「キャパ/タロー」展 準備&ニューヨーク出張レポート(学芸員 松永真太郎)

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1.

ここに一枚のチラシがある。


2.

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3.

この書き出しは、沢木耕太郎さんが毎度ながらスタイリッシュなレトリックで魅了する最新刊、『キャパの十字架』の受け売りである。
一方、このチラシのほうは、現在開催中の企画展「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」の開幕半年前、去年の夏に作った「先行チラシ」である。タイトルは「生誕100年 キャパ、知られざる実像 ロバート・キャパとゲルダ・タロー」。今回の展覧会、この時点では確かにそういうタイトルであった。
実はこのタイトル変更に、開催に至るまでの紆余曲折が隠されている。
開催までの「知られざる」経緯について、その中途における大事なステップとなったニューヨーク出張に焦点をあてながらあらためて振り返ってみたい。


4.企画経緯

横浜美術館にはロバート・キャパの写真が193点収められている。ほとんどは当館の開館前に収蔵されていたにもかかわらず、一度もまとめて公開する機会なく20数年が経過していた。
今から2年ほど前、キャパの写真を多く含んだアメリカからの展覧会企画のオファーが届いた。「写真」をメインコンセプトの一つに掲げる当館だが、ここ数年、その分野の企画展を開催していなかったこともあり、「いよいよキャパいくか?」ということで、持ち込まれたそのオファーの内容と、当館のキャパコレクション全点展示とをセットする、という企画案が浮上した。
そのタイミングで私に担当のお鉢が回ってきた。あらためてキャパの年譜あたりから目を通そうとすると、なんと来たる2013年が生誕100年という運命的偶然。この企画自体の説得力と売り文句を一気に獲得――という喜びもつかの間、さきのオファーについて借用先と日程的の折りあいがつかないことが明らかとなり、話はいったん白紙に戻る。
ならば、当館のキャパコレクションのみで一本の展覧会とするか。193点に関連資料や近しい写真家も入れれば物理的には十分成り立つ。しかしクリアしなければならない課題がここにひとつ。

巷の「キャパ展」と、どう差別化するか?

キャパ。もちろん世界的写真家に違いないが、人気と知名度の高さはとりわけ日本で突出している。その人気も手伝って、これまで全国津々浦々、展覧会が開催されてきた。今回の展覧会、「横浜美術館キャパコレクション全点初披露」という謳い文句はあるものの、「複製芸術」たる写真ゆえ、同じ写真が当館以外にも所蔵されており、それらは各地の「キャパ展」で公開済みである。過去に「キャパ展」を見たことのある人たちに対しては、確実にアピール不足である。

この「差別化」という課題に向き合っていた矢先、マグナム・フォト東京支社の小川潤子さんが新たに持ってきてくださったのが、ICP(国際写真センター)所蔵のゲルダ・タローの展示オファーだった。
タローはキャパの恋人として知られていたが、実は「キャパ」という名前自体、もとはこの2人が創りだした架空の写真家のものである。いわば2人揃ってはじめてキャパ、である。オファーリストは80数点と中規模だったが、その写真群は時期的、地理的、趣旨的にキャパの活動とのシンクロをみせていて興味深い。このタローの写真を当館のキャパコレクションに織り交ぜる形で展示したら有効であろうことはすぐ理解できたが、一方でリスクも少なからずあるように思えた。借用に係るコストも決して安いものではない。
このオファーがその経費的リスクを担保しうる内容か、否か。
美術館内部でも意見は割れたが、最終的にこのオファーを受けることで館長のGOサインが出た。タローの存在をフィーチャーすることが、「ロバート・キャパ」という写真家の全体像を伝えることに直結するという点に、さきに挙げた「巷のキャパ展」との明確な違いと意義が見いだせたからだ。あわせて、タローを入れることで、もっぱら男性主体といわれるキャパのファン層に加え、女性にもアピールできるのでは、という広報上の邪なねらいも、わずかばかりあった――かも。

大枠が固まり、本格的な準備に取りかかったのがちょうど1年前。まずは、撮影された年代や場所が曖昧なままになっていた当館のキャパコレクションについて、個々の写真のアイデンティファイの作業を進める。同時並行で、夏の「奈良美智展」に来るたくさんの来場者をねらって、冒頭に述べた「先行チラシ」を制作。その際、タイトルを「生誕100年 キャパ、知られざる実像 ロバート・キャパとゲルダ・タロー」に決定する。
一方で、マグナムの小川さんに仲介していただき、沢木耕太郎さんとの面談の機会も得る。沢木さんが20年ほど前に翻訳されたキャパの伝記は今なおベストセラーだ。我々の「キャパ/タロー」展に際して諸々ご協力をいただけないかと沢木さんに打診。しかしお返事はネガティヴ。聞けば、目下長編ノンフィクションの執筆が佳境に入っていてほかに時間が割けない――とのこと。さらに聞けば、そのテーマはキャパとタローについてである――という。運命的偶然。そして年末に文芸春秋に掲載されると。加えて聞けば、年明けにはその論考を基にしたNHKの番組制作の企画も進行中――。
その雑誌や番組で、こちらの展覧会のことを具体的に紹介することはできない、とは言われたものの、タイアップなど無理に意識せずとも、おのずと両者(雑誌&TVと展覧会)は結びついていくに違いないのである。しかも会期中の講演会をお引き受けくださった。沢木さんはめったに登壇なさらない方。ありがたいお話だ。

そういったステップも踏みつつ、一方では粛々と当館のキャパコレクションのアイデンティファイの作業を進める。撮影場所や年代の前後関係がほぼ明らかになったところで、順番をあらためて整理し、時代別にカテゴライズ。そこにタローの写真群を挟み込んで図面に落としこみ、今回の展覧会の基本構成を作成した。

ところが。

その素案をICPに送った段階で、先方との認識の齟齬が明らかになる。ICP側は、このタローのオファーを、単に所蔵作品の貸出しとしてではなく、2007年に同館が開催した世界初の「Gerda Taro」展の巡回と考えています――と。よって、横浜美術館のキャパコレクションとの合体などのアレンジを加えるのはあり得ません――と。
結果、展覧会の構成そのものを考えあらため、「キャパ」と「タロー」のふたつの個展として組み立てなおすことに。それにあわせて、先に述べた「キャパ、知られざる実像」という展覧会タイトルも、「タローをキャパの一部にするような打ち出し方はしないで」という先方の意向に鑑みて、白紙撤回となった次第である。企画展示室3室のうち、最初の1室をタロー展、後の2室をキャパ展、と分断した再プランがICPによって了承されたのが、昨年の10月。そこまで行き着くのに結構な時間を費やしてしまった。


5.NY出張

ようやく展示プランがオーソライズされ、いよいよ10月末にニューヨーク出張が実現。これまでもクーリエや視察等で海外出張の機会はわりとあったが、交渉ごとが多く、難しい局面も予想される今回は、この展覧会のお目付役である主席学芸員の天野さんに一緒に行ってもらうこととなる。ここまでの準備段階の遅れを一気に挽回すべく、展示図面、広報物のデザイン案、契約書案など、決着をつけるべきありったけの材料を携えて現地に向かう。

ところが。

我々のニューヨーク来訪に合わせるかのように、巨大ハリケーンが東海岸に接近していた。これも運命的偶然か。
日本を発つ直前にその情報は聞こえてきてはいたものの、正直、どうにかなるだろうとタカをくくっていた。しかし到着した現地ではすでに、「ハリケーンSandyの影響で、明日は交通機関も公共施設も閉鎖の見込み」と伝えられていた。ICPのキュレーター、シンシアさんに連絡をとり、翌日に予定していた面談はひとまず翌々日に延期することを夜中に確認。結果的には、その後数日にわたってニューヨークは都市機能マヒの状態となり、我々は丸2日、身動きとれない状況に陥ってしまった。

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到着初日のNY。天野さんの後ろ姿。この日はまだ地下鉄も動いていた

じたばたしても仕方ない。ホテルの部屋にこもり、テレビのハリケーン情報をチェックしながら、キャパ展のためのデスクワークに専念。日本で深夜、TVの台風情報を、少しだけ切ないBGMとともに眺めながら過ごす時間と同じ、穏やかな非日常感が、意外と作業をはかどらせる。いくつかの、こなすべき仕事が片づく。
さて、この「空白の2日間」、まるまるホテルに缶詰だったかというと、そうでもない。普通に外に出られる状態なのだ。時おり雨はぱらつくものの傘をさすほどでもなく、風にいたっては普段のみなとみらい21地区の海風と比べても、MMに軍配が上がる。ただし外出したところで、地下鉄はストップ、美術館もギャラリーも店舗もクローズなので何もすることがない――という状況がやるせない、というだけの話だった。

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ホテル近く。ハリケーンで破壊されたクレーンがビルの屋上に見える

「空白の2日間」の初日、宿泊先ホテルから徒歩5分のところにあるビル屋上の建設用クレーンがSandyの仕業で折れ曲がった。ニュースはその映像を盛んに流して、事態の深刻さを世界に向けて発信している。ところが、それを映し出しているTVの脇にある窓の外には、限りなく平穏に近い光景が広がっている。このギャップはなんなのだろう。
家族や職場に連絡をとると、このハリケーンの話題が日本でも大きく報じられていて、みんな相当心配してくれている様子。心配させて申し訳ないけれど、こっちは全然大丈夫。問題は、帰る前にICP面談が果たせるのか、そしてスケジュールどおりに日本に帰れるのか、という2点のみです――。
シンシアさんには、「ICPでの作品実見はひとまず置いて、取りあえずカフェで打ち合わせだけでもできないか」と天野さんがメールで打診するも、梨のつぶて。常になかなか返信がもらえないシンシアさんからのメールを待ちつつ、デスクワークに勤しむ「空白の2日間」。その合間合間に息抜きをかねて、天野さんに連れられて食事場所を探しに出歩くのだが、どの方角に向かってもレストランは軒並みクローズ。しかしその途上でも、「ここが国連ビル。」「市立図書館・・・」「セントラルステーション・・・」「タイムズスクエア・・・」「リンカーンセンター・・・」と、初ニューヨークの私に、20回以上来ているという天野さんがツアコンよろしく(ちゃんと初心者向けバージョンで)案内してくれるのであった。

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人けのない国連ビル前にて

「空白の2日間」2日目の昼食時には、1時間以上歩き回っても食べるところが見つからなかった挙句に「チャイナタウンまで足をのばしてみるか」となり、タクシーをひろう。「でもあっちのほうは確か停電しているはずでは・・・」と心配しながら向かうと、町に入ると人影は一気にまばらになってきて、予感的中。町中は、ネオンサインはおろか、信号機のランプすら消えた、まさにゴーストタウン状態であった。「ソーリー、こりゃどこも閉まってるよ」と言い残し、殺伐感あふれる町の真ん中に我々を捨てて走り去っていくタクシー。
途方に暮れていると、気がつけば天野さんはすでに通りの向こうにある一軒の料理店の暗闇の中に入ろうとしている。あわてて後を追う。電気の消えた店内で観光客らしき人々が数組、餃子を食べている。店員に聞けば、「電気もガスも来ちゃいないが、カセットコンロで餃子とラーメンだけつくって出してるよ」とのこと。

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停電し、殺伐とした雰囲気のチャイナタウン中心街。信号も止まっている

かくして、薄暗い店内で、熱くも冷たくもない微妙な温度設定、しかしながら決して食えないことはない餃子とラーメンで空腹を満たした次第。

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日本でも時折見かける、いわゆるホワイトギョーザ。焼き&蒸し

「空白の2日間」を経て、日本に帰らなければならない滞在最終日、朝。シンシアさんから「OK。ICPで10:00に」の連絡。ついに、念願の面会を果たすこととなった。
やや小柄でスリム、栗色の髪にシャープな顔立ち、つんととがった鼻先をもつシンシアさんは、その日も引き続き臨時休館中だったICPの事務室に我々を案内してくれた。
さっそく、多少身構えつつ諸々の確認や交渉に入るのだが、話は早い。

・展示プランについて→OK。
・ポスター、チラシのデザイン案について→OK。面白いデザインね。
・タローの広報使用写真のセレクションについて→OK。
・写真のクレジット表記方法について→OK。
・ICPタロー展カタログ日本語版の制作の可否→OK。

間髪入れずにポジティヴなリアクションがどんどん返ってくる。日本で長らく、そしてニューヨークに来てからも続いた、メールベースでのややディスコミュニケーションな状態とは大違いだ。やっぱり直接会って話すのは、いい。
しかしその即レスも、シンシアさん担当のキュレトリアルマターに限ってではあった。本来、ここにはもう一人、巡回展コーディネーターのマレンさんも同席しているはずだった。しかし彼女はその前の週の出張からハリケーンのためにNYに戻れず、その日もまだトロントで足止めを食らっていた。マレンさんの担当である契約書や作品輸送に関する話題になると、当たり前のことだがシンシアさんの返事は「マレンがいないからわからないわ」の一点張りに。それでも、マレンさんが戻ったらすぐ確認・返答してくれることを約束して、打ち合わせの要件はスムースに片付いた。

話も弾んできた流れで、天野さんが「ちなみに松永は結構キャパに似てるんで」と口を滑らせると、シンシアさんは2秒ほど私の顔を凝視した挙句、「ふっつ」と、つんととがった鼻先で一笑に付す。日本で局地的ながら「キャパ似」で通してきた自負に少しだけ傷が付いたが、考えてみれば、私の顔立ちが多少濃かろうが、こっちの人から見れば「アジアン」の範疇から出るようなものではないのだろう。
気を取り直して別室で作品実見。奥の保管庫から出してきたミュージアムボックスのなかのタローの写真を一枚一枚みせながら、その写真の場所や特徴について色々語ってくれる。対角線主体の構図的傾向、「死体」との向き合い方、等々。日本で、小さい図版を通してタローの写真に対して抱いていたおぼろげな印象に、ようやく実体が伴う感慨。作品を実見することの意味と重要性を再確認する。

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すべての作品を確認し終えて、別れ際に「横浜のオープニングには来てくれるの?」と聞くと、「まだ誰が行くか決まってないけど、私はその時期忙しいから、違う人ね」とのこと。「ではもしかしたらもう会えないかも、でも今度からメールにはちゃんとレスをください」と声には出さずに伝えながら、シンシアと別れ、ICPを後に。
出発までの残りわずかな時間を使って、その日から再開していたMoMAへ急ぐ。以前、上映会の企画でお世話になった足立アンさんとそこで再会し、大急ぎで展示を回ったのち、空港へ。JFK空港のフライトの案内板には、その日も「欠航」の文字が躍りまくっていたが、我々のANA便は1時間遅れで無事飛んでくれた。


6.開幕まで

その出張から開幕まで3か月弱。年末年始ほぼ返上での急ピッチの準備と、関係者・協力者の方々のたゆまぬ尽力の結果、なんとか無事オープンに漕ぎつく。
展覧会の準備にはえてして、思いもよらない制約や偶然が降りかかってくるものだが、今回は特に盛りだくさんだった。しかし展覧会の関係者、協力者、そして内部のスタッフが、それらのアクシデントをことごとく「ポジティヴ」なものに変換してくれた。偶然に加え、「人」にも大いに恵まれた展覧会でもあった。
そしてオープニングを間近に控えた展示作業のある日、ニューヨークから駆けつけてくれたのはほかならぬ、「私は行かない」と言っていたシンシアさんだった。彼女はそのつい1週間前に、自身企画による入魂の「デヴィッド・シーモア」展をICPでオープンさせたばかりだった。おそらく過去最大規模の「シム」展である。多忙と疲労の中、来てくださって感謝。400ページ近い分厚さの「シム展」図録(こちらも渾身の一冊だ)をお土産に持ってきてくれた。
彼女に、オープン初日の記者発表と開会式でスピーチをいただき、その後あらためて2人で会場をまわった。幸い、ここの展示をとても気に入ってくれたようだった。

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記者発表でスピーチ中のシンシアさん

さて、企画当初の「キャパとタローの写真を織り交ぜる」方式から、半ば強制的に「2つの個展」に形を変えることになった今回の展覧会だが、展示を終えてあらためて感じたのは、こちらが正解だったかも、ということ。

2人の写真を時系列に並べて単線的な流れを紡ぐよりも、個別の空間を構築したほうが、それぞれの世界観や特徴はより浮き彫りにされる。

2人それぞれのストーリーをどう交錯させるかを、こちらが指定するのではなく、観る人の側に委ねることができる。


7.エピローグ的に

今回の展覧会、写真だけでも2人あわせて276点にのぼるが、それらの写真が掲載された数多くの雑誌や書籍も、もうひとつの見どころとなっている。その多くは当館美術情報センターの蔵書だ。
その雑誌類を展示している壁付ケースは、今回の展覧会で特別にしつらえたものだ。実はこれ、ニューヨークでの最終日、MoMAの展示で見たケースの受け売りである。ささやかな「ニューヨークみやげ」ということで、あわせてご高覧いただければと。

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左:MoMAにて(写真と映像コレクションの展示) 右:横浜美術館「キャパ/タロー」展会場


おわり
   
※「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展は2013年3月24日に終了いたしました。


プロフィール


松永真太郎(まつなが・しんたろう) 横浜美術館学芸員

島根県立美術館から2003年に横浜美術館へやってきた自称キャパ似の学芸員。「キャパ/タロー」展をきっかけに近隣企業の女性陣からの注目度が(本当に)急上昇。つぎは時空を超えて「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」(2013.7/6-9/16)での活躍が期待される!

主な仕事
「斎藤義重展」島根県立美術館、ほか5会場巡回(2002)
「映画のシュルレアリスム」(2004)
「絵画/映画(えいがぶんのかいが)」(2005)
「日本|美術|映画 アートドキュメンタリー1930's-2000's」(2006)
「アーティスト・イン・ミュージアム横浜2006 石田尚志・映像制作プロジェクト 生成する壁」(2006)
「動く絵の冒険」(2007)
「水の情景-モネ、大観から現代まで」(2007)
「ヴァイタル・シグナル:日米初期ビデオアート上映会」横浜美術館、ほか9会場巡回(2009)
「木之下晃写真展 山田一雄・音と人」みなとみらいホール(2012)
「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー  二人の写真家」(2012)
その他
「横浜トリエンナーレ2008」(2008) コーディネーター