篠山紀信展アーカイブ

    篠山紀信展 学芸員コラム vol.5 「夜の美術館でアートクルーズ」が開催されました。

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    2月4日、閉館後の美術館でゆったりと展覧会を楽しむ特別鑑賞会「アートクルーズ」が開催されました。参加者の皆様をお迎えし、担当学芸員3名(大澤、長谷川、中村)がリレー形式で展覧会をご案内しました。

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    美空ひばりさんの写真や東日本大震災で被災した人たちの肖像を、そこに写る背景との関係から読み解いた大澤学芸員、バロック彫刻の巨匠ベルニーニの作品や浮世絵版画など、美術史上の名作と比較しながら篠山写真の美しさを語ろうとした中村学芸員。話し手それぞれの個性が感じられるツアーとなりました。

    今回のブログでは、私がこのツアーで紹介した写真の中から現役で活躍するスターの写真2点をとりあげ、「時代に共有される写真」について考えてみたいと思います。

    まずはSTARのセクション。会場から「意外!」と驚きの声があがったのが三宅一生さんの写真です。「身体の動きに呼応する服」をテーマに制作を続けるファッション・デザイナーの三宅さん。事務所設立の翌年、1971年に撮影されたこの写真は、ブランドの出発点となった刺青柄のジャンプスーツ「タトゥ」を自ら着用する三宅さんの姿を捉えています。リオ・デ・ジャネイロの海岸を舞台に、篠山さんはこのスーツの特徴が最もよくわかる背後からシャッターをきりました。「第二の皮膚」として体にフィットするジャンプスーツとデザイナーの横顔。高度経済成長期真っ只中にあった日本で、この写真は、世界に羽ばたこうとする若きクリエーターの強烈な個性を鮮明に印象づけました。それから45年。国際的な名声を確立し、ファッションだけでなくデザインの未来に向けて提言を続ける三宅さんの仕事の原点として、この一枚は新たな輝きを放ちます。

    続いて、BODYのセクションより宮沢りえさんを写した一枚。陽光の満ちる緑の草原に座り、初々しい表情でこちらを振り返るモデル。18歳の宮沢さんの清純さを「聖処女」として写真に留めようとした篠山さんは、アメリカ南西部ニューメキシコ州のサンタフェを撮影の地に選びました。そこは篠山さんの敬愛する写真家アルフレッド・スティーグリッツが、その妻で画家のジョージア・オキーフと生活し、創作していた土地、すなわち篠山さんにとっての「写真の聖地」なのです。宮沢りえさんの美しさを湛えたこの写真集は、発行部数165万という記録をうちたて、日本列島を席捲しました。発売から25周年を迎える今年、ある週刊誌で、『Santa Fe』をテーマにした篠山さんの対談記事を目にしました。今なお人々の心の中に生き続ける、まさに「伝説」というにふさわしい写真集です。

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    (長谷川珠緒)

    篠山紀信展 学芸員コラム vol.4 「写真は光だよ」

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    「篠山紀信展 写真力」が開幕して1ヶ月が経とうとしています。1月28日から、展示室で「学芸員によるギャラリートーク」が始まりました。今回のギャラリートークは、このコラムを執筆している大澤、長谷川、中村が順番に担当し、全3回の予定です。(1月28日は終了、残りは2月11日、2月25日 いずれも土曜日15:00-15:30)

    今回は、1月28日のギャラリートークで話題にあげた、篠山紀信さんの写真をとおして見る「写真と光」の関係について書いてみたいと思います。

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    本展には、縦3メートル、横2メートルの蒼井優さんの写真が展示されています。

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    《蒼井優》2011年、展示風景

    この写真について、篠山さんは『芸術新潮』(2012年10月号)で書かれていらっしゃいますが、「ぽつんと1本立った街灯の下で撮ったもの」だそうです。そのためか、背景は黒と灰色のグラデーションのなかに、人気のない道が消えていくように見え、上からの光に照らし出される蒼井さんの白い肌が、闇に吸い込まれそうな黒服をバックに、一段と際立って見えます。また、左手首を右手できゅっと掴みながら、少し不安げな表情で立つ姿から、蒼井さんのもつ繊細さが見事に伝わってきます。

    篠山さんは『芸術新潮』のなかで、この写真とともに「写真は光だよ、光!」と、写真と光の関係について記されています。写真の歴史上、この写真と光にまつわるお話しは、多くの写真家が言及してきたことでした。例えば、当館の収蔵作家であるラースロ―・モホイ=ナギというハンガリー出身の写真家は、20世紀初頭、写真は新しい「光の造形」であるとして、フォトグラムなどの実験的な表現を支持し、写真の表現領域を拡大させました。また、写真は英語でフォトグラフィ(Photography)ですが、その語源を辿ると、フォトはギリシャ語でフォトス(光)、グラフはギリシャ語でグラフォス(書く)になります。このような歴史からも、写真は光とは切り離せないメディアであることが分かります。

    篠山さんは、さらにこのような言葉も記されています。

    「写真は光がなくちゃあ写らない。(中略)朝起きれば当たり前のように陽が昇り、夜になれば電灯がつく、あまりに今の人間は光に無頓着になりすぎていないか。もっと光を大切にしよう。敏感になろう。これが写真力の基本です。」

    この写真は、蒼井さんの女優としての力と、モデルをリスペクトし、相手の最良の姿を写真におさめようとされてきた篠山さんの光に対する鋭敏さが加わることで撮ることのできた、美しい一枚だと思います。

    (大澤紗蓉子)

    篠山紀信展 学芸員コラム vol.3 水着はヌードではないが・・・

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    篠山さんが、この展覧会の楽しみのひとつは、観る人が作品と対話することだと初日のギャラリートークで語っておられました。かつて見たことのある篠山写真と向き合って、「ああ、この頃はあの彼女とつきあっていたなあ、とか、この写真にはお世話になったなあ、などと思い出してください」。この時会場から(少なくとも苦)笑いがこぼれるかと思ったらそうでもありませんでした。

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    今から30数年前、筆者が学生の頃のヌードイメージは依然として印刷物が主流でした。表現上越えてはならない境界線が読者にも明解な時代で、出せない部分は絶対に出てこないことを皆が承知しているのですが、反面このジャンルの存在自体が今とは比較にならないほどおおっぴらでした。地方から東京に出てきた学生にはそれこそ街中にヌードイメージがまき散らされているように見えたものです。電車の吊り広告に挑戦的なタイトル付きで毎週登場するカットから視線を反らすことは困難でした。

    篠山紀信の写真に筆者が出会ったのはもう少し後で、現代建築の廃墟と裸婦を、夜の怪しい色の光の中で組み合わせた幻想的シノラマ集、『TOKYO NUDE』が最初でした。程なく篠山さんは『water fruit』(樋口可南子)、そして『Santa Fe』(宮沢りえ)と2冊の写真集を発表し、結果的に例の境界線をもっと遠くに、そしてあっさりと押しのけてしまったのはよく知られている通りです。

    山中湖で撮影された《山口百恵》は水着をつけていますからヌードとは別ジャンルで、展覧会でも「BODY」ではなく「STAR」のセクションに飾られています。百恵さんにヌード撮影はあり得ませんが、それにもかかわらず、この作品はエロティックな魅力を強烈に発散しています。

    この力はどこから来るのだろう、前にもどこかで感じた覚えがあるなと画面を眺めながらふと思い出したのが、バロック彫刻の巨匠ベルニーニによる《聖テレサの法悦》(ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会)です。

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    The Ecstasy of Saint Theresa by Giancarlo Bernini. Church of Santa Maria della Vittoria, Rome / photo by Alvesgaspar / CC BY 4.0

    この彫像は、16世紀の修道女、アヴィラの聖女テレサの自伝に記された神秘体験に取材したものです。天から降り注ぐ黄金の光を浴びて、雲の上に仰け反るように倒れる聖女と、黄金の矢を構えてその傍らに立つ美しい天使の大理石像。自伝によれば、天使はその炎の鏃(やじり)で聖女の心臓を何度も突き刺し、彼女は強い痛みと同時に、自分が神への燃えるような愛に充たされるのを感じた、という精神的なクライマックス・シーンです。テレサ像のだらりと垂れた左腕と、左にかしいだ頭部、目と口をわずかに開いた恍惚の表情が、篠山写真に見る百恵さんのポーズ、わけてもあの、えも言われぬ表情と似ているように思われてなりません。ベルニーニの天使の眼から見たテレサ像は、丁度この百恵さんの姿と重なるのではないでしょうか。そして彼女を包む光、特に頭の周囲の水面の強い輝きと、黒い水着で縁どられた胸板に集中する夏の夕陽は、まさに神秘的でさえあります。

    《山口百恵》撮影のとき、篠山さんは百恵さんにあれこれと指示を出したのではありません。たまたまボートがあったので、「そこで横になってみない?」と促しただけで、百恵さんが偶然に見せた表情をすかさず捉えたのでした。篠山さんは写真にとっての偶然の役割を重視し、「その時写真の神様が降りてきた」と言っておられます。ベルニーニの天使は、「写真の神様」になって山中湖の篠山さんにのりうつっていた、と言えそうです。

    (中村尚明)

    篠山紀信展 学芸員コラム vol.2 篠山紀信さんのアーティストトークが開催されました

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    展覧会開幕後初めての週末となる1月7日(土)の午後、横浜美術館レクチャーホールに満員のお客様をお迎えして、篠山紀信さんのアーティストトークが開催されました。

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    これまで美術館で写真展を開くことを避けてきたと語る篠山さん。それは、写真を「もっと活きのよいもの」と考える篠山さんにとって、小さな写真を額に収めて飾る美術館があたかも「写真の死体置場」のように思われ、また、現役の写真家であるにも関わらず回顧展と見られかねないことに違和感を覚えたからでした。そんな篠山さんが今回の展覧会を決意したのは、時代を象徴する力強い写真が巨大に引き伸ばされ、美術館の非日常的な大空間に並べられたときにおこる壮絶な闘い――すなわち「写真力と空間力のバトル」に、新たな意義を見出したからだと話されました。

    「時空や虚実を超えて、脳裏に強くインプットするイメージの力」。篠山さんの語るこうした「写真力」のこめられた写真について、約30点の出品作をとりあげ、それぞれのエピソードを紹介してくださいました。それは撮影時の状況や背景であったり、現場でのモデルとの対話や無言のやりとりであったり、技術の進歩に柔軟に対応していく写真家の姿勢であったり、発表後の世の中の反応であったり......。

    「写真力」を考えるにあたり、人物写真、なかでも皆が知っている人たちの写真が最適に思われたと、篠山さんは語ります。それは、有名人の写真であれば観る人がそれぞれ個人的な対話ができるからと。トークのなかで私自身がもっとも興味を抱いたのが、「その人をもっとその人らしく撮る」という篠山さんのポリシーです。渥美清は皆が知る寅さん姿で、アイドルはもっと可愛くアイドルらしく。女優は役になりきってさらに美しく。女優の仮面を剥がして素の人間を写すのではなく、むしろ嘘の上に嘘をつくこと、仮面の上にさらに仮面を重ねることによってこそ、その人のリアリティを獲得できるという考えです。

    「松田聖子ごっこやらない?」という篠山さんのリクエストに応えてポーズをとってくれたという水着姿の松田聖子。デビュー25周年を記念した写真集のために撮影されたこの写真から、「赤いスイートピー」の松田聖子、そして1980年代の空気が立ち現れてきます。モデルの傑出した自己プロデュース能力と、その決定的な瞬間を逃さない写真家。篠山さんのいうよりリアリティのある写真は、こうしてうまれるのだと納得しました。

    リアリティのある写真。ぜひ篠山紀信展の会場で体感してみてください。

    次回のコラムもどうぞお楽しみに。

    (長谷川珠緒)

    篠山紀信展 学芸員コラム vol.1

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    写真家、篠山紀信さんの半世紀にわたる仕事のなかから、芸能、スポーツ、美術、音楽など、さまざまな分野で活躍する「有名人」の肖像を中心に紹介する展覧会「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」。このコラムでは、本展にまつわる話題や作品の魅力を、3人の担当学芸員がリレー形式でご紹介します。初回は、大澤紗蓉子が担当します。

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    1月4日、新春にふさわしいおだやかな天気に恵まれ、横浜美術館の2017年最初の展覧会として「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」が開幕しました。初日からたくさんのお客様がお越しくださるなか、美術館のグランドギャラリーで篠山紀信さんも出席して開会式が行われました。

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    開会式では、逢坂恵理子館長と篠山紀信さんのあいさつの後、特別に、篠山さんご本人が展示室で作品について語るギャラリートークが開催されました。展示室いっぱいに集まった人々が耳を傾けるなか、篠山さんは山中湖での山口百恵さんとの撮影のエピソードをはじめ、「現代の浮世絵」を創作したいという想いから、高感度のデジタルカメラを用いて撮影した歌舞伎役者のシリーズなど、本展を構成する「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」「ACCIDENTS」の各セクションの代表作を選んで、ユーモアを交えつつ熱くお話しされました。

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    ギャラリートーク中の篠山紀信さん

    このギャラリートークのなかで、特にわたしの印象に残ったのは、本展の最後に展示されている、東日本大震災で被災された方たちの肖像写真にまつわるお話しでした。震災から50日後に撮影された10枚の肖像は、いずれも高さ約2m40㎝、幅約1m90㎝と、等身を超えるサイズで、男性、女性、ご夫婦、親子、兄妹など、いわゆる「有名人」ではない方たちが写しだされています。

    これまで、「写真家は時代の写し鏡であり、突出した出来事や人を撮らねばならない」と明言してきた篠山さんは、この未曾有の大震災にどのように向き合うことができるか、しばらく考えていたといいます。そんななか、ある編集者の方に背中を押され、4回ほど被災地を取材することで、ようやく『ATOKATA』(2011年)という写真集をつくることができたと述べられました。このとき、同時に撮影されたものが、本展の「ACCIDENTS」に出品されている肖像です。

    取材中、被写体となってくださった方たちの多くは、とても複雑な思いを抱えていたと篠山さんは語りました。家をなくしただけでなく、家族や親戚もいまだ行方不明という状況のなかで、疲労や無力感と、これから前を向いて進まなければという想いが混在していた時期だったそうです。そうした心情をもつ方たちに対して、篠山さんは一人一人のお話しを聞き、8×10(エイトバイテン)の大判カメラにすべてをゆだねて、僕はただシャッターを押しただけと話されました。

    トーク終了後、その場にいらしたお客様がわたしに、「全員がとても言葉にし難い、見たことのない表情をしていますね」と声をかけてくださいました。これは、展覧会という場で、この大きさの写真に向き合うからこそ、より一層強く意識されることだと思います。

    「この展覧会は美術館の大空間と圧倒的インパクトのある写真との戦い。つまり空間力VS写真力のバトルです。鑑賞ではなく体感!是非ご自身の体をその空間の中に浸してみて下さい。」

    篠山紀信さんが本展に寄せられた言葉です。展示室で写真をみたとき、そこで何を感じ・何を考えるかは、見る人によって異なります。さきほどのお客様の言葉は、篠山さんが写真に非日常的な大きさを与えたことの意義が、見る人それぞれの記憶や感情を喚起するためであることの端的な現れであると思います。同時に、「写真家は時代の写し鏡」と話される篠山さんの言葉の深さを、改めて教えてくださるものでした。

    このように本展は、展示室に一歩入ると、写された人々について、撮影された時代について、あるいは篠山紀信さんという写真家や写真そのものについてなど、さまざまな思いが去来する展覧会です。2017年2月28日(火)まで開催されています。皆さまのご来館をお待ちしております。

    次回は1月7日に開催されたアーティストトークについてご紹介します。

    (大澤紗蓉子)