石田尚志展 スタッフコラムvol.6 「渦まく光」展潜入レポートno.4

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「渦まく光」展手伝いの祢津です。

3月27日、「石田尚志 渦まく光」展の内覧会が行われました。

各メディアのプレスと関係者の方々が集まった美術館グランドギャラリーには、2007年にこの横浜美術館をスタジオとして滞在制作され、その後世界各地の展覧会をまわった映像インスタレーション《海の壁-生成する庭》が、8年ぶりに凱旋を果たし、美しい門のように、来場者を迎えていました。

そして展示室の中には、初公開となる新作3点をふくむ、約20年に及ぶ石田さんの作品の歴史がつめこまれています。そのひしめくような迫力の展示の様子は、各メディアで報じられ、すでに目にした方もおられるのではないでしょうか。

きょうは、その内覧会の会場から聞こえてきた声を少しだけお届けします。展示室で、グランドギャラリーで、そのあとのパーティのお店で。あつまった方々は石田尚志という作家とその作品を、それぞれの言葉で語っていました。

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「この展示を見て、石田尚志さんはやはり『画家』なのだと思いました。画家であって、その上で映像作家である、と。」

...映像研究者の阪本裕文さんは「ポストメディウム」という批評概念や、実験アニメーションの先達である相原信洋さんの仕事と照らし合わせながら、さまざまな領域を横断する石田作品の世界観をみつめていました。

「石田さんは狭い意味での『アニメーション作家』の枠にとどめられません。彼の作品は『アニメーション』として完結することを目指したものではなく、『絵画』や『身体の軌跡』や『映像』などの表象が『描く行為』をめぐって集合し、複合的に関係しあっているものではないでしょうか。」と阪本さん。「そこでは『描くこと』は完成に向かって終わっていく行為ではなく、循環的に、なかば自動的に転がり続けるのだと思います。」

...僕は担当学芸員の松永さんがカタログに寄せたある言葉を思い出していました。

「(ドローイング・アニメーションは)彼の映像作品における構成要素のひとつにすぎない。さらに言えば、映像というメディアもまた、彼の表現手段の一要素でしかない。(略)石田尚志の表現のベース、それは疑いなく「絵画」である。より正確を期すなら『描くこと』である。」

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作家として駆け出しの頃の石田さんを知るひとをみつけました。

...映像/美術評論・映像作家の、西村智弘さんです。石田さんと西村さんは、いつ出会ったのでしょうか。

「96年頃かな。当時、仲間と小さな上映会を毎月企画していたんだ。ある日、仲間のひとりが「面白い作品をつくる学生がいるぞ!」と見つけてきた。それは《絵巻その2》という作品で、イメージフォーラム研究所の卒業制作だという。その作者が石田君だった。」

西村さんは、まだ映像作家のタマゴだった石田さんに、はじめて上映をオファーしたひとでした。「みんなで毎月のように上映会に集まって、朝まで飲んでたよ。」石田さんの作品は、変わりましたか?と訊くと、西村さんは、「変わらないね。見事に変わっていない。」と答えます。「最初期の《ベルクのアニメーション》(1993)はすでに《フーガの技法》(2001)と近い構造を持っているし、近年になって作品に身体性が強く現れてくるけれど、それは初期のパフォーマンスに原点回帰しているともいえる。けれど、まったく同じ場所に戻るのではなく少しずれながら回っている。」

たしかに「渦まく光」展では、作品は制作年代順ではなくあえてテーマ別に並べられ、初期作品と新作が隣り合っていたりする、すこし変則的な会場構成をとっています。「少しずれながら回っている」石田さんの歩みが感じられるレイアウトです。

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「羨ましい!」と、会場を眺めながらつぶやいたひとがいました。

...牧野貴さん。圧倒的な光と音が展開する抽象映画によって、世界中の映画祭、美術館、ライブハウスを次々と制覇し続けている映画作家です。牧野さんは撮り下ろし新作の《渦巻く光》が特に印象的だったそうです。

「宇宙を感じました。」と牧野さんは言いました。「他人の作品から宇宙を感じたのは、ずいぶん久しぶりのことです。」と。その声にはどこか闘志のような激しさが感じられました。

5月30日、牧野貴さんは石田さんとの共作《光の絵巻》(2011)を含む上映プログラム「光の光、闇の闇」のゲストとして、石田さんと古今の抽象映画について語ります。(「イメージフォーラム・フェスティバル2015」横浜特別講座です。)

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ベビーカーを押しているご夫婦がいました。おふたりとも、石田さんとは古い友人です。

...「なつかしかった。」奥さまが言いました。しかし石田さんとの思い出が「懐かしい」のではありませんでした。

「石田の作品の線や光の運動は、何かを意味しているわけではないんだけれど、どこか懐かしいんだよ。目を閉じたときに見える網膜の模様とか、細胞とか、植物が茂る感じとか、銀河系とか...いろいろなものと、自分の中にもつながっていて、『これ、知ってる』って思う。」奥さまはベビーカーの中で眠っている赤ちゃんをみつめながら、続けます。「私が子供を産んだばかりだからかもしれないけれど、石田の作品って、おなかの中に近いのかもしれないと思ったよ。生まれたばかりの子どもって、この世に慣れてなくて恐いから泣くんだって。だからちょっと暗くしてあげたり狭くしてあげたりすると、おなかの中に近くなるから落ちつくらしいの。石田の作品ってちょっと薄暗くて、遠くに光があって、胎内の安らぎに近いんじゃないのかな。」

旦那さまは、石田さんが映像制作を始める前からの親友です。会場の石田さんの年譜の横に展示されている、新宿アルタ前の路上で行われた20年以上前のライブペインティングの映像の現場にいたといいます。「リアルに回顧できる立場だよ。」とおふたりは笑っていました。

5月5日に行なわれる、O JUNさんと、小林正人さんとのライブドローイングで、お二人はなにを感じるでしょうか。

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とても遠くからからかけつけた人びとがいました。

...この展覧会を横浜美術館と共同開催する「沖縄県立博物館・美術館」の学芸員の方々です。前回のブログで登場していただいた玉那覇さん、カタログに文章を寄せている豊見山さん、前田副館長の姿もあります。玉那覇さんは、横浜美術館学芸員の松永さんから「石田尚志」と仕事をする心構えをききとっていました。 豊見山さんはこう話してくれました。

「この共同開催のきっかけは、石田さんが『沖縄で、里帰りの展示がしたい』と言ったことでした。」石田さんは10代から20代の一時期、沖縄に渡ってアルバイトをしながら暮らしました。その時間は、のちの作家活動に決定的な影響を及ぼす出会いと経験に溢れていたといいます。「現代美術の展示は集客力の面でどうしてもリスクがあります。開催者としてそこは悩みました。しかし、当時10代の、ひとりの小生意気な若者だった石田さんが、沖縄の大人たちと出会い、社会というものを知り、沖縄で培われたものがいまの創作に息づいている。私たちはその絆に応えるべきではないか。そしてこの展覧会で、石田さんはいまよりさらに遠くへと翔ぶことができるのではないかと考えました。」

《海の壁》が横浜に帰ってきたように、石田さんの作品は沖縄へも帰ります。沖縄県立博物館・美術館での展示は、9月18日からです。

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美術館グランドギャラリーから見上げる壁面には《絵馬・絵巻》の映像が巨大に映写されていました。これは僕が前回レポートに伺ったときには展示プランになく、直前で追加された意匠だといいます。ずいぶんギリギリまで検討を重ねたようです。

いったい展示はいつ完成したのでしょうか。担当学芸員の松永さんは、疲れた顔をほころばせて、「きょうの内覧会スタートの30分前。」と答えました。

そうして、内覧会の日は、終わりました。

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ここに掲載させていただいた感想はほんの一部で、他にもたくさんの方に、突然のインタビューにも関わらず、とても真摯に答えていただきました。ここでお礼申し上げます。きくことができた声のひとつひとつから、石田尚志という作家、作品、この展示が、とても多様な解釈を呼び起こしていることに驚かされます。けれどそれらの声はみな一様に、何かが「渦まく」ということについて語られていたように感じられてなりません。

3月28日、「石田尚志 渦まく光」展は開幕しました。口々に、SNSで、ブログで、反響は広がり始めています。あなたも「渦」を会場で目にしてください。横浜美術館での展示は、5月31日までです。

文中でご紹介した他にも、たくさんのイベントや見どころが用意されています。詳細は特設サイトをぜひチェックしてみてください。

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(祢津)