんはひたすら試行錯誤していました。

    とても、楽しそうに。

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    それぞれの人の戦いが折り重なりながら、「渦まく光」展はオープンへ向かいます。

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    (袮津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.4 「渦まく光」展潜入レポートno.2

    「渦まく光」展手伝いの袮津と申します。

    さて、きょうは石田尚志さんの自宅兼アトリエにお邪魔してきたので、制作現場を潜入レポートします。

    半地下のアトリエ、そこには謎のセットが。

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    ↑机の真上にカメラが装着され、カメラを挟むように2つの大きな電球。奇妙な装置です

    間違いなく、新作の撮影セットです。「渦まく光」展のための、撮り下ろし。

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    机には絵の具が飛び散っていて、紙はふやけて穴があいています。どうやら机の上の紙に絵をかきつづけているようです。その過程が上空の電球で照らされ、カメラで撮影されてアニメーションになるのだろうか?(それにしても使いにくそうな机だ......)写真を撮っていると、石田さんがわけのわからないことをいいだしました。

    「これが回るんだよ」

    ......まわる?

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    ↑「このレバーを回すと、机が回転するんだよ」

    ......天板がぐるぐる回るってことですか。

    「この上に絵の具を投げていくわけ」石田さんは嬉しそうにいいます。

    机に見えていたものは穴の空いた回転板だった............

    (あとですこし映像を見せてもらいましたが......すごいことになってました。本編はぜひ「渦まく光」展の会場で。)

    (袮津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.3 「渦まく光」展潜入レポートno.1

    袮津悠紀と申します。

    この石田展コラムの第一回で、担当学芸員の松永さんから「石田さんの大切な弟分、あるいは示唆にとんだ助言者、ときには単なる雑用係」とご紹介いただいた者です。

    今回も、石田さんの制作や展覧会準備の現場に色々なかたちで関わっていますので、このコラム欄をお借りして、開催まで1ヶ月を切った「渦まく光」展の潜入レポートをお届けします。

    特設サイトのインタビュー動画はご覧になりましたか?作品紹介、制作方法、作家の興味のありかたなど、短い尺によくまとまっていたと思います。(私が編集しました)

    どうぞ、何度でもご覧ください。そして、よろしければ宣伝にご協力を!!

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    ↑カタログ用インタビューに取り組む石田さんたち(アトリエにて)

    さて、インタビュー動画で私が特に見ていただきたいのは、なんといっても石田さんの「作品映像」です。

    抜粋とはいえ、石田尚志の映像を今web上で観ることができるのはインタビュー動画だけです!!「身体」をモチーフにした近年の作品、パフォーマンス、各所での展示風景など、ごくごく一部分ながら石田さんの作品群の幅広さを紹介しております。

    そして、インタビューをご覧になったあとは、ぜひ「渦まく光」展の会場へお越しください。「生でしか見られない」約20年分の作品が一挙に集結するほか、撮りおろし新作(全力制作中)を横浜美術館に詰め込んでお待ちしています!

    (袮津)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.2 石田尚志トークイベント@六本木アカデミーヒルズ レポート

    去る2月23日の夜、森タワーでのトークイベント「六本木アートカレッジ・セミナー "光"を感じる~アート×サイエンス~」に、石田尚志さんが出演しました。このプログラムを主催する六本木アカデミーヒルズさんと当館との初めてのコラボレーション企画であり、これが石田展関連のパブリック・イベントの第一弾でもあります。

    このトークにはもう一人、国立極地研究所でオーロラを研究する片岡龍峰さんにもご出演いただきました。二人を結ぶキーワードはずばり、今回の展覧会タイトルにもある「光」。石田さんが自身の創作活動のなかで追い続ける、視覚的あるいは精神的な意味での「光」、片岡さんが研究対象として観察し続け、その科学的メカニズムを解明しようとするオーロラという電磁波の「光」。イベントは、それぞれの仕事の内容や興味の対象についてのプレゼンテーション、続いてそれを踏まえたお二人による対談、という構成。対談における話題の拡がりは大変興味深いもので、「光」というキーワードを足がかりとしながら、主題は「明滅/波」から「動き/時間」を経て「音/音楽」、そして「隔絶/孤独」といった話へと展開し、そういったさまざまな視点が、映像作品と自然現象、あるいは芸術創作と科学的研究という二人の立ち位置の相似点/相違点を浮かび上がらせていきました。なかでも、片岡さんが自作の撮影機器でオーロラのなかに捉えた連続する波状の動態は、片岡さんが「北斎」と名付けた現象とのことで、その「渦まく光」の描くダイナミズムに、石田さん(実は無類の北斎好き)も深く関心を抱いていたようでした。

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    左:ご自身の活動について話す石田さん     右:オーロラについて解説する片岡さん

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    対談中の石田さんと片岡さん、スクリーンにはオーロラの波動現象「北斎」の映像

    ちなみにこの森タワー49階のトーク会場、扇状に広がる客席の背後に東京のパノラマ夜景を臨むという、贅沢この上ないスペースです。スクリーンに映し出されたオーロラの映像を説明していた片岡さんが、観客席の後ろのほうを見て不意に「うぁ」と声を上げた一幕。なにかと思って皆が振り返ると、客席背後の大きな窓に映りこんだオーロラの映像パノラマ。都心の上空にオーロラが舞い降りる空想的なヴィジョンを、こんなところで創り出してしまったという訳です(東京で観測されたことは実際にあったらしいのですが)。

    「アート×サイエンス」という今回のイベントタイトルにもあるように、この二つの分野はとかく対極的に位置づけられがちですが、お二人がやっていることは実は意外に近いのかもしれない、とも思えます。両者のベースにあるのは、日常の隙間、あるいはその向こう側にある、まだ見えていないヴィジョン、定かならぬ領域に向けた探究精神。その探求において問われる能力は、対象への執着心、アタックし続ける気力、体力、そして反復力でしょう。トーク終了後、石田さんに以前インタビューした際に、石田さんの幼い頃の将来の夢が「画家」か「博士」のどちらかになることだったと言っていたことを思い出しました。「つまり何かに打ち込むこと、没頭し続けることへの憧れです」、と。

    最後に、この異色のカップリングを企画・実現してくださった、アカデミーヒルズの熊田ふみ子さんに、この場を借りてあらためて感謝申し上げます。また、素敵なコラボレーションの機会のあることを!

    (松永)

    石田尚志展 スタッフコラムvol.1

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    画家/映像作家・石田尚志さんの主要作品を網羅する初の大規模個展「石田尚志 渦まく光」の開幕まで、いよいよ2か月をきりました。遅ればせながら私、本展覧会の担当学芸員の松永真太郎と申します。今後このブログで、私を含めた展覧会担当者・関係者が展覧会準備状況や関連情報を不定期に発信していきます。

    さて、石田さんはいまや全国の美術館から引く手あまたなアーティストですが、こと横浜美術館とは以前から浅からぬ縁があります。なかでも、当館の公開制作プログラム「AIMY(アーティスト・イン・ミュージアム横浜)」に石田さんを招聘し、長期の滞在制作がおこなわれた2006年は、そのハイライトでした。

    滞在制作の期間は、2006年10月下旬から翌年2月上旬までの4か月あまり。石田さんのご自宅から美術館まで電車で1時間もかからないので、正確には「通勤制作」です。毎日、11時前後になると美術館のアートギャラリーに姿を見せ、そこに造作されたセットのなかで描いては撮影し、また描いては撮影するという反復作業を黙々とこなして(ときどき何も手につかない状態に陥りつつ)、時おり来館者と軽く言葉を交わしたり、ふとどこかに姿をくらませたりしながら、日が暮れる頃には多摩美術大学夜間部の講義をしに向かう・・・という日課を繰り返す石田さん。そしてその過程で刻々と変転していくスタジオの様相。やっている作業はいつも変わらない、なのに次のシーンがどう展開するかは予測不能、という石田さんならではの制作スタイルを間近に見届けられる、私にとっても稀有な経験でした。(当時の概要はこちら

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    滞在制作風景(2006年11月11日)

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    滞在制作風景(2007年2月11日)

    ところで、その時の石田さんを私以上に至近距離で見ていた(というより石田さんとともに制作に従事していた)人がいました。この滞在制作において石田さんの「右腕」となって働いてくれた、祢津悠紀(ねつ・ゆうき)さんです。祢津さんは、学生時代に石田さんの作品と講義に接して感銘を受けたことがきっかけで親交を深め、以来、石田さんの公私にわたる大事な場面で必ず呼び出しがかかってしまう存在であり続けています。石田さんにとって大切な弟分として、あるいは示唆に富んだ助言者として、ときには単なる雑用係として、無二の関係を築いてきた方です。ちなみに、この特設サイトにある石田さんのインタビュー映像の撮影・編集をしてくださったのも、ほかでもなくその祢津さんです。

    さて、この滞在制作で撮りためられた1万枚を超えるデジタルスチルは、編集作業を経て、最終的に《海の壁-生成する庭》《海の映画》(いずれも2007年)という2つの映像作品に結実します。両作はその後、国内外の展覧会・映画祭等あわせて15か国、30箇所以上で展示・上映され、石田さんの代表作のひとつとなったわけですが、はじめて一般に公開したのは2007年3月の当館での映画上映会においてでした。その時はまだ編集途上の「ラッシュ版」での上映で、作品のタイトルは《生成する壁(仮)》となっていました。

    その時の上映会のパンフレットには、さきほどご紹介した祢津さんご執筆による滞在制作ドキュメント「アシスタント回想記」が掲載されていました。今読みかえしても、なかなかの名文。いまは文筆家としても活動している祢津さん、その独創的なレトリック。そのテクストをWEB上に再録し、祢津さんの回想記を通して8年前の制作現場を回想するところから、このコラムページを始動しようと思います。

    (松永)

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    『生成する壁』アシスタント回想記

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    この上映会の宣伝ちらしの裏表紙に、制作中の石田尚志氏の写真が載っている(編集者注:上の写真です)。壁から床に長い白線を切り開いている石田氏の手前の、カメラの影が立つ左手の暗がりにもうひとつ人影が見えるかと思う、それが私である。『生成する壁』プロジェクトの撮影が年をまたいで五ヶ月に及ぶその間、石田氏と私は三台のデジタルカメラと二台のデジタルビデオカメラ、二台の16mmカメラによる複雑な被写視野の交錯からまぬがれた曖昧な暗闇からペンキの匂いを吸い込み、滴の落ちるかすかな、あるいは絵の具を含んだ筆が壁に叩き付けられる音、または数分に一度、異様な沈黙とともに鳴くシャッター音に聞き耳を立てていた、スタジオには時計が無かった。そしてもう一台の、私たちのうしろにしばしばスタジオに訪れる美術館スタッフの桜庭さんの小さなデジタルカメラが寄り添っていた、裏表紙の写真を焼き付けた彼女のカメラのほど近くには、担当学芸員の松永さんとスタッフの関さん、庄司さんが同じ景色を共に見ていたかもしれないが、私はその瞬間を思い出せない。または見ていなかった、背を向けているので、、、何だかまるで写真のとおりだし、また、写真とはそういうものらしい。スタジオを写した桜庭さんのカメラ、スタジオの一角に建てつけられたひとつの部屋を石田氏込みで見ている私、部屋の壁を渡る筆先を見入る石田氏。毎日の作業工程をかきとめた日記帳によると、写真は十二月の終わりにさしかかったある日のスタジオの様子らしかった。この日はとりわけ重要な展開があった、線が伸びひしめいて濃紺の部屋のなかに白く塗り潰された壁と床の一帯は、あるカメラからは部屋のパースをあざむいて歪みのない真四角として(見えて)、撮影の準備のうちに作り置いていた一枚の、白い身の丈を超える実体の壁が、このあと部屋の白抜きに重なって呼び出されるようにあらわれる、という作業の途中のはずだ。年明けまもなく取材に訪れた朝日新聞の記者はとても熱心にこれらの演出に問いを投げていた。石田氏は、実は演出に意図はありません、作品の完成像も、まだ見えていません。むしろ日々描き連ねることで一体どんな効果が現れるのかが見たい。と答える、三ヶ月の制作公開のうちにも、スタジオに訪れた百人近くの観客の方々ともしばしば、同じやりとりがあった。私もまた(四年前、)少なからず繊細さと理知をたたえる石田氏の映画群が絵コンテも構成表も持たない、ほとんどいきあたりばったりといえる描画の繰り延べと集積から生まれると知って仰天した観客の一人だった。『生成する壁』は四月二十一日からの『水の情景』展出品への撮り下ろしであるため、テーマとして「水」が与えられているが、石田氏の制作はそのものが「水」への解釈を(筆によってあたらしい水脈を訪ねるように、)徐々に汲み上げる過程であった。部屋にペンキをまき散らし、水を降らしつめて絵を洗い流し、霧を作り、壁に投げかけた(沖縄の水平線の)映像と床に落ちた水鏡の反射のあわいに描線による像を重層してゆく、これらの行為の複雑な厚みはそのままラッシュフィルムからスクリーンの乾いた布面に滲み還ってゆくだろう。そして、ではスクリーンに還らないものは何だろう。裏表紙の写真に写った(写らなかった、)数人の私たちが嗅いでいたペンキの匂いと様々な音の、おそらくあらゆるアトリエで立ちこめるやはり霧のようなかさなりかもしれない。ペンキの匂いは乾きつつある水の気配をさせて、そして多分に手間のかかる日々の作業は絵の具の乾きを待つ長い時間を含んでいた、そのあてどない待ち時間は、そのまま「絵」が「乾いた絵の具」だというからくりが内蔵する「水の時間」へと繋がっていった。「絵」は「えがく」という時間を伴った行為こそが「乾いた」ものだった。幾度も塗り潰されることで壁は「絵」と「地」の間を往復しつづけ、しかし映像を巻き戻すようにはもとの「地」に戻れないことを示すように、重ねられた筆跡のかたちの凹凸を表面に残しつつ静かに厚みを増すのだったが、同時にその過程は編集という純粋な往復のためのもうひとつの素地を渉猟する「映画の時間」の巨大な起伏のなかにあった。作業がはやく空けた夕方にこの美術館の図書室で、エジプトの壁画集をひらくことがあった、盗人にはがされ取られた「壁の画」が、博物館の壁にもういちど貼られる。エジプト壁画の皹割れのくろぐろとした影の奥には博物館のもうひとつの壁が白いままで覗き、その遠い白さはなぜか銀幕の遠さを思わせた。つぎの朝になり石田氏よりひとあし早く入った無人のスタジオもまた、やはり室内の床壁に食いこんだかりそめの空間であり、私はこの美術館そのものの震えを聴くような気がした。朝の壁は(きっと作者さえ)まだ知らない変貌を待って口をあけていた。そこではやはり昨日の匂いと今日の音がし、やがて画家がやってくる。

    (祢津悠紀、アシスタント)