蔡國強展スタッフコラム 第3回 「帰去来」のための事前リサーチ・レポート

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第3回

「帰去来」のための事前リサーチ・レポート

出品作品の半数以上が新作によるこの展覧会、文字通りに世界を股にかけて飛び回りながら仕事している蔡國強さんとの準備過程で、まず始まったのは、横浜のための新作に向けたリサーチ活動でした。
蔡さんの活動には、過去、漢方薬や茶を使って観客と一体の空間を作り上げるパフォーマンス的な作品もありました。そこから蔡さんの興味を引いたのは、1906年にニューヨークで英語により出版された『茶の本』を著した岡倉天心の存在でした。

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三渓園内の臨春閣で障壁画を鑑賞する蔡さん

近代日本を代表する思想家として知られる岡倉天心は、明治初期の横浜に生まれ、若い頃には中国各地をまわって古美術の調査旅行をするなど精力的に学び、近代日本の美術教育や古美術の調査研究にまい進しました。やがてはボストン美術館の中国・日本美術部長に就任し、米国から東洋の美術や文化について発信を続けた人物でもあります。福建省泉州市の出身で、若い頃には日本で学び、やがてニューヨークを拠点に世界へと羽ばたいていった蔡さんと、近代日本を代表する思想家として活躍した岡倉天心、どこか共通するものが感じられないでしょうか?
先輩岡倉天心の足跡をたどるため、まず最初に蔡さんが訪れたのは、 横浜の三渓園でした。生糸貿易で財を成した実業家の原三渓によって作られた三渓園(さんけいえん)には、美しい日本庭園の中に、京都や鎌倉などから移設された歴史的な建築が多数残されています。三渓は岡倉天心との交流も深く、横山大観、下村観山といった日本美術院の新進の画家たちを積極的に支援したことでも知られます。手入れの行き届いた庭園や、歴史ある茶室などをめぐりながら、蔡さんは当時の横浜に思いを馳せ、次々と写真に収めていました。中でもとりわけ蔡さんが興味深く語っていたのは、臨春閣に狩野常信が描いた《瀟湘八景(しょうしょうはっけい)》など理想化された風景と、建物を取り囲む現実の自然との対比でした。この日は、かつて岡倉天心の生家があった横浜市開港記念会館前の生誕の地などを訪れました。

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新緑に満ちた三渓園
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お昼は三渓園が開園した時の特別メニューとして考案された中華風の三渓うどん


続いて、リサーチ旅行は岡倉天心が日本美術院を創設した茨城県の五浦へと続きました。茨城県天心記念五浦美術館、六角堂のある茨城大学五浦美術文化研究所、旧横山大観邸などをめぐっていきます。この旅には、かつて蔡さんが暮らした福島県いわき市から、当時の仲間であった方も合流されて、昔話に花を咲かせながらの道中となりました。

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五浦の海を望む

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左:岡倉天心の墓を訪れた蔡さん
右:旧天心邸の軒先で

さて、ここでのリサーチがどのような形で結実したかというと、展覧会の冒頭、グランドギャラリーの壁面を覆う《夜桜》となりました。岡倉天心が追い求めた理想は、彼の教え子である横山大観らの手によって、新しい日本画として形を得ていきました。《夜桜》には、明治から昭和にかけて、日本の美術を切り開いていった天心や大観らに対する、蔡さんのオマージュと挑戦とが表れていると言えるでしょう。 (文・写真 木村絵理子)

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左:六角堂へ向かう
右:2011年3月11日の津波で流され、原形により近い形で再建された六角堂の中で瞑想する蔡さん