篠山紀信展 学芸員コラム vol.6 「聖セバスチャン」の奇跡 上

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「篠山紀信展 写真力」の会期も残すところ4日となりました。ここで改めてこの「写真力」という言葉について考えてみたいと思います。

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展覧会場末尾のパネル・コーナー中の一枚に記された、これについての篠山さんのコメントに、「写された方も、撮った者も、それを見る人々も、唖然とするようなスゲェー写真」がもつ「イメージの力」とあります。力のある写真の前では、モデルもカメラマンも見る人も皆同列なのだ、そして文章などなくともイメージがあればいいんだと言わんばかりの、潔い、そして注目すべき見解です。自分が撮った写真であっても、別のものを見るようなこの姿勢。

この展覧会に出ている写真のほとんどは、もとは何らかの印刷媒体に掲載するために撮影されたものです。雑誌の特集にせよ、写真集にせよ、広告にせよ、あらかじめ企画があって篠山さんに依頼がくるのですが、写真家は企画の方向性に参与できたにしても、例えば誰をモデルにするかは既に決まっていて、「僕にはせいぜい拒否権があるくらい」というお話でした。

写真のすべてが「撮った者」(過去形が重要)の意のままであったわけではない、という格言があるとすれば、それは写真の宿命を語っているようにも思われますし、篠山さんのような高名なプロの仕事であれば一層はっきりと顕れてくるのです。篠山さんはその宿命をむしろ積極的に受け入れてきたばかりでなく、さらに自分の味方にする術を幾重にももっておられるのだと思います。

ところで、《三島由紀夫》(1968年、図1)は本展出品の中でも篠山さんの意のままにならなかった度合が最も高い写真のひとつでしょう。

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図版1 篠山紀信《三島由紀夫》1968年

ある出版社で三島由紀夫と横尾忠則氏をモデルに「男の死」をテーマにした写真集の企画が持ち上がり、若い篠山さんが選ばれました。シーン作りの細部に至るまですべてモデルの三島が自ら演出して、15点が撮影されました。篠山さんは「映画のスチールを撮っているようでさっぱり面白くなかった」そうです。1年余りをかけて最後の一枚を撮り終わった5日後、三島は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で壮絶な自殺を遂げます。「死のフィクション」のはずが、像主の死によって「一種のドキュメンタリー」へと写真の意味が変ってしまった、と篠山さんは三島没後40年に『婦人公論』誌(2010年12月7日号)で語っておられます。写真集「男の死」が世に出ることはありませんでした。

この写真はそれに先立ち、1968年11月に刊行された澁澤龍彦責任編集の雑誌『血と薔薇』の創刊号で、5人の写真家によるグラビア特集「男の死」の冒頭を飾りました。三島の生前に世に出た貴重な一枚です。

森の中の一本の大木を背に、頭上に両手を縛られ、腰布だけを身に着けた三島が、天を仰いで立っています。その右脇下、左脇腹、右の下腹部には矢が突き刺さり、血が滴っています。森の中とはいえ背景には木漏れ日がにじみ、全体に逆光気味であるのに、暗い樹幹をバックしにした三島の身体は明るくつややかで、天空を見つめる瞳には光が映っています。

この写真を撮る際、三島の脳裏にあったのはイタリア・バロックの画家グイド・レーニの《聖セバスチャンの殉教》(図2)と言われています。

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図版2 グイド・レーニ《聖セバスチャンの殉教》1615年頃、カピトリーナ絵画館(ローマ)蔵

聖セバスチャンはローマ皇帝の近衛隊長でしたが、当時禁制のキリスト教に帰依し、獄中のキリスト教徒を力づけたり、人々を改宗させたりしたために皇帝から死刑を宣告されます。彼は無数の矢を射られて放置されました。描かれているのはこの場面です。瀕死のセバスチャンはある敬虔な婦人によって介抱され、蘇生します。しかし再び皇帝に反抗し、ローマの神々を冒とくしたため撲殺されました。

三島の自伝的小説『仮面の告白』には、中学生の主人公が父親の蔵書中に見つけたグイド・レーニの《聖セバスチャンの殉教》の図版に強く魅了され、その「白い比ひ(たぐい)ない裸体」の輝きに抑えがたい興奮を覚え、初めて「悪習」の挙に及ぶ有名なくだりがあります。

<聖セバスチャンの殉教>は多くの画家たちが手掛け、三島もルネッサンス期のマンテーニャをはじめ様々な作例を知っていましたが(詳しくは宮下規久朗氏が三島由紀夫文学館のWebサイトで語っておられます)、腰から上をクローズアップした構図、背景や道具立てがこの写真と最も近いのはレーニです。特にセバスチャンの女性的ともいえる優美な面貌と、逞しくも官能的な美しさを感じさせる身体が黒い幹をバックにして白く輝く様は、三島の心を強く捉えたことでしょう。

逆光気味のバックで、黒い幹を背にして身体の正面が輝くセバスチャンが三島の望んだイメージだとすると、写真家にとってはなかなか難しい注文だったのではないでしょうか。篠山さんがどのような手順で撮影されたのか、ご本人からお聴きする機会を逸してしまいましたので、私なりに画面から推論してみたいと思います。考えられる可能性としては、

その1:写真の人物はどう見ても背景とは別の光源で照らされています。戸外の撮影ならば、手前に別の光源を用意したとして、幹がこれほどうまく黒くなるでしょうか。モノクロ映画で黒の存在感をねらった黒沢明のように、樹幹に墨汁でも塗っておいたのでしょうか。

その2:戸外で撮影し、現像や焼き付けの段階で部分的に色味を調整した。

その3:背景をあらかじめ撮影して、スタジオで撮影した三島像を切り抜いて画像上で合成した。

ラボでの操作やモンタージュは、三島の好むところではなかったろうと思います。篠山さんにしても同じで、いかに三島が役になりきって演技していたにしても、後から手を加えた写真に「写真力」を認めるでしょうか?やはり、写真らしいというか、あの山中湖の山口百恵の時のように、潔くワンショットで決定的な原版ができる方法を採ったのではないかと思うのです。(つづく)

(中村尚明)