石田尚志展 スタッフコラムvol.12 「おわりの、はじまり」

「石田尚志 渦まく光」展担当学芸員の松永です。

5月31日をもって展覧会は無事閉幕しました。正直、開幕当初には集客面を懸念するむきもありましたが、口コミ効果もあってか会期を経るにつれお客さまも増え、最終週末は2日間で2300人と、賑わい感あふれる中でフィナーレを迎えることができました。ご来場くださった方々、ありがとうございました。展覧会はお楽しみいただけましたでしょうか。

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第4章「部屋と窓」展示風景(撮影:山本渉)

と言ってみたもののこの展覧会、単純に「楽しい」ものではなかったかもしれません。実際、ご覧になった方々のブログやツイートに、「楽しかった」「面白かった」といった常套的な褒め文句が非常に少なかったのです。目についたのは、「圧倒された」「引き込まれた」「時間を忘れて見入った」・・・といった類の、「石田ワールド」への没入を示唆する言葉たち。この傾向は、問答無用、理屈抜きで観るものを自身の世界観に引きずり込む、石田尚志の表現の尋常ならざる強度を反映しているのではないでしょうか。一方、ときおり聞かれたネガティヴな感想もしかりで、(「よくわからなかった」ではなく)「まったく受け付けなかった」、(「つまらなかった」ではなく)「気分が悪くなった」といった、明快な拒否反応がほとんど。それらもまた石田作品の訴求力の強さゆえの、至極真っ当なリアクションと思えるのです。好きならめっぽう没入してしまう、受け入れられなければかなりダメ、そういう感覚的な判断を即座に誘発するのが石田さんの創作の強靭さでしょう。今回の個展が、そのパワーを殺すことなくありのままの「石田ワールド」を体現していたとすれば、企画者としてこのうえない喜びです。

学芸員にとって、担当した展覧会の閉幕には常に切なさがつきまといます。打ち上げの席で、「とうとう終わってしまいましたね」とわずかに感傷を込めて石田さんに言葉を投げると、しかし案の定、有り体の答えは返ってきませんでした。「これはひとつの区切りだけれど、僕にとってなにかの"終わり"だという感覚はまったくありません」。確かにごもっとも。美術館の人間にとっては、終わりあるひとつの「事業」として展覧会を捉えてしまいがちですが、作家にとってはこれからも長く、長く続くであろう「航海」の途上にすぎず、なにかが終わる場所ではない。「要は、このタイミングでいったん横浜に"寄港"させてもらって、やっぱり陸の上は楽しいな、と。そう思いながらまたここから船をこぎ始める。むしろ"はじまり"の気分です。」

反復、未完、永続性を旨とする創作を展開してきた石田さんならではの「人生」スパンの視野と、その美しい比喩表現に、またもグッときてしまいました。この横浜の地に「寄港」してくれた石田さんに感謝し、停泊中に共有した創造的で刺激に満ちた時間を心に留めつつ、これからもその「航跡」をしかと見届けていきたいと思います。石田さんのことですから、例によって海図も羅針盤も持たずに、根拠のない確信を頼りに突き進む航海でしょうけれど――。

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《海の壁-生成する庭》(撮影:白井晴幸)

でも次の停泊地だけは決まっています。石田さんの「第二の故郷」ともいえる沖縄です。きたる9月18日、沖縄県立博物館・美術館という場で復活する「渦まく光」展は、横浜でのそれとはまた異なる表情を見せていることでしょう。

さて、石田尚志にとって終わることのない航海であっても、当館の展覧会事業としてはここでいったん区切りをつけなければなりません。この特設サイトのスタッフブログも、いよいよ閉じるときが来ました。4か月にわたり不定期でアップしてきたこのブログ、第1回は、2006年に石田さんが当館で滞在制作した際のアシスタントである祢津悠紀さんの当時の回想録の紹介からスタートしました。その後は祢津さん自身が展示の現場や会期中の種々のイベントを取材し、持ち前の独創的かつ若干読みにくい文体を封印した簡明なレポートを寄稿し続けてくださいました。毎回非常に高いアクセス数を記録したこのブログ、展覧会を後方から盛り上げる大きなフックになったと感じています。祢津さん、ありがとうございました!

というわけで、このブログの締めもやはり、祢津さんから届いた最後の「潜入レポート」で。

(松永)

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「渦まく光」展潜入レポートno.8

「渦まく光」展手伝いの祢津です。

5月30日、「イメージフォーラム・フェスティバル2015 横浜特別講座」が公開されました。日本最大の映像アートの祭典である「イメージフォーラム・フェスティバル(以下、IFF)」は、1987年のスタートから、作家性、芸術性、創造性の高い映像作品を世界中から集め、紹介しつづけています。この映画祭でデビューし、あるいは再評価された作家は数えきれません。

全国5都市を巡回しているIFFは、横浜会場であるここ横浜美術館と特別な取り組みをつづけています。現役の映画作家や研究者をナビゲーターに迎え、横浜美術館が所蔵する豊富な映像作品のコレクションを中心に構成したプログラムを、ナビゲーターの解説付きで公開する横浜特別講座。毎年異なるナビゲーターの視 点でセレクトされた映像作品のラインアップを通して、刺激的な映画論に触れることができるイベントであり、横浜美術館の持つ歴史的な作品群が所蔵外の作品と並べて上映されることで、その価値をあたらしく語り直される場ともなっています。今年のナビゲーターには、石田さんが選ばれました。

石田尚志という作家を語る上でも、IFFは欠かせない存在です。石田さんは20代のはじめに「イメージフォーラム映像研究所」に通い、最初期の映像作品《絵巻》と 《絵巻その2》を完成させ、卒業後に発表した《部屋/形態》が「イメージフォーラム・フェスティバル1999」特選を受賞して以来、継続して出品。今年のフェスティバルでは「渦まく光」展と連動した特集上映「石田尚志映画作品集 驚異の部屋」が組まれ、シングルチャンネルの映画作品によって石田尚志の作家歴が回顧されています。

この日、横浜美術館レクチャーホールで石田さんは2つの講座「光によって延長してしまった遠近法」と「光の光、闇の闇」を開きました。

「自分は研究者ではないので、上映作品のテーマや技術について筋道を立てて解説することはできません。それよりも、僕がこれらの作品をどう観たか、どのような影響を受けたかについてお話ししたいと思います」と、石田さんは言います。「僕が今のような作品をつくるようになったのは、これから上映する映画に出会ったからなのです。とにかくもう一度、観たかった」と。そこで語られた、まったく対照的な2つの映画講義をレポートします。

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「光によって延長してしまった遠近法」
上映作品:
サンセット  中島崇/8ミリ/9分/1972
DRILL  伊藤高志/16ミリ/5分/1983
不和の虹  末岡一郎/8ミリ/8分/1998
映像<かげ>  相原信洋/16ミリ/6分/1987
ヘリオグラフィー  山崎博/16ミリ/5分/1979
変形作品第5番<レンブラントの主題による変形解体と再構成>  黒坂圭太/8ミリ/29分/1986

このプログラムで石田さんは、すべて日本の作家による、1970年代から90年代までの前衛的なフィルム作品を集めました。その作品たちは、石田さんが約20年前に映像制作に踏み入る最初期に出会った「実験映画」と呼ばれる作品の数々です。その内容は、大きく揺れるカメラでとらえた風景のドキュメンタリー、写真をコマ撮りしたアニメーション、抽象的なドローイングアニメーション、太陽が昇り・沈んでゆくタイムラプス(低速度撮影)、規制の映画のフィルムの再構成(ファウンドフッテージ)などさまざま。テーマも感触もまるで違うそれらの映像作品から石田さんが衝撃を受けたのは、世界と立ち向かう無数の「距離」のありかた、そして視ることの狂おしいほどの力だったといいます。

「世界は、見ることによって溶解する」と石田さんが言うとおり、フィルムから溢れ出てきたのは、揺れて、曲がって、ズレて、反転して、ひずんでしまった世界でした。それらの作品との出会いは、画家である石田さんに「遠近法(パースペクティヴ)」への疑問を抱かせました。〈近いものは大きく、遠いものは小さくなる〉という遠近法の精密な秩序は、目に見える世界を平面に描写するための基本中の基本の技法です。「けれど、それっておかしいんじゃないか? と思ったんです。」確かに一つの視点からじっと覗けば遠近法のとおりに見えるけれど、人間の眼差しは常に揺れて、動きつづけているはずだ。「世界を遠近法のルールで厳密に描くことと、僕たちが日常のなかで感じている奥行きは、まったく違うものだ。」だからこそ石田さんは、遠近法のルールの通用しない、映画のなかの距離と歪みによって描き出された世界のほうに説得力を感じてしまったといいます。

そのときの興奮をトークは生々しく伝えていました。石田さんはそれを契機に、画家でありながらカメラを使うという現在のスタイルを洗練させてゆくことになります。そして、「いまでもあの衝撃に押されるように、作家活動を続けています」と、石田さん。上映されたおよそ40年から20年前のフィルムは、いまでも静かに白熱し、秩序だてられた世界をさまざまに溶かしていました。

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「光の光、闇の闇」
上映作品:
対角線交響楽  ヴィキング・エッゲリング/16ミリ/6分/1923~25
習作7番(ハンガリアン・ダンス5番)  オスカー・フィッシンガー/16ミリ/3分/1931
線と色の即興詩  ノーマン・マクラレン/16ミリ/6分/1955
フリーラディカルス  レン・ライ/16ミリ/5分/1958
ラピス  ジェイムズ・ホイットニー/16ミリ/10分/1966
スペース・モデュレーション  バート・フェヒター/16ミリ/1分/1994
光の絵巻  石田尚志+牧野貴/デジタル/17分/2011

このプログラムで特集されるのは、石田作品にとって直系の先祖にあたる「動く絵」たち。世界中のアブストラクト・アニメーションの傑作の数々です。そしてこの講座には、もうひとりのナビゲーターがいました。映像作家の牧野貴さんです。洪水のような音と光でつくられた抽象映画によって、世界中の映画館、美術館、ライブハウスを渡り歩き、国際的な映画賞を数多く獲得している彼がここに招かれたのは、ただアブストラクト・シネマの最前線を闘っている作家だからだけではありません。牧野さんは石田さんと映像作品を共作しています。《光の絵巻》というその作品へ向かって、プログラムははじまりました。

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まだ映像と音を同期させる技術(トーキー)すらなかった時代につくられた抽象映画の開祖とされる《対角線交響楽》からはじまり、石田さんが「最も好きな作家」というフィッシンガーを経て、現代を目指します。上映の合間に挟まれる石田さんと牧野さんの対話は、光と色と形でつくられた抽象映画への偏愛にあふれ、それは「閃光の映画史観」とでも呼び得るものでした。そしてたどりついた《光の絵巻》は、石田さんの「描くこと」と、牧野さんの「視ること」の欲望が絡まり合い、ぶつかりあった作品でした。この映画は、石田さんが16mmと35mmの映画用フィルムに直に描いたドローイングを、牧野さんが特殊な機器で撮影・編集し、動く絵に構成してつくりだされました。絵画と映像を自由に行き来しながら制作してきた石田さんへ「映画用フィルムの上に直接描く」という方法を提案したのは、牧野さんのほうだったといいます。「小さい飛行機に乗って、フィルムの上を飛び回るような視点」と牧野さんがいうとおり、指先でつまめるほどのフィルムの上に線は踊り、色は広がり、数センチ幅の極小の巻物絵画めがけて視線は低空飛行し、突入し、旋回するのでした。筆跡は雨となって降り注ぎ、風のように吹き荒れ、スクリーンを満たす光になりました。

その上映が終わったとき、会場からは拍手が巻き起こっていました。それは石田さん、牧野さんの《光の絵巻》に対してだけではなく、抽象映画の歴史そのものへの賛辞であったように思えるのです。

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この日の上映で、「渦まく光」会期中を彩ったイベントのすべてがおわりました。

石田さんは上映中、「もう一度観ることができて幸せです」と言い続けました。「すごかったですねえ」、「あまりの感動で何も言えないのですが......」、「好きで好きで好きで」。それこそ作品が終わるたびごとに。まるでこの世界に作家が生き、作品が在り、芸術が許されていることに感謝するかのようなその姿に、じつは会期中に何度もであっていました。このほかの上映でも、トークでも、横浜美術館前広場で行われたパフォーマンスでも、ワークショップでも、そしてこの展覧会の展示準備でも、作品の制作現場でも。もしかしたらすべての場面でいちばん喜んでいたのは石田さん本人だったのではないでしょうか。そして、だからこそ渦のように周囲を巻き込んでいったのかも知れません。仲間も、ほかの作家も、観客のひとびとも。

「自分のようなスタイルの作家にとって、制作はいつも孤独な作業でした。けれど横浜美術館で公開制作ができた頃から、思えば自分は『創らされてきた』のだと気づきました。たくさんの仲間が、よってたかって自分を支えてくれた、その集大成がこの展覧会です。」3月27日。石田さんは展覧会のオープニングでそう語っていました。

翌日、「渦まく光」展は閉幕しました。夕刻、閉館時間をすぎても、展示室のスクリーンの前でじっと映像を見ていた世代も様々な観客のひとびとの熱心さが忘れられません。この熱さは、きっとつぎの会場へと伝わってゆくことでしょう。巡回する沖縄会場で、石田さんの渦はどんな光を放つでしょうか? 沖縄県立博物館・美術館での「渦まく光」展は、9月18日(金) から10月25日(日)までの開催です。

夜が明けると、夏が始まっていました。

(祢津)

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(追伸)

ふたたび松永です。往生際が悪くてすみません。

祢津さんがレポートで触れている8年前の石田さんの当館滞在制作の際にも、当館スタッフによる制作レポートが頻繁にブログにアップされました。今でも読めますので、ぜひ覗いてみてください。下のアドレスは、その滞在制作のファイナルイベントであった石田さんと祢津さんによるトーク(2007年3月10日)の様子をレポートしたものです(そこから読み始めて、前年11月3日の滞在制作スタートまでブログを遡っていくのも一興!)。

さきの祢津さんのレポートのなかで、石田さんの作品制作における意識がこの滞在制作を機に「孤独な作業」から「創らされてきた」に変わっていった、というくだりがありましたが、あらためて当時のブログを読み返してみると、そのような変化を促したのは他でもなく祢津さん自身であったことがよく分かります!

http://yokohama.art.museum/blog/2007/03/post-400.html

おわり。(あるいは、はじまり。)

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第1章「絵巻」展示風景(撮影:白井晴幸)

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第2章「音楽」展示風景(撮影:白井晴幸)

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第3章「身体」展示風景(撮影:白井晴幸)